ファベルジェの卵(Fabergé Imperial Easter Egg)

 

 

1885年、最初に作られた
 ”めんどり”エッグ 6.5cm

First "Hen" egg
ex. Forbes Collection
1894年製作の”リージェンス、又はルネッサンス”エッグ
フォーブス・コレクション
 現在はロシアの個人コレクション
"Regence" or "Renaissance" egg ex.Forbes Collection
now in Russia

1915年の”聖ジョージ”
"Order of St. George"

ex. Forbes Collection
 2004年4月の20日と21日にニューヨークのサザビーズにて9個の卵を含む180点余りのファベルジェの作品がオークションにかけられることになっていました。 総額で100億円を超えるとの前評判が高かった取引の行方に注目が集まっていましたが、2月4日、サザビーズはオークションが中止となったことを発表しました。
 出品予定の全作品をロシアの新興財閥ヴィクトール・ヴェクセリヴェルグが一括購入することになったためです。
 ファベルジェとは19世紀末から20世紀初頭にかけてロシア王室ご用達となった宝石商です。
ファベルジェがロシア王室の注文を受けて製作された数多くの宝飾品や飾り物、文房具、時計等、膨大な工芸品が残されています。 
 とりわけロマノフ家のアレクサンドルIII世とニコライII世の注文でそれぞれの皇后と母后のために製作されたインペリアル・イースター・エッグと呼ばれる作品群はその独創性に溢れる美しさと、精緻を凝らした仕掛けとで歴史上屈指の工芸美術品として名高いものです。
 ファベルジェの卵は全て卵と、中に”驚き”と呼ばれる嗜好を凝らした小さな仕掛けが入っています。
 最初に作られたものは七宝の白い卵の殻の中から黄金のめんどりが卵の中から出てくる単純なものでしたが、次第に豪華な飾りと複雑な仕掛けとが施されるようになりました。 1894年製作のリージェンス様式(1715〜23年、ルイ15世未成年時代のオルレアン公フィリップの摂政政治の期間)のお菓子入れー41ctの緑のダイアモンドで有名なドレスデン宮殿の緑の天井の間に展示されているーを模したルネッサンス・エッグは瑪瑙の卵を赤、白、青、緑の七宝焼きとダイアモンドとルビーをちりばめた金の格子で飾られています。
 このルネサンス・エッグの中にあったはずの仕掛けは失われてしまっていたと考えられていましたが、最近になってフォーブス家のコレクションにあった”キリスト復活”エッグが実は”驚き”の仕掛けであったと判明しました。

”キリスト復活”エッグ

 長らくフォーブス家のコレクションにあった”キリスト復活”エッグは1886年に製作されたと考えられていますが、ファベルジェの記録には独立した”エッグ”としては残ってなく、また何時、誰に贈り物として作られたのか、その由来が不明の作品でした。
 しかし、最近のフォーブズの資料によると、写真のように”ルネサンス”エッグの内部にすっぽりと納まり、またデザインや色合いも合うことから、1894年にアレクサンドルIII世皇帝が皇后のマリア・フェオドロヴナに贈ったルネサンス・エッグ用の仕掛け、と考えると様々な疑問が解消します。 ”キリスト復活”エッグは水晶をくりぬいたケース中に七宝の復活したキリストと天使の像が収まり、ベースは金の台に七宝と真珠飾られています。

キリスト復活エッグ 右は水晶のケース内部の七宝のイエスと天使
"Resurrection" egg Quartz case and enamel Jesus and Angeles
ルネサンスエッグ内部に納まったキリスト復活エッグ
Resurrection egg as "surprise" of Renaissance egg
 イースター(復活祭)はキリストの復活を祝い、3月21日以降の満月の次の第一日曜日に祝われる祭りですが、現在でも復活の象徴として美しく彩色された卵が贈り物や飾りとして使われます。
 ロシアでは長く寒い冬の後、春の訪れと共に祝われる復活祭は、とりわけ重要な祭りでありました。
1885年に製作が始まったロマノフ王朝の卵は毎年1〜2個が製作され、1916年までに50数個が製作されました。ロシア革命でロマノフ王朝は滅び、その膨大な財宝が失われましたが、ファベルジェの卵の大半は世界各地の博物館等に50個ほどが残されています。
 中でも11個と世界最大のコレクションを持つアメリカの経済誌の所有者、フォーブス家のコレクションには逸品が多く、その大半がオークションに売り出されたことから世界の注目を集めたのでした。
 今回、そのコレクションが一括してロシアのオリガルヒと呼ばれる新興財閥に買い取られ、革命からほぼ1世紀を経て再びロシアに戻ることになったのを機に、資料をまとめてみました。

 

ファベルジェの卵の作品の製作年代と製作時の価格、2004年2月時点での所在
製作年 名称 支払い額
(ルーブル)
現在の所有者
1885 Hen(めんどり)  4,151 フォーブス家(1978)
1886 Hen Egg(サファイア ペンダント付・籠の中のめんどり)  2,986 1922年以降行方不明
1886 Resurrection(キリスト復活) 不明 フォーブス家
1887 Blue Enamel(青の七宝) 不明 Starvos Niarchosコレクション パリ
1887 Blue Serpent Clock(青い蛇の時計)  2,160 Monaco レイニエIII世 
1888 Cherub with Chariot(戦車に乗るケルビム)  2,100 A.Hammerが売却 現在は不明
1888 時計を持つ天使 不明 行方不明
1889 Necessaire 【必需品、道具箱の意味)  1,900 行方不明
1889 Pearl (真珠) 不明 行方不明
1890 Emerald (エメラルド) 不明 行方不明
1890 Spring Flower(春の花) 不明 フォーヴス家
1891 Azov(巡洋艦アゾフ号)  4,500 モスクワ Kremlin博物館
1892 Twelve Monograms(12の組み合わせ文字)  4,500 ワシントンD.C. Hillwood博物館
1893 Caucasus(コーカサス)  5,200 ニューオルリンズ美術館
1894 Renaissance(ルネッサンス)  4,750 フォーブス家
1895 Danish Palaces(デンマークの宮殿)  4,260 ニューオルリンズ美術館
1895 Rosebud(薔薇の蕾)  3,250 フォーヴス家(1985)
1896 AlexanderIII(アレクサンドルIII世)  3,575 行方不明
1896 Revolving Miniatures(回るミニチュア)  6,750 ヴァージニア美術館 Richmond
1897 Mauve Enamel(モーヴ色の七宝)  3,250 フォーブス家(1978)
1897 Coronation(戴冠式)  5,500 フォーブス家(1979)
1898 Pelican(ペリカン)  3,600 ヴァージニア美術館
1898 Lilies of the Valley(すずらん)  6,700 フォーヴス家(1979年216万ドルで購入)
1899 Pansy(三色菫)  5,600 個人蔵 アメリカ
1899 Bouquet of Lilies Clock(百合の花束時計)  6,750 モスクワ Kremlin博物館
1900 Cockerel(鳩時計)  7,000 フォーブス家(1979年1,905,200ドルで購入)
1900 Trans Siberian Railway(シベリア横断鉄道)  7,000 モスクワ Kremlin博物館
1901 Gatchina Palace(ガチーナ宮殿)  5,000 メリーランド州 Baltimore Walter's Art Gallery
1901 Basket of Flowers(花篭)  6,850 英国王室
1902 Empire Nephrite(ネフライトの帝国)  6,000 行方不明
1902 Clover(クローヴァー)  8,750 モスクワ Kremlin博物館
1903 Danish Jubilee(デンマーク50年祭)  7,535 革命後行方不明
1903 Peter the Great(ピョートル大帝)  9,760 ヴァージニア美術館 Richmond
1904 Cathedral Ouspensky(ウスペンスキー寺院) 不明 モスクワ Kremlin博物館
1904 Alexandre III Commemorative(アレクサンドルIII世記念)  11,200 モスクワ Kremlin博物館
1905 Colonnade(柱廊時計) 11,600 英国王室
 1906  Swan(白鳥)  7,200 時計博物館 Le Locle スイス
1906 Kremlin(クレムリン宮殿)  11,800 モスクワ Kremlin博物館
1907 Cradle with Garlands(花冠付の揺りかご)  9,700 個人蔵
1907 Rose Trellis(薔薇の格子)  8,300 メリーランド州 Baltimore Water's Art Gallery
 1908  Peacock(孔雀)  8,300 時計博物館 Le Locle スイス
1908 Alexander Palace(アレクサンドル宮殿)  12,300 モスクワ Kremlin博物館
1909 Standard(皇室のヨットスタンダード号)  12,400 モスクワ Kremlin博物館
1910 Alexander III Equestrian
(アレクサンドルIII世乗馬像)
 14,700 モスクワ Kremlin博物館
1910 Love Trophy (愛のトロフィー) 不明 アメリカ 個人蔵
1911 Bay Tree(オレンジの樹)  12,800 フォーブス家(1966年35,000ドルで購入)
1911 15th Anniversary  16,600 フォーブス家(1966)
1912 Napoleonic(ナポレオン様式の) 不明 ニューオルリンズ美術館 Geddings Gray財団
1912 Tsarevich(ツァレヴィッチ) 不明 ヴァージニア美術館 Richmond
1913 Winter(冬) 24,600 個人蔵(1994年 560万ドルで取引)
1913 Romanov Tercentenary(ロマノフ家300周年記念) 21,300 モスクワ Kremlin博物館
1914 Mozaic(モザイク) 不明 英国王室
1914 Grisaille(グリザイユ) 不明 Hillwood博物館 ワシントンD.C.
1915 Red Cross with Imperial Portraits
(皇帝の肖像付赤十字)
不明 ヴァージニア美術館 Richmond
1915 Red Cross with Tripitych 不明 クリーヴランド美術館 Ohio
1916 Order of St. George(聖ジョージ) 不明 フォーヴス家
1916 Steel Military(鉄の軍隊) 不明 モスクワ Kremlin博物館

1885年当時の貨幣価値は1ルーブルが1912年当時の0.51ドルに相当。当時の1ドルは1997年当時の16ドルに相当と計算
したがって当時の1ルーブルは1997年の8ドルに相当します。因みに当時の1英ポンドは9.5ルーブルに相当。
** 資料によっては製作年代の推定が異なります。また1904年と1905年にはインペリアル・エッグは製作されなかったとする資料もあります。
ロマノフ王朝向けのほかに製作されたイースター・エッグが12個あり、ファベルジェのエッグの総数は62個あります。
春の花 1890年 
フォーブス・コレクション
New York

Spring Flower eff ex. Forbes Collection
Pamyat Azova号  1891年
クレリン博物館 モスクワ

Azov egg Kremlin Museum, Moskow
1893年 コーカサス Caucasus
Geddings Gray Foundation
New Orleans U.S.A.
白い卵の殻の中から現れる春の花は、イースターに相応しい嬉しい驚きであったことでしょう

1891年製のエッグからはニコライII世が世界一周航海をした時の巡洋艦”Azova"号の精密なミニチュア模型が仕掛けとして現れるます。

高さ9cmの”コーカサス”は朱色の七宝製の卵が金、銀、白金、ダイアモンド、真珠と象牙と水晶とで仕上げられています。パネルを開けるとコーカサス地方の山岳風景と狩猟小屋の絵が出てくる仕掛けになっています。 

デンマークの宮殿 1895年 Danish Palaces and 10 paints as "Surprise"
高さ 10cmの本体と中の10枚の絵 
New Orleans Museum of Art
デンマークの宮殿は高さが10cm。 七宝焼きの卵を金とスターサファイアとダイアモンド仕上げ。中には真珠母貝のスクリーンにロシアやデンマークの宮殿とそれぞれの皇室所有のヨットとが水彩で描かれた10枚の絵が収められています。
デンマークの皇女であったマリア・フェオドロヴナ皇后にとって、卵の中から現れた懐かしいデンマークの光景は何よりの贈り物であったに違いありません。
1895年 ”薔薇の蕾” Rose Bud egg
フォーブス・コレクション ex. Forbes Collection
1896年 回転する風景
Revolving Miniatures
Virginia Museum of Art
 U.S.A.
1897年 戴冠式 Coronation
ex. Forbes Collection
 New York
1895年の”薔薇の蕾”は金とダイアモンドで飾られた赤い七宝の卵の殻を開けると黄色の薔薇の蕾が現れる仕掛けになっています。
 1896年製作、高さ25cmの”回転する風景”はダイアモンドの輪で飾られた水晶の卵の中にはロシアの宮殿の絵が描かれたスクリーンが入っています。 卵の上部には26カラットのウラルさんエメラルド・カボションのつまみがあり、時計の竜頭のようにロックを外して回すと中のスクリーンが回転する仕掛けになっています。
 ”戴冠式”の仕掛けは前年のニコラスII世の戴冠式に使われた馬車です。七宝に金とダイアモンドで飾られ、」水晶の窓の馬車は扉を開けると降りる階段に至るまで精密に再現されています。さらに馬車の中にはブリオレット・カットのダイアモンドが隠されているという二重の驚きが用意されています。
1898年 すずらん 右は仕掛けの拡大
Lilies of the Valley
ex. Forbes Collection
1900年 ”シベリア横断鉄道”
Trans Siberian Railway
クレムリン博物館 Kremlin Museum, Moskow
1900年 ”鳩時計” Cockeret
フォーブス・コレクション

ex. Forbes Collection
 
”すずらん”は薔薇色の七宝の卵をダイアモンドで飾られた金の細工が縁取りし、周囲を七宝の葉と真珠のすずらんの花で覆う、当時流行のアールヌーヴォースタイルのエッグです。すずらんの花を一つ回す炉中からニコライII世と二人の皇女、オルガとタチアナの肖像が現れます。
 1900年のイースターエッグは”シベリア横断鉄道”の開通記念です。”驚きは”もちろん精密に作られた蒸気機関車と5両の客車で、それぞれ蝶番で繋がれた車両は折りたたみナイフのように折り曲げることが出来て、卵の中にすっぽり入ります。
 同じく1900年製作の”鳩時計”はロマノフ家の4個のエッグとそれ以外の注文で製作した、合計6個ある自動人形型の最初のものです。 ファベルジェは19世紀初頭に現れたスイス製の自動人形の複雑な仕組みを参考に、ミニチュアのエッグに組み込む自動機械を独自に作りました。 ”鳩時計”はロココ風に唐草模様のデザインを組み合わせた金と青い七宝の卵の中心に金とダイアモンドと真珠の時計がついています。 そして上のボタンを押すと鳩ではなくて、本物の羽毛で飾られた金の雄鶏が現れ、羽ばたきながら唄を歌う仕掛けです。
1901年 ”ガッチーナ宮殿”
Gatchina Palace
 Walter's Art Gallery
Baltimore U.S.A.
1905年 柱廊時計 Collonade 高さ 29cm 
英国王室蔵
Queen Elizabeth II
1907年 ”薔薇の格子”部分
Rose Trellis
Walter's Art Gallery
 Baltimore Maryland U.S.A.
1908年 ”孔雀”Peacock 高さ15cm 
時計博物館 Musée d'Horlogerie
Le Locle Switzerland
ガッチーナ宮殿とはサンクト・ペテルベルグ郊外の皇太后の住まいであった宮殿です。七宝の卵には花束と紋章と赤いリボンが書きこまれていて金箔の象嵌と真珠とで縁取られている。
”柱廊時計”は金の細工で飾られたネフライトの柱廊上にはめ込まれた白い七宝が時計になっている。卵に乗っている天使ケルビムが手に持った矢が時間を指すようになっていたが、現在では矢は失われている。
 ”薔薇の格子”は7.6cmと小さいが、金の斜子(ななこ)模様の卵の上に金の枝と七宝の薔薇の花と葉、さらに白金にダイアモンドを埋め込んだ格子が取り巻く、手の込んだ細工が施されている。
 1908年製作の”孔雀”は自動人形の一つです。この孔雀はエルミタージュ博物館にあるJames Cox作の有名な孔雀の自動人形に啓発されて製作されたものです。 スイッチを入れると金と七宝の孔雀はゆったりと頭を回しながら交互に脚を動かして歩み始めます。それから玉虫色に輝く尾羽を広げては閉じる動作を繰り返します。 
 このエッグは1906年製の同じ自動人形の仕掛けを持つ”白鳥”と共にスイスのMaurice Chandozコレクションとして時計で有名なショー・ド・フォンに隣接するル・ロクルの町の時計博物館に収められています。
 アレクサンドルIII世騎乗像 1910 
Alexander III Equitation
クレムリン博物館
Kremlin Museum
1911年 オレンジの樹
Orange Tree
ex. Forbes Collection
1912年 ナポレオン風 Napolenonic
 Geddings Gray財団蔵
New Orleans Museum of Art U.S.A.


”アレクサンドルIII世騎乗像”は彫刻を施した支障の台座と金、真珠、ダイアモンドで飾られた金の網目模様で覆われた水晶の卵の中にラピスラズリの台座上のアレクサンドル騎乗像があります。
”オレンジの樹”エッグは濃緑のネフライトの台座に金とダイアモンドの格子模様で飾られた白い石英の鉢が置かれ、鉢からは金の幹が伸び、ネフライトの緑の葉が卵の形に茂っています。葉の間には水晶とダイアモンドや色石で出来た花と実が見えます。一枚の葉がスイッチとなっていて押すと茂みの上が開いて小鳥が現れ唄を歌う精巧な仕掛けが施されている傑作です。
”ナポレオン風”は高さ11cm。 1812年の対ナポレオン戦争の戦勝100周年記念として製作されたものです。緑の七宝にきん、白金、ダイアモンド、象牙、ビロードと絹の仕上げ。兵士達の戦場での光景が描かれた6連のスクリーンが仕掛けです。

 
  1911年 15周年記念 ニコライII世と皇后の肖像拡大像
15th Aniversary - Portraits of Nicolai II and Empress Alexandra Feodrovna
ex. Forbes Collection
1912年 ”ツァレヴィッチ”
Tsarevitch
Virginia Museum of Fine Arts
 ”15周年記念”の卵は1894年に即位した皇帝ニコライII世の在位15周年を記念したもので皇帝と皇后の肖像画と戴冠式のミニチュア絵が仕掛けとなっています。
 1912年製作の”ツァレヴィッチ:ツァーの息子、即ち皇太子の愛称”はラピス・ラズリに金の網目文様細工が施してあり、上部には平たい四角のダイアモンドの蓋があります。開けるとローズ・カットのダイアモンドで飾られた白金製の二頭の鷹が現れ、その中から水平服姿の皇太子の像が姿を現す仕掛けになっています。

 

1913年 ”冬” Winter
Private Collection
Switzerland
1914年 ”Grisaille”
Hillwood Museum
 Washinton D.C.
U.S.A.
Surprises of Grisaille
上 グリザイユの仕掛け
下 モザイクの仕掛け
1914年 ”モザイク” Mosaic
1913年7月13日に書かれたデッサン上
に置かれた完成品と仕掛け

英国王室蔵 Queen Elizabeth II
 1913年に作られた”冬”エッグはファベルジェの卵の中でも最も高価な品でニコラスII世から母后のマリア・フェオドロヴナへのイースターの贈り物でした。 凍った大地と霧氷を象徴する卵は計360個の白のダイアモンドを散りばめた白金と月長石の嵌め込みとで飾られ、まさに太陽に輝く雪と氷とを再現しています。台座の1300個のピンクダイアモンドは春の日差しで溶けて流れ出すせせらぎを表します。
 卵を開けると、まるで雪の下から花が咲き出でるかのように、柳の小枝の籠を模した白金と1378個のピンクのダイアモンドの籠に敷き詰められた金の苔から野生のアネモネの花束が現れます。アネモネも金の雄蘂と水晶の花びらから出来ています。
冬の卵はファベルジェ自らが手がけた卵の一つでした。水晶で冬の氷を表すという案は、あのアルフレッド・ノーベルの甥で当時スウェーデンの石油業界の大立者であったエマニュエル・ノーベルから1911年に受けたイースター・エッグの注文を発展させたものです。
 長く厳しい冬が続くロシアでは、春を待ちきれない人々が氷漬けの特別列車を仕立てて南フランスから春の花を運ばせ、宮廷を飾っては楽しんだといういう逸話があります。
 1914年製作の”グリザイユあるいはエカテリーナ大帝”のグリザイユとは美術の技法で、墨絵のように灰色一色をその濃淡と明暗とで絵を書く技術です。エッグの8枚のパネルにグリザイユ技法のカメオでミューズが描かれています。このエッグの仕掛けはエカテリーナ女帝の乗った自動機械仕立ての輿です。
 王冠を戴き白テンの豪華な衣装を纏うエカテリーナ大帝は半透明のエナメルで仕上げられています。金の輿には鷲の紋章が彫りこまれ窓は水晶で出来ています。自動仕掛けがセットされると制服の黒人の従僕がゆったりと荘厳に歩み始めます。
 その優雅さと美しさとを称えてマリア皇太后はファベルジェに”あなたは比類のない天才よ!”と賞賛の言葉を与えた程です。
グリザイユは1930年にソヴィエト政府により売却されましたが、仕掛けの輿は別なルートでヨーロッパを転々として、1985年ジュネーヴのオークションにて143万スイスフラン(当時のレートでおよそ1億3千万円)で落札され話題となりました。
 現在は英国王室所有となっている”モザイク”エッグは金の卵に小さな四角の白金と、ダイアモンドと様々な色の宝石とを嵌め込んだモザイク技法で仕上げたものでニコライII世から王妃のアレクサンドラへの復活祭の贈り物です。 驚きの仕掛けは5人の子供達の横顔とその裏には宝石の花束とがあるパネルです。

 

       ファベルジェの作品の価値について
 ファベルジェのインペリアル・エッグは皇帝の注文によりそれぞれ何年もの構想を経て製作されたものです。
 構想とデザイン案はファベルジェ自身が行いました。彼自身も優れた宝石と貴金属の加工技術の持ち主でしたから数点には彼のサインが残っていますが、実際にエッグの大半の製作をしたのは優秀な宝石細工師のM.Perchinと、1903年以降はその後継者となったH.Wigströmです。Mikhail Perchinは1886年、26歳でファベルジェの工房に入り、卓越したデザイン感覚でファベルジェ工房の作品を斬新なデザインへと導く主導的な役割を果たしました。1903年、ペルチン死去後はフィンランド出身のHenrik Wigströmがその後を継ぎましたが、彼も劣らず優れた職人でファベルジェの伝統を一層発展させる役割を果たしました。
 長い歴史を持つ欧州の宝石加工技術の伝統の粋を集めて作られた一点ものの宝石細工とも言えるのがファベルジェのインペ   リアル・エッグですから、現在オークションで一点当たり数億円もの価値が認められるのは当然とも言えます。
 しかし、ファベルジェが皇帝に売却した値段は現在の貨幣価値からすると驚くほど安いものでした。
現在ドイツやアメリカ等の一流の宝石細工師に同じ物を注文したならば、皇帝たちが払った値段の数倍、あるいは一桁高い値段がついても不思議ではありません。
 ファベルジェの伝記に書かれた資料によれば、彼はインペリアル・エッグの製作に当たっては芸術家の立場から美しく独創的なデザインと仕掛けの実現を目指し、職人としては持てる限りの技術を注いだとあります。一方宝石商の立場としては材料費と製作費用さえカバー出来れば良いと考えていたようです。 これはインペリアル・エッグに限らず、一般的に作られた25万点にも達する工芸品の値付けの時にも同じ方針を貫き通しました。それは平均的なファベルジェの工芸品の値段が今日の通貨換算で平均100ドル程度であったことからも伺えます。似たような工芸品は、現在でもカルチエや和光等、高級宝石店等で入手できますが、それらと比べてもファベルジェの工房の作品は信じられないほど安い値段でありました。



ファベルジェの一般的な作品
マルボロー公爵夫人の
卵 1902年 
Duchess of Marlborough
ex. Forbes Collection

 
典型的なファベルジェ工房の工芸品
Typical Faberge's Art Work pieces
ダイアモンドと
エメラルドの
ブローチ 1900年
ミニチュアの
イースターエッグ
Miniature Easter eggs
ex. Forbes Collection
水晶の花瓶、
ネフライトの葉と
月長石の実の
ヤドリギ
高さ13.3cm

 

ジョン・ブル像
高さ 12cm
BC4世紀のスキタイの金細工の腕輪
ファベルジェによるコピー
BC4 Scuty gold bracelet
copy by Faberge
Erik Kollin製作
英王室の注文による瑪瑙の彫刻 左手前の白い
テリヤはエドワード7世の愛犬シーザー
英国王室蔵

Agate carvings ordered by Royal Family
ルネサンス風水晶花瓶
ロスチャイルド家から
ジョージ5世即位の贈り物
1911年当時430ポンド
(現在の3万3千ドル相当)

Renaissance style
Quartz Vase
ファベルジェのインペリアル・イースター・エッグの殆どはロマノフ王家の注文に応じて50個余り製作されましたが、その他にシベリアの金鉱開発で富豪となったKelch家の注文で7個、さらに5個がスウェーデンのノーベル家などの注文で製作されました。
 いずれのエッグもローマ時代からルネサンスを経てロココ、アール・ヌーヴォーと、ヨーロッパの工芸美術の伝統を視野に、さらにファベルジェ自身の独創を盛り込んで膨大な時間と手間を惜しまず製作したのがインペリアル・エッグでした。
 それに比べると19世紀半ばから革命の年の1917年までに製作された25万点にも達する膨大な宝飾品や工芸品の数々は取り立てて特徴がないのは当然といえば当然ですが、しかし宝石や貴金属等の素材の特質を活かし、丁寧な仕事で仕上げたものばかりで、今日残された作品の価値はとみに高まっています。
     ファベルジェの経歴
 ピエール・カール・ファベルジェは1846年にサンクト・ペテルベルグにて宝石商グスタフ・ファベルジェとデンマーク人画家の母親との間の長男として生まれました。
 ファベルジェ家はフランスのユグノー教徒の出身で祖先は18世紀末にナントの勅令が廃止されたのを契機にドイツとエストニアを経由して19世紀初めにサンクトペテルベルグに落ち着いた一族です。
     ナントの勅令
 16世紀半ばにフランスでは王権を巡る争いと新旧宗教の対立とが絡んででユグノー戦争(1562〜98)が起こり、その最中の1572年8月のサン・バルテルミーの夜にフランス全土で二万人を超えるユグノー教徒が旧教徒によって虐殺されました。この時、多くがユグノー教徒であったフランスの時計職人達がジュラ山脈を超えてスイスへ逃亡し、ショー・ド・フォン、ル・ロクル等ジュラ山脈一帯の町に高級時計産業が発展する基盤となった歴史があります。 当時カルヴァン派の新教徒であったユグノー教徒はフランスの市民階級に深く浸透し、後のフランスの産業基盤建設に大きな貢献を果たす市民層を形成していたのです。
 新たにフランス国王となったアンリ四世(1589〜1610)は国王となってカトリックに改宗しましたが、もともとユグノー教徒であり1598年ナントで勅令を発し、信仰の自由を保障して旧教と新教の対立に終止符が打たれることになって、その後のフランスの繁栄がもたらされました。
 しかし、後にルイ14世による絶対王政の確立は再び宗教対立を引き起こし、1685年にナントの勅令が廃棄されて多くのフランス人が国を去ることになりました。
 サンクト・ペテルブルグのドイツ系の高校で学んだ後に、ファベルジェは父の友人のドイツ人の宝石工房で職人としての道を歩み始めました。
 1942年に父が開業した宝石店は順調に発展し、息子は初めフランクフルトで、続いてフィレンツェにて宝石職人の技を磨いた後にさらにフランスとイギリスでは販売やマーケティングと、欧州各国での修行を積んだ後、1870年に46歳の若さで引退しドレスデンに移り住んでしまった父の跡を継いで独立しました。
 欧州各地での修行を経て、宝石や工芸品の新しいデザインの可能性を目指していたファベルジェですが、1881年にドレスデンの父の元から戻ったやはり宝石職人で先進的なデザイナーでもある20歳の弟のアガトンが新たに経営に参加した事で、その進路はいっそう明確になりました。当時の主流であった、ごてごてと飾り立てた宝飾品に対して、洗練されたデザインと技術を駆使したファベルジェの宝石や工芸品はたちまちのうちにサンクトペテルブルグの上流階級の賞賛を集めました。
 そして1882年にサンクトペテルブルグで開催された”汎ロシア工業美術展覧会”にファベルジェが出品したクリミア半島のケルチで発掘された紀元前四世紀のスキタイ金細工のコピーは、同時に出品した伝統的な宝飾品の仕上げと共に金賞を獲得しました。1883年にはファベルジェ宝石店はロシア政府の皇室用品調達の店に登録され、さらに1885年には皇帝自らがファベルジェを皇室御用達の店とし指定し、同じくニュルンベルグで開催された工芸展にて先のスキタイの金細工のコピーが金賞を得て、ファベルジェの宝石商としての名声は欧州中に広まりました。
 皇帝自らの指示で開催された汎ロシア展覧会での受賞によってファベルジェはロシア王室と緊密な関係を持つようになりました。
1881年のアレクサンドルII世の暗殺の後、その後もトルコやポーランドの不安な情勢等で重い鬱病に苦しんでいたマリア皇后を喜ばせるために何か相応しい贈り物を考えるようにと、皇帝アレクサンドルIII世から依頼を受けたファベルジェが思いついたのが、ロシア伝統の復活祭の卵でした。 欧州各地の事情に通暁していたファベルジェはデンマークのクローネンボルグ宮殿に金のイースターエッグが所蔵されていることを知り、1985年の最初のイースターエッグとしてデンマーク王室所蔵のエッグのコピーを作ったのでした。
 デンマークの皇女であったマリア皇后は懐かしいイースター・エッグとの再会に思わず微笑んだに違いありません。それは又ファベルジェへの運命の女神の微笑みでもありました。 皇后の喜びに皇帝は以後毎年イースター・エッグの製作をファベルジェに注文し、ファベルジェは芸術家としての誇りをもってその期待に応えたのです。
 すでに皇室ご用達の宝石商となったことでファベルジェの工房は選りすぐりの職人を集めることが出来たため最盛期には500人の職人を抱え工房は拡大し、支店はモスクワ、オデッサ、ロンドン、キエフへと増え、またファベルジェはスウェーデンとノルウェー王室御用達の宝石商にも指定され、欧州王室とも繋がりの深いタイ王室からも多くの注文を受け、さらに英国のエドワード7世に嫁いだアレクサンドラ皇后はマリア皇后の妹でありましたから、その縁を通して英国王室、またスペイン、イタリア、ポルトガル、王室からの注文も受けるようになったファベルジェの栄光は絶頂に達したと言えましょう。
 こうした栄光に溺れることなく、ファベルジェはインペリアル・イースター・エッグや各国の王室からの注文の品はもちろんのこと、一般向けの普及品の工芸品についても材料と加工品質や仕上げで妥協することはなく、製品は材料費と加工費に出来るだけ低い利益を乗せるだけという方針を貫き通し、驚くほど妥当な値付けで販売していたことが近年(ソヴィエトが解体された1991年以降)明らかになった資料により判明しています。
 1917年のロシア革命の勃発によりロマノフ王朝は崩壊し、同時にファベルジェ商店も運命を共にします。イギリス大使館員を装って脱出したファベルジェはドイツに逃れ、さらに1920年に最後の亡命地のスイスで亡くなりました。

 

オリガルヒ ヴィクトール・ヴェクセリベルグとは ?
 ファベルジェのエッグは個人や博物館のコレクションとして世界各地に存在しますが、中でも12個と最大、しかも選りすぐった作品を持っていたのがアメリカの経済誌で有名なフォーブス家のコレクションです。12個のうち8個がその他の180の作品と共に2004年4月のニューヨークのサザビーーズのオークションに出品されるというニュースは世界の注目を集めました。出品物と共に、合計100億円と予想された落札価格も空前のものであったからです。 9個のエッグのうち8個の落札予定価格は次のとおりでした ;
 1885年 めんどり 3.5億円、 1894年 ルネサンス 5.8億円、 1897年 薔薇の蕾 20億円、 1898年 すずらん 14億円、
 1900年 はと時計 5.8億円、 1911年 15周年記念 12億円、 1911年 オレンジの樹 12億円  1916年 聖ジョージ 4.6億円
 これらの予想価格がどのような基準で定められたのかは不明ですが、これだけでも78億円と見積もられ、もう一つのエッグと180点の工芸品とを含めれば総額100億円というのもあながち誇張とは言えません。
 ところが、2004年2月にこれらが一括してロシアのオリガルヒ、ヴェクセリベルグが買い取ったため入札が中止となりました。
本来、ロシアで作られたものですから、100年後に再びロシアに戻るのであれば、ロシア国民にとっては快挙でありましょう。
しかしながら、100億円もの品物を一人で買い取るとは、ましてロックフェラーとか、ビル・ゲイツといった誰もが納得する大富豪ならともかく、世界的には無名のロシア人が買主となると、一体何者だろうとの疑問が沸いてきます。
 ヴィクトール・ヴェクセリベルグは1957年ウクライナ生まれ、現在はSUAL(シベリア・ウラル・アルミニウム総支配人)、TNK(チュメニ石油)会長等々の肩書きを持つ人物で、オリガルヒーロシアを牛耳る163人の中でも20位以内にランクされています。
 オリガルヒとは、一言でいえば1991年のソヴィエト連邦解体後に全ての国家資産が民有化された際の未曾有の混乱の中で、法の未整備を巧みに利用して短期間に巨額の資産を築き、以後のロシアの全産業、メディアから政治に至るまで、ロシアを牛耳るに至った一握りの財閥グループを指します。政商、新興財閥等と訳されていますが、ロシアでは悪罵の意味をこめて犯罪者やマフィアの同義語として使われています。
 ともあれ、1990年代末以降、フォーブス誌の資産10億ドル以上の富豪の列に突如としてロシア人が10人前後毎年名前を連ねるようになりましたが、彼らの資産の100%が巧妙な犯罪により、ロシアの財産を不当に強奪して得られたことは万人が認めるところです。
 ヴェクセリベルグは資産10億ドル以上の富豪の列にこそ名を連ねているわけではありませんが、しかし100億円と見積もられるファベルジェのコレクションを一括して買い取るほどの財力を持つという事実が、その胡散臭さを十分に証明するものです。
 因みにチュメニ石油とは、ロシア第3位の石油・ガス会社ですが、ロシアの破産法を最大限に悪用して、BP/アモコやカナダのノレックス社等、海外からの投資家からの資産を合法的に強奪したとして悪名高い企業です。
 2003年のフォーブス誌の発表では資産10億ドルを越える世界の富豪200人のうちロシア人が23人と大幅に増えています。石油の値段が高騰した2004年以降には27人、2005年には33人とアメリカ、ドイツに次いで世界で3位の富豪の多い国へとなりました。この33人の資産総額は何と1721億ドル(約20兆円)。共産主義社会が崩壊してたった15年でこれ程の巨額の資産が築かれたと言う事実の背景に何があったのか ? 
ロシア革命以降のファベルジェ
 1.ロシア革命後、ファベルジェは亡命しましたが、全ての職人が亡命したとは考えられず、工房に残された大量の仕掛品やサインなどを使って仕上げられたり、新たに製作されたものが存在します。
 2.ファベルジェの子供達のうちユジェーヌとアレクサンドルはパリに工房を作り一部の職人も加わりファベルジェ・ブランドの工芸品を1940年頃まで作り続けました。アレクサンドルはフィンランドにもHenrik Wigströmを含むファベルジェの職人達と工房を作り製作を続けました。
 以上は、家族や職人が製作を続けたもので、サンクトペテルベルグ時代のファベルジェの作品と識別するのは困難です。
その他に下記のような偽者が多数存在します ;
 ファベルジェのコレクターとして名高い Dr.Armand Hammerはソヴィエト政府とのコネを利用してファベルジェの作品を入手し、政府の代理人としてインペリアル・エッグを15個販売しました。その他にも革命後に上流階級から没収したファベルジェ作品を販売しましたが、そうした在庫が尽きると、残ったファベルジェの工房で作られた作品をファベルジェ・ブランドで販売するようになり、さらに彼自身が工房から持ち出したサインを、ニューヨークで製作した作品に付けて真性のファベルジェとして販売するようになりました。
 ソヴィエト政府は1945年に完全にファベルジェの製造販売を停止しましたが、供給が停止されたことで、ファベルジェの工芸品の価格が高騰するようになったため、世界的に贋作が急増しました。 絵画や骨董の世界には良くあることですが、工芸品である限り,うりふたつの贋作、あるいはファベルジェ風の工芸品はいくらでも製作可能です。
 高価な宝石や書画骨董にお決まりの次第に陰鬱な話題になってきましたが、10,000,000,000円など持たない一般庶民としては、ただただファベルジェの夢のように美しく精妙な作品を眺めて感嘆するのみです。


復活したエッグの製作
 ロシア革命以来、ソビエトでは伝統的な宝石工芸は消滅したか
と思われていました。
 しかしながら最近になって、禁止されていた宝石工芸が個人に
よって密かに続けられていたこと、またソビエト政府も秘密裏に
宝石職人を国家公務員として雇い、高度な宝飾品製作技術を温存
させていたことも判明しました。
 ゴルバチョフ政権によるペレストロイカ政策の頃から徐々に姿
を現し始めたロシアの宝飾品製作や闇の海外への輸出の動きは、
1991年のソヴィエト崩壊により一気に活気付いてサンクト・ペテル
ブルグを中心に各地に宝石加工学校や宝石商が復活しました。
 学校の設立や技術指導、運営にはファベルジェ芸術財団等の支
援もあり、1990年代終わりには、宝飾工芸技術は完全に復活して
ファベルジェ時代を偲ばせる作品が次々と製作されるようになり
ました。

 写真の作品はそうした作品の数々です。
Modern day Fabergé style eggs by russian artists
 これらの作品は世界各地に輸出されるようになりました。
実は、最近日本で西洋骨董品でファベルジェのエッグを買った方からの問い合わせがありました。店にはファベルジェ作と称するエッグが何と3点もあって、作品に刻印された数字やサイン等について確認を求めて来たものです。骨董店の店主は刻印の内容等については全く理解が出来ず、作品も全てがファベルジェ作の本物と考えていたようです。したがって売る方も買う方も全くの素人だったようですが、最近NHKの番組で放送された一連の宝石シリーズで、ファベルジェのエッグが途方もない高値で取引されていることを知ってひょっとしたら凄い掘り出し物か ? と思われたようです。
 前述のようにファベルジェのエッグはロシア王室とノーベル家,ケルチ家向けに合計60点余りが製作されたのみで、一部の行方不明品を除けば、全てが世界各地の博物館や個人のコレクションとして所在が判明しています。
そうした一品物の貴重な品が日本の骨董店に3点もあるわけがありません。

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