鉄道フォトギャラリー

逐次増やしてまいります。

往時の名鉄特急 5500型6連 新しい知立駅の東方 昭和34(1959). 5 As
  わが国初の“料金不要冷房付き車”として華々しく登場したときの写真です。
  丸みを帯びた貫通式前頭部、前作の 5200型譲りの3ヘッドライト、埋めこみ式貫通幌、2扉車体の全電動車です。たいへん優れた乗り心地で特急用に活躍し、40年以上経た今でもその優秀さゆえ命脈を保っています。
  標題の“新しい知立駅”とは、本車両がデビューしたのと同じ年に、三河線との交差部にあった知立駅を約 600m名古屋寄りに移設し、かつ三河線を南北から引き込んで統合駅にした現在の知立駅のことです。
東海道新幹線公式試運転列車 名古屋駅 昭和39(1964). 7.25 As
  東京−新大阪間で公式試運転が始まった日に、大阪方から名古屋に到着した上り試運転列車です。新幹線ホームへは入ることができないので、在来線のいちばん西、関西線ホームから撮っています。後尾に軌道試験車を1両 併結していました。
  その列車が到着する直前に、手前の貨物線を D51牽引の貨物列車が通過していきました。それが下の写真です。
  すんでのところで新幹線と蒸気機関車の“並び”が見られるところでした。新幹線が走り始めたころは、名古屋地区でもまだ蒸機が健在だったのです。
「義経」号機関車 兵庫県西宮・阪神パークで 昭和28(1953). 3 As
  甲子園球場の横に「阪神パーク」という大きな遊園地がありました。昭和初期の開園で、当館長も小さいころ、親や近くの親戚の人に連れられて行ったものです。最近まで営業していたのですが、残念なことに平成15年の春に閉園してしまいました。跡地にイトーヨーカ堂ができると聞いています。
  この写真は、昭和28年に、園内に短い線路を敷いて展示運転(有火)したときのもので、私の鉄道写真としては初めのころのもののひとつです。
「義經」(よしつね)号レプリカ JR小浜線 若狭本郷駅前 平成12.10 永田善久氏撮影
  福井県大飯町、JR小浜線「若狭本郷」の駅前です。
  レプリカといっても、オリジナル通りの寸法・構造で、平成2年(1990)に大阪で開かれた「国際花と緑の博覧会」会場内で運転されたものだそうです(無火?)。
C11 155 東海道本線・現「金山」駅付近 昭和29(1954). 4 As
  現、「金山」駅付近を走る東海道本線の武豊行き客レです。当時はここには駅がありませんでした。
  名古屋から東海道本線を大府まで行って武豊線に入る列車はこのように以前からありました。
  終点で転向しないでも運転できる C11は、このような短距離列車にはうってつけでした。原写真を見ると、リベットが並んだ古い客車を牽いています。
  このころは、疾走してくる列車をタイミングよく捕まえることにワクワクしていたもので、画角の広い標準レンズですと一瞬早いと被写体が小さいし、また一瞬遅れると前頭部がフレームアウトしてしまいます。この写真はうまくいったほうですが、車両の形をよく出すためにはもう少し横がちに撮るべきでした。
C59 45 名古屋・笹島ヤードで 昭和29(1954). 6 As
  東海道本線を疾走していた 私の好きな型式の機関車です。
  笹島貨物ヤードで、名古屋機関区や客車区の車両展示会が行なわれたさいに撮ったもの。当時はフィルムが惜しくて、展示会の様子がほんの 2・3枚しか撮ってないのが悔やまれます。
D51 777 国鉄中央本線 鶴舞−名古屋間 昭和30(1955). 5 As
  名古屋発の上り客レが、東海道本線・名鉄本線としばらく並走したのちそれらをアンダークロスして東側へ出てきたところです。この先も現・金山駅(当時は駅がなかった)までしばし並走したのち北へそれて行きます。当時は単線でした。
  中央本線は木曽路を辿っていく勾配線のため、客・貨とも D51が牽いていました。
  右にちょっと見える電車は ツートーン塗装時代の名鉄特急で、3850型かと思われます。
  写真の D51 777 は現在、刈谷市交通児童遊園に保存されています(平成17 As)。
EH10 34 国鉄東海道本線 上り貨レ 熱田駅東 昭和51(1976). 7 As
  EH10は、2軸ボギー×2 の車両を2台永久連結した 8軸駆動の強力な電気機関車でした。EF58など、ぶどう色の電気機関車が多かった中で、この機は大きな真っ黒の車体に黄線が2本入った、「マンモス電機」と呼ぶにふさわしいもので、長大貨物列車を牽いて、文字通り東奔西走していました。
  縁があって、稲沢機関区の側線でこれをちょっと動かさせてもらう機会がありました。30ノッチ以上あるマスコンを 3ノッチまで入れただけでスイスイ動いてしまい、びっくりしたものです。
8620型 58654号 JR熊本駅 平成 2(1990). 7 As
  豊肥本線「あそBOY」号の発車待ちシーンです。
  九州タイプのデフレクターを付けられて、オリジナルスタイルと違うのが気になりますが、クランク位置といい、光線状態といい、きわめて正統的な機関車写真が撮れました。背景がうるさいのが惜しいところです。
  最近は、煙突がラッパ形に変わってしまったようです。
  8620型は、立野の急勾配では苦労しますが、平坦線ではかなりスピードが出る機関車です。
  阿蘇に登るさいは、鉄道ファンなら 車やバスで行かないで、熊本から阿蘇駅までぜひこれに乗って行ってください。その先は登山バスがあります。
C53 45 梅小路蒸気機関車館 平成15(2003). 3 As
  昭和初期に作られた 3気筒、軸配置 2 C 1 の大形蒸気機関車で、戦前は特急列車を牽いて華々しく活躍しましたが、2気筒の大出力機の C59 や C62 が現れてからは急行や普通を牽いていました。
  3気筒のうち 2気筒は、通常の機関車と同様、左右に付いていますが、あとの 1つは前部のやや上部に付いていて、メーンロッドは第2動輪の曲軸に連結され、他動軸への出力配分は左右のサイドロッドに依っています。3つのピストンの位相は互いに 120°異なっていて(厳密にいうと、中央気筒が上にずれている分、第2動輪の曲軸の位相がずれている)、複働機関であることから、全体として約60°ごとに力が出ます。したがって、90°ごとに力が出る 2気筒機関車に比べ、3気筒機関車は円滑な走り方をするという特長があります。
  これは発進加速時にとくに顕著で、機関車に近い客車に乗っているとその違いがはっきりと体感できました。つまり、2気筒機関車が牽くときは明らかに加速に波が感じられますが、3気筒の C53 の場合はたいへん滑らかでした。排気音も、他機と異なり「 6拍子」でした。
  ぜひもう一度走らせてもらいたい機関車ですね。
寝覚ノ床(ねざめのとこ)と 381系特急 平成 7(1995). 4 As
  「寝覚ノ床」は木曽川河中の奇岩列のことで、JR中央本線(西線)随一の好風景です。倉本(くらもと)−上松(あげまつ)間で 車窓から見ることができます。
  381系電車はご存知「振り子車」で、屋根上に運転台のほかは何もなく すっきりしています。低重心化のためエヤコンの室外機が床下へ移されているからです。現在は、第二世代振り子車である 383系に置き換わっています。
  なお、手前の樹が伸びたため、残念ながら今はこの角度の写真をうまく撮ることができません。
EF200 9 JR東海道本線 名古屋駅北方 平成16(2004). 2 As
  JR貨物の、わが国で最強力高速の直流用インバーター制御電気機関車です。長いコンテナー列車をぐいぐい牽いていく力持ちですが、加速時はたいへん電流を食うので、沿線の給電設備が軒並み能力アップされるまでは、出力を少し絞って運用されているそうです。
C57牽引客車列車、名鉄 5200型、7000型 Nゲージ模型 As
  館長所蔵の Nゲージ模型を、普段線路ぎわで見るような角度で撮ってみました。キット製作または購入・加工した車両です。
  C57の牽く客車のうち、(写っていませんが)食堂車は、内部のテーブル・いすやキッチンまで作ってあります。
  ピンクとマルーンのツートーン電車は、5500型の直前の 5200型で、スタイルは酷似していますがクーラーなしです。赤い電車は、おなじみ 7000型「パノラマカー」です。いずれも連結面間を実物に近づけて短縮してあります。


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