名鉄アーカイブスを発掘する@

2005年6月10日

白井 昭(中部産業遺産研究会・名古屋レールアーカイブス)

 私は,今のうちに発掘し言い伝えておくべき戦前・戦中のことを調べているので,その成果をお伝えしたい。調査は,要は人脈が基なので,80歳位の名鉄OBを芋づる式に頼った結果を次世代へ伝えたい。

豊橋線を走ったC58

 この情報の提供者は,鳴海乗務区OBの酒井敏雄氏(79才・当時20才)とその仲間である。 戦時中,美合の日清紡は軍事工場化(三菱、航空機)されたが、動力は石炭発電で、ELで石炭を運んでいたが,昭和一19年になると旅客(三菱大江)までEL化され、省のC58 が豊橋線に入ることになった。経路は稲沢−熱田−神宮前−美合−日清紡で、SLと要員は稲沢、名鉄は鳴海常務区の助役をあてた(一部推定)。
 C58は力はあるが、帰りのバック運転は信号が見難い上、冬は暗くなり市内は汽笛を鳴らして注意運転をした。C11が適任に思うが給水が問題か。
 これとは別に東海道代替輸送(爆撃)のため、豊橋線全線にてSLの試運転を行って成功し、ルールも定めたが実現はしなかった(名鉄局の情報あり)。
 大井川鉄道にはD51が入っているが、名鉄はC58と思われる。
 戦後当分の間、日車の1Cテンダ(海南島、103)が神宮前−鳴海に運転されたが、夜間のため有名ではなかった。
 SLでは、ボイラでイモを焼くなど武勇伝が多く、私も6250やC58の自慢話をよく聞かされた.

新製当時のC58形SL

白井 昭:
名古屋レールアーカイブス会員、産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


[ 白井昭電子博物館トップへ | 中部産業遺産研究会ホームページ | メールでのご意見・お問い合わせ ]

Copyright 2005 SHIRAI Akira, All rights reserved.