No.12 年賀状アラカルト

小倉 寛

今年は地球の温暖化が齎(もたら)した異常気象が元凶とも云える不幸な自然災害が各地に発生した。ジサマの住む里は豪雪地帯で有名な地域だが、幸いに一昨年、昨年と小雪の年が続いた。子供達の夢を運ぶサンタさんがトナカイに橇を引かせて回るクリスマスイブの日、夕方になっても未だ雪が降らないので、幼い子供達は胸を痛めていたが、深夜遅くに初雪が降り始めたので、漸く安心して眠りについたという。

今年も昨年のような小雪なら庭木の雪囲いなど必要ないが、久兵衛どんのジサマは念のため、例年通りに11月に入ると冬将軍の到来に備えて庭木の雪囲い作業を始めていた。シルバー人材センターから応援に来た人達と交わした会話が面白かったので、時節柄今日はその話題を語る……。

人間の娑婆には年賀状を書くというヘンテコ?な慣習があるという。そして大晦日の夜は、家族揃って茶の間のテレビを囲んで、恒例のNHKの紅白を楽しむ、それが終わると大晦日の年越し蕎麦を食べる。やがて行く年、来る年のナレーションに乗せて、全国の名刹が鳴らす除夜の鐘のシーンが放映される…そして迎えた元旦の朝には、お雑煮を食べる……やがて〒局員が運んだ年賀状を見る慣わしが連綿と続いている。

この年賀状を書いて投函する善良の人々は、〒局の宣伝を素直に受け入れ、年末の多忙の中をやり繰りして、新年になるには未だ数週間も先だというのに、謹賀新年と書き、まだ旧年になっていないのに、旧年中は特別・格別のお世話になりました、などゝ本音か、お世辞か?定かではないが、お決まりの文句を書くことに、なんのためらいも違和感も抱かずに書いて投函する。このケッタイ?な風習を広めた御仁はどんな人達であろうか?、ジサマがいうには、西洋のクリスマスカードを参考にして、逓信省のお役人が、国の税収を補う目的で、葉書を仰山売る手段に普及したのではないか?、というのである。近年では早々と、9月頃から年賀状の売り出しの宣伝を始めている。そして年末の混乱を避けて投函受付日を早めにと連呼する。そして年賀状を横に並べると地球を幾廻りにもなる膨大な枚数の年賀状を遺漏なく元旦に各家庭に届ける作戦を練る。そして冬休みの高校生などをアルバイトに使って、都道府県&地域別に仕分ける作業に励む。この風習がいつから始まったのか……などゝ考え始めると、オラ夜も眠れなくなる。

いくら本人が、気力体力ともに若者を凌いでいる、と力んでも、役人が勝手に定めた、後期高齢者のエリアに嵌めてしまう。もう娑婆では厄介者にされたと思い込み、土日祝日平日の区別なく、一年中盆と正月気分の暇があるので、万事、物事を、へそ曲がりに考え、屁理屈を捏ねたくなるのだという。

ジサマは、数年前までは、多忙の中を無理して年賀ハガキを200枚ほど書き投函し、届いた年賀状も、ほぼ同数であった。但し、これは毎年、新年に届いた年賀状を丹念に調べて、新規に戴いたお方には、必ず「早々に賀状を戴き云々」と書いて投函する努力の積み重ねが、災いになって、数が減らない理由になっている。

バサマに、八十の坂を越した老人が、200枚も年賀状を書かなくてもよいのでは?と牽制球を投げられたジサマは、素直に、それも一理ある、と受け入れた。

〒局の口車に乗って、早々に年賀状を書いて、投函するはよけれども、偶々(たまたま)幸か不幸か?行き先を間違えて、年末近くにお迎えの車に乗ってしまい、黄泉路に旅立った友人の、遺産相続人が投函した年賀欠礼の挨拶状と、故人が生前に早々に書いて投函した年賀状が、同時に配送された例が二件もあった。ジサマもソロソロこんな事例を、視野に入れて、バサマの意見を取り入れ、考え直す必要があると……行動力抜群のジサマは、善は急げと、先ず年賀状の数をスムースに減らす方法はないか?と考えた。それには〒局の口車に乗らず、新年を迎えて松の内が終わる頃に、届いた年賀状の数を確認して、年賀状を書くことにした。つまり、旧年に書いて投函すること取りやめた。

その結果、年賀状の数は確実に減り、数年で以前の半数以下に減らすことに成功した…ジサマは新年を迎え、オラが冬篭りに入ってから、おもむろに新年の挨拶と、去年の楽しい出来事などを面白可笑しくエッセイ風に纏め、封筒に入れ、発送することにした。そして多くのインターネットのメル友には、一括送信で、新年の挨拶を送信することに切り替えた。

ところが、毎年必ず元旦に届いたジサマの年賀状が来ないので、よもやジサマの身辺に異変が生じたのでは?と訝って、安否問い合せの電話が鳴った。ジサマは老いて益々意気軒昂ゆえ、ご安心召されと応答した。

〒が勝手に定めた年賀制度は無視して、手紙の年賀状に切り替えた。ところが封筒&切手代を合計すると、お年玉つき年賀葉書よりは数倍割高になることも判った。そしてバサマの言うには、〒の年賀はがきには抽選の夢があるが、我が家の年賀状にはそれがないと、クレームが付いた。しかし、ジサマの企画は功を奏して、独創的形式の年賀状に対する感想の電話とお礼のメールが数多く届いた。ジサマはしてやったりの達成感と、久しぶりに自己満足に陶酔する気分を味わった。最後にその一つを紹介する。

前文省略…昨年は新潟を訪ねてモグラのジサマにお逢いすることができ、人生の思い出に残る年になりました。今日は又、読んで楽しい年賀状を有難うございました。印刷された型通りの年賀状と違い、ずっと面白くて一気に読みました。ご趣旨全く同感です。郵便局が決めた日までに出さなければと、早めにせっせと書いても、もしかして、それまでに私も、宛名の人も、この世から姿を消しているかも知れない?、年が明けてから、頂いた年賀状に対してお返しの年賀状を書く発想はすばらしいと思います。来年から私もそうしょうかしら……といっても、それまで私元気でいられるかしら? 私とジサマは同い年なのですよ。

次回 第13号は、記念樹・御堂筋の銀杏の巻です。乞うご期待!

注、月刊キャレル 2009年12月号に掲載の記事より一部補足し転載いたしました。

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