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● 事業署名  原町新聞販売所
● 所在地    群馬県吾妻郡吾妻町原町1126
● 所   長  斉藤 貴史
● 事業内容  新聞販売
           郵便ハガキ・切手・印紙販売
           各種宅配事業
● 従業員数  50人
西暦(和暦 ) 斉藤新聞店の歩み
調査中 斉藤浅吉、吾妻町原町紺屋町(現、斉藤吉三郎宅)に斉藤運送店を創業

原町祇園祭の様子(年代不詳)
左端の建物が斉藤運送店

斉藤宏太郎らが中心となって山車を作る
京都祇園祭の山車を見に行って参考にしたという
調査中 浅吉、町会議員に
1904年(明治37) 現在の店舗(吾妻町原町)に近藤廣吉氏定礎
1905年(明治38) 近藤守多・スミ夫妻 結婚
1908年(明治41) 斉藤宏太郎、誕生



斉藤 浅吉
1910年(明治43) 近藤宏二氏(のちにNHK顧問医師)、誕生
1911年(明治44) 佐藤(斉藤)きよ、吾妻町岩井に誕生
19??年(大正??) 宏太郎、足利銀行に入行(前橋支店、東京支店)
1926年(大正15) 10月19日、浅吉急死(46歳)、宏太郎が群馬に戻り、店を継ぐ




初代所長 斉藤宏太郎
1928年(昭和3) 宏太郎、きよ 結婚
1930年(昭和5) 宏太郎、きよの第一子・民子誕生
そのお祝いとして、製糸工「大阪屋」(吾妻町原町上之町・現北群馬信用金庫付近)の新聞配達業務を引き継ぐ
1934年(昭和9) 斉藤運送店を西洋画家・藤田嗣治画伯が訪問、エッセイにより新聞紙上で紹介される、以降、親交続く
1938年(昭和13) 10月9日、浅吉の妻・斉藤せん、死去(54歳)
1939年(昭和14) 近藤氏上京
旧近藤氏住居に塩原氏(東京電力勤務)、天野氏(大成建設勤務、上之町・山田屋さん親類)が居住した後、宏太郎が買い取り、店舗を現在地に移転
1940年(昭和15) 4月12日、宏太郎夫妻の長男・昌久、生まれる
1944年(昭和19) 朝日新聞社と販売契約を結ぶ
6月27日、戸谷(斉藤)きみ江、吾妻町原町に生まれる 斉藤家にもいた「フーテンの寅」

斉藤浅吉の二男、宏太郎の弟・善次郎は「フーテンの寅」のような人物だった。商家生まれらしく、数字に明るく、会計士となって、戦時中は朝鮮・釜山で税理士として活躍。現地で結婚もした。しかし終戦で帰郷すると、高崎市で博打打ちとなり、離婚。各地を転々と放浪し、最後は青森県・黒石市にたどり着く。そこで、元来の会計士としての腕を買われて、老舗旅館の仕切りを任された。高崎を離れてから吾妻に戻ったのは母・せんの命日にふらっと一度来ただけ。50歳にして黒石で亡くなった。芸術肌の一面もあり、マッチが燃えた後の墨を使い、達筆な文字で手紙を寄こす一面も・・・。


宏太郎謹書の「殉難六団員之碑」
(吾妻渓谷)
1945年(昭和20) 鉄道開通により、斉藤運送店の店舗を群馬原町駅に
6月20日、浅吉夫妻四男・清(船舶特攻隊中尉副隊長)、沖縄本島で戦死(23歳)
調査中 ベンツ3台で、運輸業に業務拡大、店舗は上之町・増田呉服店向かい
調査中 運送・運輸業を廃業し、斉藤新聞店となる
1960年(昭和35) 産経新聞社と販売契約を結ぶ
1962年(昭和37) 3月7日、吾妻町消防団第5分団消防車が火防巡視中に吾妻渓谷へ転落、6団員が殉死したのを受け、宏太郎団長を辞任
「殉難六団員之碑」に宏太郎が謹書
1965年(昭和40) 小池与一 入店
1967年(昭和42) 4月1日、昌久、きみ江 結婚
初出馬の山本富雄氏が公示を終えた足で式場に駆けつけて決起演説
1968年(昭和43) 4月13日、長男・範之誕生

善導寺参道入り口の黒門
1972年(昭和47) 宏太郎、群馬県遺族会理事(〜49年)、吾妻郡支部長(〜53年)、日本遺族会会長表彰を受ける
7月1日、二男・貴史生まれる
調査中 加藤茂友 入店
1975年(昭和50) 6月1日 宏太郎、吾妻町商工会第7代会長に(〜昭和53年度)
1976年(昭和51) 5月27日、野口武一 入店
1978年(昭和53) 3月21日、宏太郎夫妻、金婚を記念し、念願だった善導寺参道を整備、黒門を寄進
1985年(昭和60) 9月28日、宏太郎死去(79歳)
10月2日、吾妻町体育館にて合同葬
宏太郎、勲六等単光旭日章受章
斉藤昌久、2代目所長に
1989年(昭和63) 塚田とみ子、入店
1992年(平成4) 7月25日、斉藤きよ死去(88歳)
1993年(平成5) 深谷廣 入店
1994年(平成6) 範之、歯科医に
1995年(平成7) 1月1日、深谷たみゑ 入店
1995年(平成8) 1月15日、範之、櫻井聖子と結婚
4月1日、貴史、上毛新聞社へ入社
(95〜01 出版局 02 編集局、01労組青年女性部長)
1996年(平成9) 3月、大和田順子 入店
店舗改修
6月15日、鈴木正雪 入店
2000年(平成12) 渡 たみ子 入店
2001年(平成13) 9月12日、米同時多発テロと大型台風が重なり、新聞輸送が大混乱、新聞が店着せず所長が取り出しへ
2002年(平成14) 10月1日、武藤晃入店
12月1日、田村一晴入店
12月3日、昌久 急死(62歳)
12月、貴史、上毛新聞社を退社し入店
2003年(平成15) 2月14日、貴史、名義書き換えて3代目所長に
4月、所長、吾妻町商工会青年部へ入部、ホームページ委員に
5月1日、武藤しげ子 入店
6月1日、関明雄 入店
所長、関東新聞販売(株)で修行
雨天配達用のビニール梱包機導入
佐川急便の業務委託、メール便配達開始
11月、顧客管理システム導入
12月21日、町内積雪60cm超で配達網麻痺、最終は午前12時
2004年(平成16) 3月、顧客管理システム稼動
3月、ホームページ開設
3月、所長、伊参スタジオ映画祭実行委員会に入会
4月、所長、吾妻町消防団に入団
5月9日、所長、渋川高野球部後援会理事
5月10日、所長、商工会青年部理事
5月12日、クロネコメール便の委託配達業務開始
9月7日、「貨物軽自動車運送事業」認可
12月、お歳暮宅配事業開始、即撤退
2005年(平成17年) 4月、大原地区で集合ポスト配達から宅配へ配達形態移行
4月1日、デリバリー部門を分離 「F-to-shot」創設
4月10日、「F-to-shot]で「緑街クリーニング」スタート
5月21日、宏太郎の弟・吉三郎、死去(87歳)
7月8日、「あがつまこどもしんぶん」創刊
8月4日、「とれパク」開設
10月1日、在上地区の集合ポスト配達から宅配へ配達形熊移行
2006年(平成18年)
2月11日 高木衛 入店
4月9日 東吾妻町第一回首長選を前にした公開討論会で所長が司会を務める。
4月11日〜23日 高木衛「原町湊」準備のため築地「山治」へ出張
6月10日 所長、「ふるさと東吾妻再生チーム・HEART]の設立にかかわる。

10月10日 「原町湊」楽市楽座でデビュー
11月、NPO法人「ピースワーク」設立に所長がかかわる。
12月20日 原町大とり祭で「ピースワーク」が吾妻御縁屋で初仕事


12月24日 「高崎人情市」で原町湊がデビュー


12月30日 原町湊が宅配サービスを開始
2007年(平成19年)

3月2日 宏太郎の弟・金次郎(86歳)死去
3月23日 貴史、伊参スタジオ映画祭の副実行委員長
4月9日 NPO法人ピースワークが学童保育所「ジャンケンポン」を開所、所長が役員としてあいさつ
4月 田村広作さんの住んでいた隣接の貸家を田村さん転居に合わせて解体、駐車場に
4月 店舗兼自宅の2階をリフォーム


4月16日 中澤祐哉と茂木楓が入店


4月23日メール便の区域を坂上まで広げる


4月24日 斉藤新聞店ブログを開設


5月8日 貴史が東吾妻町商工会青年部 部長に
5月10日 貴史が吾妻郡商工会青年部連絡協議会の副会長に
5月11日 貴史が群馬県商工会青年部の理事に