ABFコントロールの進段方式について

白井 昭

 進段ドラム(制御円筒)付きのABFについてアメリカでは1920年代にはシーケンスドラムと呼んでいたが、1935年以降はシステムをオートマチック・シーケンススイッチプログレスと呼んでいる。しかし日本ではずっとシーケンスドラムで日本語では順序開閉器と呼んでいた。これは元祖の近鉄をはじめ、地下鉄、小田急、名鉄など同じであったが、のちにドラムがカムになると「カム」と呼ぶところもあった。この点について、三菱電機ではどのように呼んだのかを知りたい。
 主回路ノッチの星取表はシーケンスダイヤグラム(開閉順序表)と呼ばれた。
 多数を占める連続進段についてアメリカではインターロック・プログレスABFと呼んでいる。1930年頃の南海−TDKのAUR制御もこの系統であるが、そのモデルのAEGの内容は不明でドイツに置いての調査が望まれる。

2002年11月1日


電車列車のルーツはイギリスか

白井 昭

 大正時代の木造湘南電車は不発のため、モハ80系がその始めかと思っていたが、イギリスのサザン鉄道(後のBR)などは大正初年の電化当初から電車列車(EMU)を走らせており、その電車はSL時代の客車を改造したものもあった。
 1390年代には9〜12連の急行電車も走り、食堂電車やサロン車も使われた。しかし、80系のように10両ユニットなどでなく3〜4両ユニット×3〜4と機動的に使っていた。
 写真はブライトンベル10連急行と12連のポーツマス急行ですがイギリスでのより詳しい調査が望まれます。
 ブライトンベル 10連急行
 ポーツマス急行 12連

2002年11月1日


エレクトロライナーとSEの関係

白井 昭

 1941年に生まれたシカゴノースショアのエレクトロライナーに対し、小田急3000形SE車は約15年遅れて作られたが、思想的に似た点が見いだされる。
 ルーツとまで言えないにしてもSEの設計にあたりライナーを研究したことは確かであろう。超軽量、高速、台車架装の高速モーター、WH(ウエスチングハウス)社のHSC系ブレーキは共通しており、次の国鉄151系こだまはやや重量形ではあるが基本的には共通点がある。
 戦前の1941年に生まれたライナーのWNドライブ、冷房付きに対し、SEはディスクドライブ、冷房無し、MCM系のコントローラー、シュリーレン台車であるが、これらは時代の経過によるものであろう。
 速度は似たもので、エレクトロライナーは運転速度130km/h(85mph)、試運転177km/h(111mph)に対し、SEや151系も140〜160キロ級の記録を持っている。
 アメリカのEMUの130km/h時代は関西私鉄の110km/h時代であった。1930年前後だが、ブリルのビュレットなども超軽量のほかは関西私鉄と同じ古いカテゴリーのものであった。
 この点、エレクトロライナーの設計はEMUの歴史を書き換えるに当たり、1939年より設計を始め、十分に研究したことが評価される。
 その後1000両以上作られたニューヨーク地下鉄のWNドライブ、SMEEブレーキ車のルーツの一つはここにある。
 皆さんにエレクトロライナー、SE、151系関連、特に前者について研究して欲しいが今となってはかなり困難と思う。
 エレクトロライナーはWHの高速モーター、WNドライブを主体としてWH社のコントローラー、ブレーキで作られ、WH社の誇りであった。
 エレクトロライナー

2002年11月1日


技術移転史の眼から

白井 昭

 最近の某誌でコマツがDMU用の新型エンジンについて全て自力開発のごとく書いているが、コマツがカミンズとの提携生産中にカミンズに学んだことに触れていない。中国などでも日本製の設備を国産と称しているそうだが、これらは客観的な技術移転史を誤るもので、何も知らない鉄道ファンなどは信じてしまうだろう。
 大井川鐵道はDD20のエンジンを換装中だが、安くて良いアメリカ・カミンズを買っている。ターボなどもアメリカ製である。大井川鐵道はJRよりずっと早く1981年から、また大井川鐵道の姉妹鉄道である台湾の阿里山鉄道ではもっと早くからカミンズ製エンジンを使っている。

2002年11月1日


以上の内容について研究者諸兄からのご意見、訂正等がございましたらお寄せ下さい。


白井 昭:
大井川鐵道株式会社顧問,産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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