大井川鐵道C11 190号機の復元工事状況
2002年5月
白井 昭(大井川鐵道株式会社顧問・中部産業遺産研究会会員・産業考古学会会員)
橋本英樹(中部産業遺産研究会会員・産業考古学会会員)
▲写真1 復元工事中のC11 190号機.
煙管が全て抜かれボイラ内部の修理作業が進められている.
新金谷施設車両区にて 2002-2-14
大井川鐵道ではC11 190号機の復元へ向けて現在新金谷施設車両区にて工事を行っている.2002年1月上旬には煙管を全て抜き取り,ボイラ内部の修理に入った.2002年2月14日、煙管が抜かれて修理中のボイラ内部に入り写真撮影を行った.ここでは非常に珍しいボイラ内部の写真を中心にご紹介すると共に復元工事の状況についてレポートする.
▲写真2 火室内部(内火室)をボイラ内から写したもの.
写真中央に見える2本のパイプがアーチ管.
写真の下側のアーチ管上にレンガアーチが設けられる.
写真2はボイラ内から写した内火室の状態である.写っている2本のパイプはアーチ管である.アーチ管の本数は火室の幅により異なるが2本以上用いられるのが普通である.修理完了時にはアーチ管の上にアーチレンガが積まれる.レンガはSK30という種類の耐火レンガの異形品が使われている.近年SK30は材料が入手しにくくなった.レンガアーチは火室内で発生させた熱がすぐに煙管を通り煙室へ抜けてしまうことを防ぎ,ボイラの熱効率を上げる役割を持つ.
▲写真3 内火室の天井.写真中央の少し上のプラグが
溶栓(とけせん・通称「へそ」)である.
写真3は内火室の天井である.中央に見えるプラグは溶栓(とけせん)である.溶栓は砲金製のプラグで上下に貫通した穴がありそこへ鉛の盛金をしたものである。これが火室の天井を貫通している穴にねじ込まれている.これは運転中に何らかの原因で外火室の缶水が欠如し空焚き状態になったとき鉛が328℃で溶解し,火室内に水を噴出させる構造となっている.ボイラの破裂を防ぐなど保安上極めて重要な部品である.
▲写真4 火室管板と外火室をボイラ内から写したもの.
火室はその外側にある多数のステーにより支えられている.
▲写真5 側ステー
写真4は火室管板と外火室を,写真5は外火室の側面のステーである.火室はその外側に多数あるステーにより支えられている。このステーは昔は溶接ではなくねじ込みにより取り付けられていた.溶接では一方のステーを溶接すると隣のステーが緩んでしまうということがあった(鉄板が縮んで引っ張られる)ためである。溶接棒の材質が良くなった近年ではアーク溶接またはTIG(アルゴン)溶接により接合される.火室の上のステーを「天井ステー」,横のステーを「側ステー」と呼ぶ。火室を構成している鉄板は熱により膨張収縮が激しく,鉄の腐食が最も進みやすい所である.
▲写真6 加減弁引棒と加減弁取付管.
写真6蒸気溜のドーム部が取り外された状態で,中央にある棒が加減部引き棒,左上の曲がっているパイプが加減弁取付管である.この上に加減弁がある.加減弁取付管はそのまま写真7の乾燥管につながっている.
▲写真7 乾燥管.写真の下に見える穴の開いた板は煙室管板である.
外側から見た限りでは乾燥管の状態は極めて良好である.
▲写真8 缶胴の内側の状態.リベットとコーキングにより
ボイラ用鋼板が接続されている.
写真8にあるようにボイラの缶胴は鋲接(リベット)とコーキングによりつながれており,溶接は使われていない.1940(昭和15)年頃のボイラの溶接は日本では行われておらず鋲接が当然であった.当時はそこまでの溶接技術が無かった.溶接によるボイラ新造は戦争末期のD52などからである.缶胴の材料はボイラ用鋼板である.
▲写真9 煙室側から見た煙室管板
▲写真10 過熱管寄せ.C10とC11で共通化が図られていることが分かる.
この他にもC10,C11,C12で共通化の図られている部品が数多くある.
写真9は煙室管板を煙室側から撮影したものである.後述する煙管はこの煙室管板の側から火室側へ向かって挿入する.
写真10は煙管寄せである.鋳物(FC18)で作られおりこれはC10とC11で共通化が図られている.
煙管は火室の燃焼ガスを煙室に導きつつその外周に接する缶水に熱を伝えて蒸発させる作用をすると共に火室および煙室を連結する役割を持つ.大煙管にはその内部に4本の過熱管が入っており,過熱管内部を通る飽和蒸気を過熱させている.この構造をスーパーヒーターと呼ぶ.煙管は火室管板の方の径を小さくし,煙室の方の径を大きくして煙室側より挿入し,煙室管板側は単にエキスパンダ(拡管器)で煙管を押し広げて管板に密着させて缶水の漏洩を防いでいる.エキスパンダはかつては手動式のものを使っていたが,現在では電動のものを使用する.手動式エキスパンダは千頭駅SL資料館に保存されている.火室管板側は特に銅製の口輪(フェルール)を煙管と管板の間に挿入し,煙管の端部を折り曲げ,さらに溶接して(小煙管は必要に応じて)缶水の漏れを防いでいる.煙管にはボイラ用鋼管を,管板にはボイラ用鋼板を使用している.
C11の大煙管は直径127mm,長さ3200mmで24本,小煙管は直径45mm,長さ3200mmで87本である.なお,煙管に穴が開くと火室内に缶水が入り火が消えてしまう.大井川鐵道の場合,煙管に開いた穴が数本までであれば煙管の取り替えを行わず,穴の開いた煙管の煙室管板側と火室管板側の穴を塞いで対応する.数本までならば蒸気の圧力が多少下がったとしても列車の運行自体に支障は出ない.
写真11は抜き取られた大煙管と小煙管である.抜き取られた煙管の状態は極めて良好で抜き取らなくても良かったのではないかと思われるほどである.また1966(昭和41)年10月,大分国体のお召し列車牽引の前に鹿児島工場で整備を行ってから1974(昭和49)年までの間の走行距離があまり多くなかったのではないかと思われる.この煙管は部分的に溶接により延長された形跡があった.鹿児島工場での整備の際,煙管の状態が良かったのではないか,そのため管を接いだ上で再利用したのではないかと想像できる.
新しい煙管は住友金属工業株式会社へ特注している(材質:ボイラ用鋼管,STB340-SC).煙管はロット別にテストピースによる材質や強度の測定を行い,ミルシートに記録する.その後加工工場で加工・検査・試験の上,ミルシートと共に大井川鐵道に納入されC11 190号に取り付けられる.
新しい煙管の取り付けは2002年5月下旬,スーパーヒーターの取り付けは2002年5月末の予定で,その後ボイラの水圧試験を行う.
▲写真11 抜き取られた大煙管と小煙管.状態が極めて良好であった.
▲写真12 蒸気弁室内部
▲写真13 シリンダ内部
▲写真14 各種ピストンリングを削り出すために鋳造された材料。
写真12は蒸気弁室内部,写真13はシリンダ内部で通常は見ることが出来ないものである.写真14は各種ピストンリングを削り出すために鋳造された材料.写真は大気中で2〜3年かけて自然時効(エージング)している状態.ピストンリングはこれら材料を使い,旋盤による機械加工により製作する.様々なサイズのリングも自在に製作することができる.
写真14の小さい方の材料はピストン弁用のものである.
蒸気機関車修理には名人芸が必要である.蒸気機関車のボイラの溶接ができる名人が必要で,こういった職人は各県に1人くらいしかいないというのが実情である.大井川鐵道においてもボイラの溶接は専門の業者に依頼している.大井川鐵道では蒸気機関車本体の復元・保存だけでなく蒸気機関車の維持に必要な人材の育成と修理技術の伝承も行っている.大井川鐵道では修理技術と同様に投炭技術の継承にも力を入れ,またそれを誇りとしている.黒煙を出さない完全燃焼をする投炭は機関車の修理と同じく重要であり,また難しい.
▲写真15 C11 190号に残っているランボードのステンレスの飾り。
1966(昭和41)年10月の大分国体の際のお召し列車牽引時に取り付けられたものが今でも残っている。
以上、C11 190号のボイラ内部の状態をご紹介した。間もなく煙管が入れられるのでこのレポートでご覧頂いた写真は今後見ることができない貴重な記録となる.
C11 190号のボイラ内部は当初予想されていた以上に状態が良く,煙管についても抜き取らずにそのままでも使えたのではないかと思われるほどの状態であった.これは1966(昭和41)年に大分国体でお召し列車として使用される前に重整備をしてから廃車までの期間が短かったためと思われる。C11
190号は熊本県八代市の小沢年満氏が廃車後に個人で購入し,復活を願いながら大切に保存していたものである。
市民を巻き込んでの現役復帰への道を歩み初めてから間もなく1年になるが,費用的にもまた時間的にもまだまだ道は険しい.
最後に小沢氏が自力で保存されたというこれまでのご努力に誌面をお借りして敬意を表したい.
C11 190号の復活作業の進行状況は大井川鐵道のホームページに適宜報告されているのでご参照頂きたい。
【C11190復活支援会員募集ホームページ】
http://www.oigawa-railway.co.jp/C11190tirasi.htm