阿里山鉄道姉妹化20年と今後

2007年10月

白井 昭(名古屋レールアーカイブス)

 大井川鉄道と阿里山鉄道が姉妹化20年を迎えたのを機に、その成果と今後を展望したい。

姉妹化の始まり

 日本の敗戦後、阿里山鉄道は台湾政府林務局による森林鉄道として引き継がれたが、1970年代から本村搬出は終わり赤字も増大した。 1986年、台湾の国会では鉄道廃止を含む対策を求めていたが、同じ運命のもと、今も生存している大井川鉄道と姉妹化して学んでいく方向が示された。私鉄対国営が問題であつたが、お互いに予算は最小にし、チエを学びあうことをルールにしてス夕ートした。
 日本の敗戦後、阿里山鉄道は台湾政府林務局による森林鉄道として引き継がれたが、1970年代から本村搬出は終わり赤字も増大した。 1986年、台湾の国会では鉄道廃止を含む対策を求めていたが、同じ運命のもと、今も生存している大井川鉄道と姉妹化して学んでいく方向が示された。私鉄対国営が問題であつたが、お互いに予算は最小にし、チエを学びあうことをルールにしてス夕ートした。

20年の動き

 この間に地元の観光も含む交流が続いて知名度を高め、実習生の引き受け、指導者の派遣など知的交流にも努めてきた。交流人員は増えたものの経営上の成果は不十分で、今後に課題を残している。

 雪と28tシェイ(撮影:2005年11月24日 台湾林務局)

焚火技術の継承失敗

 始めにシェイ式SLの復活を提案しハードは実現したが、焚火技術の中断という「人」の面で失敗した。大井川では火はSLの命として使命感を待つが、現地では、カマ焚きなどやらされるのなら鉄道を退職するといった気風も強く、かつての名人には体力がない。石炭焚きSLは昔と違い平地短区の運転に限られてくる。
 そこで油焚きを薦めて実現したが、台湾にはSLの油焚きボイラの技術がなく失敗。登坂できないので短区、緩勾配で運転し、急勾配ではDLを動力に、SLはドラフトや汽笛を聞かすゼスチュアとして登場している。

提案の過半は失敗に

 DLの総括化も空転制御で失敗に終わり、アンチ夕リーバーは現物を寄贈したものの理解さえしてもらえなかった。冷房客車の台車は80年前の設計だが、そのことの分かる人はいない。これら失敗の原因は私の国際性の欠如によるもので、先方様には誠に申訳なく思っている。一方、井川縁は先方に比し遅すぎるが、その改善は実現していない。

山頂の車規制

 これは政府マ夕ーであるが、阿里山への自家用車の無規制、混乱は鉄道を滅ぼす以前の、国家の品性の問題で、上高地に学んで早急に対処しないと阿里山そのものが駄目になっていくだろう。世界遺産活動以前の問題である。しかしこの提案もまた失敗に終わるかも知れない。

国営の明暗

 今までの阿里山鉄道は、日本で予約しても現地へ行くとガラ空きなど、あるべきサービスが欠けていたが、国営、しかも農林省では限界があったのか札しれない。 しかしもし民営だったとしたら、台風、地震のため今までに鉄道は消えていたであろう。

民営化への期待と不安

 今は国営の同鉄道は2008年中にBOTにより民営化され、私も何かと依頼されているが、台湾高鉄以上に課題が大きい。民営化でホテル、マンション、スーパーは成功するが、鉄道は赤字で廃止を心配する入札ある。当事者は鉄道を守ることを約束しておられるが、土建業が鉄道を経営して運転の安全を理解できるのかなど、すべてはこれからに掛っている。民営化により増発やサービス、大井川なみにシェイの運転の 「予告」などを希望、期待はしているがやはり実現は無理かもしれない。
 今後の関係は、大井川鐵道と新会社を中心に林務局とも友好を続け、交通部とはオブザーバー的関係となる。今後数年の動向かそのカギとなるので大切にしたい。今年のスイス・ツアーには阿里山の新会社幹部3名を同行したが、姉妹契約はできなかった。 しかし将来の国際3姉妹鉄道に期待したい。
 嘉義と島田の姉妹町化もすすめているが、要は歴史的、国際的な文化財である阿里山鉄道の廃止を防ぐのが私の最大の願いであり、その前にこの険しい急勾配鉄道が事故を起こさないことを祈っている。


白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


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