イギリスの鉄道研究家と明治村

白井 昭

12号機関車の謎

 イギリスには日本の鉄道の古今について調査研究する「ジャパン・レールウエイ・ソサエティー」(直訳すれば日本鉄道協会)という団体がある。
 この会は1991年に発足し、会員はイギリス系を中心にドイツ人なども含む約300人で、研究とともにしばしば日本の鉄道の旅を企画し、新幹線からSL、路面電車などの旅を楽しんでいる。
 今年6月にはイギリス放送協会(BBC)の「鉄道の旅」(レールウエー・ジャーニー)番組の日本ロケがあり、大井川鐵道など各地を訪ねたがこのロケーションにもいろいろな助力をしている。
 彼ら自身は協会名の日本語訳を「日本鉄道友の会」としているため、時として日本の「鉄道友の会」と混同されることがあり、旅館の予約で日本人と思っていたところ、来たのは全てイギリス人で面食らうということも起きている。
 1997年の暮れ、この協会のチェアマンであるリチャード・トレメイン氏から私に、明治村で動態保存中の12号蒸気機関車について1つの質問が寄せられた。
 それは今、明治村で走っている12号機関車とその原型である国有の160形機関車の輸入当時の錦絵、あるいは写真との相違についてである。
 原型では通常、ボイラの上にある蒸気ドームが無いのに、なぜ明治村の12号には蒸気ドームがあるのか、その理由が明確に説明されていない、改造したのか、経緯を知りたいとのことであった。ヨーロッパの初期の蒸気機関車はドーム付きとドーム無しのものとがあったが、その技術の完成期を迎えた明治初年にはドーム付きが大勢を占めつつあった。
 160型機関車はイギリスから160〜165号の6両が輸入されたが、このうち160〜163号の4両は1872(明治5)年、日本の鉄道開業の際に1号(後の150形)機関車などとともに輸入され、これには蒸気ドームが無かった。
 164,165の2両は増備車として1874(明治7)年に輸入され、ほぼ同一設計ではあるが、初めからドーム付きで製造された。
 日本におけるドーム無しの機関車は最初期の少数のみで、160形の1次車4両も後にドーム付きに改造された。より良質の蒸気を得るためにはドーム付きが有利であったが、160形の6両はちょうどその過渡期を示している。
 なお、明治村の機関車の番号は当初1〜2桁で1909(明治42)年の全国的な形式、番号の付与により160形が与えられた。
 164、165の2両はともに1911(明治44)年に国から尾西鉄道へ譲渡されて(実際には尾西鉄道が所有していた600形蒸気機関車が大き過ぎ、運用上の不便があったためたことからこれをより小形の160形と交換した:白井昭氏談)、それぞれ尾西鉄道の11号、12号となり、そのうちの12号が今も明治村を走っている。
 これらの回答をしたところ、礼状とともに近刊の協会会誌「ピュレッティン」に紹介したいとのことであった。
 イギリスの研究家の中には日本の鉄道錦絵の研究家もいるが、錦絵の中の鉄道車両の絵は工学知識の不足から要部については荒唐無稽のものが多いが、中にはかなり正確なものもある。

12号機関車保存の意義

 明治村は産業遺産の動態活用が比較的少ないと言われいるが、その中にあって早くから動態で保存され、入場者に親しまれて活用されてきたのが蒸気鉄道と市内電車であった。
 ここでは2両の蒸気機関車を動態保存しているが、12号は特に古く、日本で最も古い動くSLであり、正統性からも第1級のものである。
 交通博物館の1号機関車が改造により原型を大幅に失っているのに対し、12号機はかなり原形を保ち、歴史保存の上で1号機に劣らず貴重な存在である。
 連結器は自動連結器を取り外して昔のチェイン式に復元したが、この際には淡路交通から古い連結器の寄贈を頂き、お世話になっている。
 元々、この希有の古典機が平成の現代に生き残るためには、以前からの永い努力と幸運な歴史があった。
 1955(昭和30)年頃、名古屋鉄道新一宮駅の600V、1500Vの複電圧が解消し、12号機が入れ替えの仕事を失ったとき以来、20年に渡り名鉄の手により時々要部に給油するなど、丁寧な保存が続けられた。
 そして明治村の誕生と歴史の奇跡的な連携によって今日まで生き残った。

保存工学に特記されるボイラーの新造

 多くの人々の努力と希有の連鎖により生き残った12号機は、明治村入りしてからもボイラーはイギリスで製造されて以来のものを使ってきた。
 しかし1985(昭和60)年頃になると経年は100年以上に達してボイラーの板厚の減少など使用に耐えない状態となり、動態保存の継続に転機を迎えた。
 そこで明治村では1985(昭和60)年にできるだけ外観を原型に近く保ちつつボイラー、水槽などを新造して機関車を復活させた。
 オリジナルのボイラーはリベット構造によるイギリス製品であったが、新しいボイラーは新設計による全く新しい溶接ボイラーで、今の日本の諸規則に沿うように設計された。
 工事は名鉄住商工業により進められたが、この復元事業は産業遺産の保存技術の上から重要な事業であり、できれば詳細な報告書を発表して記録に残してほしいところである。
 一方、取り外されたイギリス・Sharp Stewart社製ボイラーは、明治7年頃の設計、材料、工作を残す工学史上貴重な遺産であるので、明治村ではこれを蒸気鉄道の終点駅に保存、展示している。
 このボイラーはカットはされていないものの、フレキシブル・ステイは錬鉄を使用するなど、120余年前にマンチェスターで作られた当時を想像させるものである。
 日本では初期のボイラーのオリジナル品での保存は意外に少なく、戦艦三笠も機関室のボイラーは失われている。
 ボイラーは新品になったが12号機はスチブンソン式の弁装置、古い様式のスポークを残す動輪、明治の音を響かせる汽笛などイギリス生まれの貴重品はそのまま残っている。

むすび

 車齢120年を越える12号機関車の動態保存を可能にした名鉄、明治村の長年にわたる努力は高く評価されるべきである、特に1985(昭和60)年に実施された復活事業は大きな功績であった。
 一方、この機関車が製造された祖国イギリスの人たちがいろいろな研究を進めていることから、明治村の産業遺産全般についても、もう少し産業考古学的な調査、研究を進めたいものと感じる。
 本稿につき、お世話になった明治村はじめ研究者の方々にお礼を申し上げるとともに、今後訂正、補遺を賜れれば幸いである。

(交通新聞 1998年6月30日掲載)


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2003年6月、白井 昭氏よりご提供戴きました。
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