夢に終わった大いなる野望

〜幻の3連接市電計画〜

白井 昭

省電もバスも無い戦時下の名古屋では、軍用機の増産のため市電の大幅な輸送力増強が求められていました。
 すでに昭和16年より、2600、3000形の連節車が作られていましたが、昭和18年にはさらに連節車の大量生産を目指して戦時型連節車2700形が発注されました。
 この2700形は、名古屋市電に100輌以上あった木造単車をつぶして、高床の戦時型連節車を大量に作るもので、昭和19年には木南車輌で16輌分32車体の鋼体が完成し、市電気局の西町工場へ搬送されてズラリと並べられました。
 ところが同年、軍用機の増産と市電の輸送力増強がさらに求められ、市の電気局では2700形の2車体を3車体連節に変更し、これを市内主要幹線に投入。大量の3車体2700形連節車の続行運転により、軍用機生産の中心地・名古屋の輸送にあたることを計画しました。

●戦時型市電
 2700形は在来車からの部品う充用を主体に代用資材を使い、台車はブリル21Eを自工場でボギー台車に改造し、モーターや車輪なども転用するなど、新造は最小限とする戦時型設計とされました。
 時局柄、肋骨天井に裸電球、座席は木造。モーターは単車2輌分から3車体1本分が確保出来るとされましたが、高床用のため改造新車は高床車となりました。3車体の2700形も、車体は木南車両で新造される予定でした。
 戦時中の名古屋市電は陸上交通の王様。どの車輌も工員輸送のため超満員で、急行は東新町交差点まで通過という手荒なものでしたが、大事故などの無いのは不思議でした。
 前述のように、この市電列車は市内の各幹線で急行運転の主力となる予定であり、これらの計画は極秘ではありませんでしたが、これを知ろうとするファンもいませんでした。


ブリル21E改造ボギー台車。名鉄サ2250が履いていたものを撮影。写真:白井昭


連接車の種車となった木造単車。写真所蔵:白井昭

●2事体2700形の出現
 しかしこの計画も、空襲の激化によって時すでに遅く、終戦と共に夢のまま終わってしまいました。終戦時には地下軍需工場など多くの計画が未完のまま残されましたが、この3連節市電もそのひとつでした。
 計画は立案されたものの、続く車体も機器も入手出来ず、2連も3連も出場しないまま終戦を迎えましたが、2700形の32車体は空襲を免れて生き残りました。引き続き超満員の状況が見られていた輸送状況を緩和すべく、この32車体の活用が図られることになりました。
 設計は戦時型のままで高床式(2段ステップ、2車体の2700形連節車11セットが、昭和23、24年に作られたのです。台車はブリル76系を新造し、完成時は戦時色の青っぽい緑一色に塗られ、ポール付き、肋骨天井の戦時型でしたが、やがて標準形に改造されてゆき、緑と黄色の塗り分け、低床化、ビューゲル装備に空気制動もSMEとなり、長い満員が続いた戦後の輸送に大いに役立ちました。後に、残りの鋼体で1700形ボギー車5輌も新造されました。

●3連節車体の検証
 戦後間もなく、名古屋市電気局の西町工場で、計画中止で不要となった2700形3連節車の図面をいただきました。当時3達節は非常に珍しいと思い、高松吉太郎さんに差し上げましたので手元にはありません。今回記憶を頼りに作図してみましたが、中間車が4枚窓では不経済、6枚ではボギー中心が7,500mmと過大。ボギー中心6,700mmとなる5枚窓が正解ではないかと思いますが、原図を写していませんので割り付けが判りません。資料保存の大切さを反省するばかりです。
 もしこの3連節車の大量増備が実現していたら、名古屋市電からチンチン単車が消え、各幹線は外国のLRTのように3車体連接列車の続行で埋まり、LRT前夜の状況となったことでしょう。しかし現実は地下鉄の開通、市電の廃止となりました。今でも広小路線などはバスよりはLRTの方が適していると思います。基幹バス、ガイドウエーバス、HSSTと、新しいもの好きの名古屋でなぜLRTが走らないのでしょうか。


3車体の2700形形式図。作図:白井昭


3車体の2700形完成予想図。作図:市岡幸次


白井 昭:
産業考古学会会員,中部産業遺産研究会会員,鉄道友の会参与,海外鉄道研究会会員,日本ナショナルトラスト会員.


白井昭氏の論文・著作が含まれる書籍が中部産業遺産研究会の書籍販売のホームページから入手可能です。
http://www15.ocn.ne.jp/~t-long/tyusanken/syohan.htm 

「12号蒸気機関車」(シンポジウム日本の技術史をみる眼第22回報告集)(共著)
「明治村東京駅転車台」(シンポジウム日本の技術史をみる眼第22回報告集)(共著)
「大井川鐵道千頭駅のイギリス製転車台に関する調査報告」(産業遺産研究第10号)(共著)
「電車用空気ブレーキの系譜−AMPからHSCまで−」(産業遺産研究第9号)
「大井川鉄道の産業遺産と千頭駅SL資料館」(産業遺産研究第9号)
「名鉄パノラマカーの開発と設計」(シンポジウム日本の技術史をみる眼第18回報告集)
「地名の交通と運輸-大井川鉄道の建設と地名駅」(シンポジウム日本の技術史をみる眼第17回報告集)
「大井川鉄道と電気事業」(中部の電力のあゆみ第6回講演報告資料集)
「大井川鐵道」(愛知の産業遺産を歩く)
「千頭森林鉄道と智者山軌道」(産業遺産研究第6号)


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