電鉄技術史情報28

白井 昭
2003/3/17

パノラマカーとMCMコントロール

 GE社のMCMコントロールは1954年より1965年頃までNY地下鉄、ボストンなどオールMで約2000両が新造され、さらにNYなどではその優秀性からABF車のMCM換装も多く進められた。
 名鉄では1959年より1970年頃までパノラマカー、8800形、5500形などオールM(1C8M)で約200両が製造された。
 日本では阪神、国鉄591系、神戸市電などにも少数のMCMが使用されたが、名鉄では最も多く、長く使われた。その理由はパノラマカーがオールMで機能が多様、床面積の全面利用などから機器の小形化の要求が厳しかったためと思われる。

MCMのルーツ

 1925年頃にGEにより多段式油圧カムの近代型制御器としてPCMコントローラーが開発され、アメリカの各鉄道で使われたが、PCCも他の形式となって量産に至らず、その後1948年より1956年頃までNY地下鉄で電制常用のPCMが500両以上量産された。PCMからMCMへの移行漸次行われ、両者が同時に生産された時期もあった。
 PCM系はイギリスでも多用されたほか、似た形式の油圧カムがEEでも開発され、日本でもそのライセンスでTDKがES800系の油圧カムを作り、静鉄などへ納入した。
 GEでは1954年頃、PCMの高性能カム接触器はそのままで、これを電動化したMCMが開発され、NY地下鉄などに大量採用された。
 PCM、MCMともベークライトカムに2列の接触器、ノルマルクローズ接触器の採用、1制御2回転または1往復で、過去のPCに比し画期的高性能となった。

MCMと東芝PEなど

 GEと東芝のMCMのライセンス契約は1954年頃と思われるが、WH、三菱のようにデッドコピーに近い形でなく少しずつ変更を加えてMPEなどを製造している。MPEは阪急1000や東急5000から始まったほか、国鉄のモハ101系、151系などのCS12もMPEである。
 GEのPCM、MCMコントロールの要素は極めて優れていたため、日本の他の各メーカーも取り入れるところとなり、当時の日本の制御器の設計に影響を与えた。

KMC開発

  MCMの特徴はそれまで分離していたRV、FC、PB、SP制御を1つのカム軸で制御す るもので、この接触器をKMC、抵抗制御用をKMRと呼ぶ。
 この画期的発明のルーツは不明で、戦前のGEのPCCかも知れないと考えているが、 GEレビューなどで解明を期待している。
  KMCは日本のメーカーにも導入されたが、特許関係については不明である。
  国電101系などのCS12(東芝PE14)は昔のようにRVのみ電空式で独立している。

パッケージコントローラー

  MCMのオリジナルはKMC、KMR、ブロワ、主抵抗器をワンパッケージとしたもので、多少のバリエーションがあるが名鉄パノラマカーはスペースの要求から完全なパッケージとなっている。オリジナルのMCMでは主Rの両側にKMC、KMRがあり別々のPMで制御したが、名鉄では同じ側にまとめて1個のPMで制御し、最もコンパクトになっている。
  GEのMCMは全て2個のPMで2軸を制御し、東芝のMCMも阪神などは2個のPMを用いたが、名鉄のMCMは1PM方式であった。東芝ではMCMの流れを汲むMPEなどもPM1個で2軸を制御するものが多かった。
 また、昭和31年の神戸市電1150形(2次)6両のMCMはオリジナルと同じPM2個によっていた。

PMとPA、PB

 日本における油圧カム、多段制御は1937年、阪神70形にGE設計のPMコントローラーを採用して長く使われ、その後阪堺でも使用し350形には2003年現在、なお現役である。PMはPCMと似ているが相違点は不明である。
 芝浦〜東芝はPMを改良したPAを西鉄に、1940年PBを名鉄向けに製作して長く使われ、戦後1954年頃には電制常用のものも現れた。これはNYの電制付きPCMに近いものであるが、GEの設計導入については不明である。
 名鉄では戦前から先輩はPBをPMと呼んでいた。
 PA、PBの機構はMCMのルーツをなすもので、パノラマカーのMCMのルーツは1940年、名鉄3350形、3650形のPB(通称PM)にあったと言える。

パノラマカーのMCM

 長期大量採用されたパノラマカーのMCMは東芝製のパッケージコントローラーで、全体構造や要素設計はGEオリジナルのMCMによく似ているが、ブロワは名鉄納入後、耐雪のため設計変更をしている。しかし日本最多のMCMに変わりなく、2003年現在もなお約100両のMCMセットが運行中である。
 MCMはシステム名であり、メインコントローラーはMC11である(MCコントローラーを使ったMCMコントロールシステム)。
 パノラマカーのブレーキはWHのオリジナルによるHSC-Dなので、心臓部に当たるMCM、HSCはアメリカの技術によって支えられたと言うことができる。

7500形パノラマカー

 1964年の名鉄7500形パノラマカーは、スペースのうみ出しを回生ブレーキの採用によりブレーキ抵抗の削減によったが、現代のVVVF制御車は世界各国ともブレーキ抵抗の小さいものが多い。しかし7500は途上技術であったため、途中改造を必要としたのに対し、MCMは基本的改造無く優れた成績で今日に至っている。

GE・MCMコントロールの評価

 GEによるPCM、MCM、PMおよびその派生による多段式カム制御器は、何れも極限まで贅肉を落とし、且つ故障が少なく保守が容易という点からアメリカ式設計よりはスイス的な感じがする。
 これらはアメリカ電鉄技術史上における1代の名作と言うことができ、これに他のアメリカ設計のABFやPCを比べるとやや雑な感じがする。
 また特にMCMは戦後日本の各社の制御器に強い影響を与え、PCMはイギリスに影響を与えている。
 しかし世界に優秀さを誇り、どうても日本が及ばなかったアメリカの電鉄技術も今や凋落の道を辿り、各鉄道の上級エンジニアと話していても頼りない感じを受ける今日である。

今後の課題

 どなたかNYの保存車のPCMとMCMをよく見て、パノラマカーのMCMとの差異を確認して頂きたい。
名鉄のMCMシステムのMC11主制御器が名鉄教育センターの実習室に教習用機材として置かれている(注:乗務員養成の過程で制御・制動機器の動作を学習する教材としてのもの。非公開。)が、KMC、KMRを見ることができて貴重な存在である。また現役の阪堺350形のPMコントローラーも日本唯一の油圧式コントローラーであり、保存が望まれる。
(小田急3100の当初はMCMとの記録もあるが、不明。情報を求む。)

(以下別件) NY地下鉄の10両化

 急速な年の発展に伴うNYのEMUの10両化は1912年頃から始まり、これにあわせてAMU空気ブレーキが開発された。
 この頃からいわゆる「ラッシュアワー」の時代が始まり、EMUのドアも両開き、4'2"(50"、1270mm)幅の自動ドアが採用され、以後今日までこの寸法は変わっていない。戦後日本の1300mm幅のドアも原点はここから発していると言えるが、日本で両開きドア、10両編成が普及したのはNYより40年後の、戦後のことであった。

日本初の自動加速は

◎アメリカでは世界最初の総括制御、スプレーグD形より電動ドラムによる自動進段で、以後も自動加速が主流であったが、日本では京電以来直接制御が主流で、明治末に複式制御を使用してもMK、HBなどの手動進段であった。
◎日本の電車で自動加速の最初は大正3年、モハ1のMコントロールと思われる。日本でのカム軸式自動進段の最初はGE、デッカー、SSが考えられるがはっきりせず皆様のご教示をお待ちします。
大正9年、名鉄350形のPC6も古い方か。

鉄道本の間違いを見抜く法

◎特に制御、空制機器については主として換装、写し間違いによるミスが多く、1つミスが生じると車体関係に比し、これが拡大する例が多い。
◎これを見抜く力は基礎知識の充実と検証にあり、少しでも早く見抜いて訂正し、且つ、これを明らかにしておくことが大切である。

2003年3月17日


白井 昭:
大井川鐵道株式会社顧問,産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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