No.16 幻の早春の花「蓮華ツツジ」

小倉 寛

加賀百万石の歴史を秘めた金沢・兼六公園は、やがて近い将来には、世界文化遺産に登録されるであろう名庭園だとジサマはいう。植栽された松の雪囲いに、勿体ない高価な藁縄を使った雪吊りの風景は、金沢ならでは見ることが出来ない、優雅な冬のロマンを誘う風物詩だが、これを一目見て、カメラに納めようと大勢の観光客が訪れ、入場料を払うから、管理当局では毎年、莫大な経費を投じて、豪華な景観の演出に励むことになる。

話変わって豪雪地帯で、名高い越後の里では、近年、庭木の雪囲い作業を嫌って、先祖が植えた庭の植栽を伐採して、風致を破壊する殺風景な街並みに変貌している、とジサマは嘆いている。

その中で久兵衛の庭を、演出する主役はブナと椿&銀杏などだが、これに加えて存在感のあるレンゲツツジが、名脇役を演じている。

ジサマが永年に亘り、雪国の庭造りを模索、体験して思うことは、家計に影響を及ぼす雪囲い作業を省略できる、庭造りの発想が必要であると痛感し、模索と思考を積み重ねて、それを実行した庭を造った。それが功を奏して、植栽された花木の数は、数え切れない数字になっている。冬の雪囲いの経費は僅少の費用で済んでいる。世の常識を覆す豪雪に耐える庭に仕上た。そして、春には見事な花を咲かせる花木を集めた庭になっている。それを立証する花木が椿と蓮華ツツジ、エ・ト・セ・ト・ラだが、これらの花木は叢生(むらがり生える)する樹木でありながら、秋に枝の先端に着生した蕾が、永い冬の豪雪に耐え凌いで、春一番に開花する。これらの樹木は、野生の植物で元来、雪に強い花木で、他の樹木のエリアまで枝葉を延ばす行儀の悪い花木ではない。どの花木も樹高は低く、花後の煩わしい剪定も僅かな時間で済む。

今日はジサマが自慢する「蓮華ツツジ」に纏わる思い出話から始める。

永いタイムトンネルを潜り1949年の5月に遡る。…当時のジサマは、両親が進める進学を断り、畜産業に将来の夢を托して、屋敷内に畜舎を建て、ホルスタイン種の乳牛、ヨークシャ種の豚・サホーク種の緬羊・ザーネン種の山羊、などを購入して家畜の飼育を勉強していた。先代(寛の父)は、勉強嫌いで出来損ないの24歳になる寛の元に、頻繁に届く恋文らしい手紙の主を調べると、隣村の小学校に勤める教員と判り、ならば彼女を寛の嫁に迎えて、久兵衛家を相続させるべく考えた。そこで長岡高校の教頭で、長岡市内の教員住宅に住んでいた長男夫婦を呼んで、次男寛の将来について相談する段取りになった。ときに長兄は四十六歳、十年後は定年を迎える年齢であり。

定年後は実家の家督相続に応ずると固く誓った。次男の寛は、他家に婿養子に送り出したら如何か?と提案した。先代は、この長兄の約束が後に反故になるとは、神ならぬ身の知るゆしもなく、それを聞いた分家衆や親戚方は将来を案じて、声を揃えて反対したが、長兄の約束を信じた先代は、寛に次々と婿養子の話を持ち込むので、寛は「小糠三合あったら婿養子に行くな」という田舎の諺があると、首を縦に振らなかった。

勉強嫌いで進学しない欠点はあるが、行動力では他には負けない猪突猛進を信条とする末っ子の寛は、新天地を求めて行動を開始した。

先ず飼育中の家畜群と、塩原多助の「青」との涙の別れ、昭和版を演じ、家畜の糞尿まみれの畜産青年から、ホワイトカラーのサラリーマンに転身する道を選択した。やがて迎えた旅立の朝、家畜の秣刈り(まぐさかり)に毎日汗を流して通った山々に別れを告げるべく、万感の思いに駆られながら、歩を進めると、山一面は数千株の蓮華ツツジが、恰も寛の門出を見送るが如く、咲き誇っていた…60年前の光景のシーンだが、今もジサマの脳裏に鮮明に焼きついている。

光陰矢の如し、時は過ぎ星は流れて(1979年)に先代と交わした約束を果たす為、生まれ在所にユーターンした。ジサマは2~3年は家の改造、新築などに忙殺されたが、やがて30年前の旅立ちの朝に、数千株の蓮華ツツジ群生と別れの場所に立った。過ぎ去りし旅立の朝の光景を期待して、その場所に立って見ると、地形は当時と大差はないが、当時の低い潅木の原野は、生活様式の変遷で、山の薪炭材はガス・電気に変わり、草刈をして堆肥を造り、地力を肥沃にする自然農法から、科学肥料に依存する農法に移行、樹木は伸び放題、山の生態系は大きく様変りしていた。低い潅木の山は、昼なお暗き雑木林に変貌し、低木の蓮華ツツジは全く視野に入ってこない。陽樹の蓮華ツツジは茂る雑木林、背丈3mに伸びた、葦や萱に陽光を遮られ、生存権を奪われ、自然消滅したことを直感した。ジサマの鋭い洞察力にオラは唯々感服した。

ジサマは林の奥に潜って倒木した太い幹に腰を下ろし休憩した。そしてタバコを煙らせ、足元に目線を移すと、爪楊枝ほどの細い枝に着いている葉は、まさしく蓮華ツツジの葉である。しばし周囲を凝視すると、あるある、どの幹 枝もひ弱くか細い、割箸の太さの幹はない、「助けてくれ!」と必死に哀願する悲痛の叫び声が聞える。ヨシ!お前達を救出して陽の当たる久兵衛の庭に移してやる…瀕死の状態で気息奄々(えんえん)に喘えでいた蓮華ツツジを、恰も国連の兵士がテロで慄く(おののく)コソボ難民を救出するかのように、20本ほど、いたわりながら救出した。以来ジサマの手厚い介抱で危機を脱し、安住の地を得た彼等が、花を迎えるには四・五年の歳月を要したが、今ではすべての株が、本来の姿に回復し、わが世の春を謳歌している。以来、毎年伸びた新芽を摘み、得意の挿木で増殖を試みたがナゼか?不発に終わった。次は実生で増殖する目的で、花柄摘みを止めると、多くの種子をつけるようになった。しかし未だに庭に実生の子の発生はない。今年は最後の手段に、取り木による繁殖に挑戦する予定である。

そこで今日はジサマ極意の取り木繁殖法を読者にプレゼントする。

「取り木法」先ず幹の皮を環状に剥ぐ。次ぎに、やや大きめのビニールポットを二枚重ねて、底穴から上部縁まで片側を鋏で切る。環状剥皮した幹に、片側を切断したポットを二枚重ねにしたまま嵌め込む、外側のポットを半回転して、ホッチキスで二枚一体になるよう止める。次ぎにポットの中に、濡らした水ゴケを詰め込む。外周をビニールのレジ袋などで覆い、両端を紐で縛る。以後は時々水ゴケに注水する。(作業開始適期は四月~六月)主幹からの切離しは秋になる。発根状態で翌年に延期してもよい。この取り木法によれば、百%の確率でレンゲツツジの新苗を手中に納めることができる。

次号は 幻の早春の花「蓮華ツツジ」の巻

注、月刊キャレル2010年4月号掲載の記事より一部補足して転載しました。

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