B6東海道を行く
〜大井川鐵道におけるSL保存の原点〜
B6…2100形SLの2109号は、大垣の西濃鉄道で長らく使用休止となっていたが、イギリスのB6の最も初期のものとして貴重な存在であるので、何とか解体を免れるようにと考えていたところ、このほど鉄道友の会名古屋支部の世話により、大井川鉄道千頭駅に保存、展示することとなった。私の育った名古屋地方では、B6のいない所はないくらいで、誰にとってもB6はたいへん思い出深いSLであるが、今回保存することとなったB6は、1981年英国ダブス製の2109号で、同僚の2105号と共に国鉄から最後は松本にいたものを西濃が譲り受け、ほとんど原型のままで昭和39年まで使用していたが、同社のディーゼル化に伴い失職して2105は解体され、2109のみが解体を免れていたものである。
▲西濃鉄道時代で解体前の2105 写真撮影・提供:権田純朗氏
○発車式
大垣から大井川への発車式は、8月2日10次から、友の会名古屋支部の主催で開催され、長年、国の発展のためにつくした功績をたたえる祝辞、花輪の贈呈、記念撮影などを行った。
○いよいよ東海道へ
8月8日、大垣からいよいよ東海道へ出て貨物列車の後部に連結され、一気に稲沢へ、稲沢ヤードでは何回も入れ替えの上一泊、翌9日早朝稲沢を主発、かつてB6の巣であった名古屋・豊橋・浜松へと向かう(ただし、熱田の入換は6250形が多かった)。浜名湖鉄橋では、かつて浜工の試運転で走っていたB6・5500・D50を思い出す風景だった。EH10にぐんぐん引かれて65Km/hいっぱいで走るが、乗心地はさして悪くなく、ガランガランというロッド音も快調に浜松へすべり込んだ。昔B6のタマリ場だった浜松でTV撮影、給油、一泊し、翌日再びEH1022に引かれて発車する。袋井・金谷などまことに昔のおもかげを残しており、ここでのB6は全く良く似合い、隣にC53とD50がいれば若き日の東海道線そのままである。菊川の大カーブでは明治の昔そのままに、この次再びB6が東海道を行くのはいつのことかと思うと、今の時が貴重に思われる。
▲浜名湖を渡るB6(2109) 1970年8月9日 写真提供:白井 昭氏
○千頭展示場へ
大井川鉄道の車両基地で、チムニーキャップやロッドの取付け、ターンテーブルで方向を南向きとし、バッファービームを赤塗りとするなど手入れをした上、8月13日、大井川の貨物201列車の最後尾で千頭へ向かう。焚火により灰色の煙をあげながら10何カ所のトンネル、ガケの上、4カ所の大井川の鉄橋を通り、25パーミールの勾配を上って千頭へ到着した。その間の姿もSLファンには絶好の写材になるものであった。千頭に置いたのは、南アルプスや井川線などで来客が多く、乗換駅であること、スペースが十分であり、撮影に好都合などによる。
○今後の使い道
今後の維持が容易なものでないことは十分承知している。しかし、せっかく皆さんのご尽力で安住したB6なので、今後はファンの方々の希望に応じた使い方をしてゆきたい。年に何回かはトンネルや大井川を背景に走らせてみたり、乗ったり写したりも行いたいし、ライブで動かす提案があれば、ぜひ協賛したい。鉄道百年には、今日の現在ライブを集めて東海道を走らせたら……とも夢見る。
バルブギヤやキャブ内構造は、工学史的にも貴重であるので、キャブ内立入禁止として、厳重に保管に務める。社員にはB6保存の通達を出した。ただし、撮影には許可は不要で、自由であり、B6と並んで元省電モハ1の後身であるモハ301も展示してある。このほうも、GEのマグネチック・コントローラーやダイナモーターは昔のままである。
(鉄道ファン(交友社) 1970年11月号(通巻114) REPORTより)