電鉄技術史情報25

白井 昭

  1. 2002.12.7. ED22形EL追補を技術史情報(24)とします。
  2. メンバーの皆様より多くの情報を頂き勇気づけられます。
  3. 情報(23)の私のED32に関する問い合わせはED31の誤りでした。
    ED31の当初、電磁スイッチは確かだが現在はどうか、また当初は自動加速との情報もあり、すると全く省電モハ1と同じMコントロールだが今は? ノッチ数は?
    全て見れば一目瞭然なので、どなたかにお願いしたい。
    誤り情報が多いが初期の国産機として重要な存在。
  4. 既報EF50の単位スイッチ改造は誤りでカムのまま昭和30年頃廃車された。
  5. HBはGEの発明後、アメリカの直流変電所、ELに普及、WH、日立、芝浦などは特許を買って製作したと思われるが、経過の詳細を知りたい。
  6. 弱界磁制御は、1912年頃より高速化のためアメリカで普及、日本は遅れて大11のED10、私鉄は昭2のデイ100、省電は昭5のモハ32から始まった。
  7. ED222の製造年月
    1. 現車にはBLW、WHの1925年6月の立派な銘板が健在。
    2. 竣工図表の竣工期日は大正15年。
    3. (推定)メーカーで新造後、海路パナマより横浜、中央本線で松本着は大正14年秋頃か? そして信濃鉄道へ鉄道省の認可、入籍は大正15年。
    4. 日本側の文書ではED221、ED222は大正15年製、ED223は昭和2年製。
  8. ヨーク博物館より
    11月にヨークより大井川鐵道来訪時の私の質問について、12月2日付けでヘレン・アシビー女史(BA)より文書回答あり。(以下一部当日のお話も併用)
    1. イギリスのSL急行は1860年頃より100km/h超に高速化したが、客車の主力は2軸、3軸の単車であった。
    2. ボギー車はお召し車からだがなかなか普及せず長らく2,3軸単車が過半を占めた。
      ボギーと2、3軸単車が半々となるのは1920年頃である。
      3軸客車をボギー車に改造したものもある。
      アメリカの客車は初めからボギー車が主力だった。
      日本ではB、S半々になったのは何時か教えてください。
      (イギリスのことを聞いたものの、日本について知らず恥ずかしかった)
    3. イギリスの客車型電車は1903年頃から始まったが短距離で、SL客車を電車に改造したのもあった。
    4. 長距離の電車急行はサザンプトンなどが電化した1930年頃からで、客車型電車の6〜11連くらいで食堂車もあり、湘南電車のルーツ(湘南よりは立派)。
      当時の急行は140km/hくらいに対し、電車急行は120km/hくらいでSLより遅かった。
    5. 電車にカム軸制御器の使用は、1951年のSRの電空油圧カムから。(ヨークの回答より)
      これは戦後のGE、EEのことと思われ、昔のEEなどの電動カムにふれてない。
      ヨーク博物館はこの面ではアメリカより遅れていると思うが如何?
      アメリカには各地に電鉄技術史協会があり、部分的ながら研究を進めている。
(ご意見・情報をお待ちします)

2002年12月14日


白井 昭:
大井川鐵道株式会社顧問,産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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