不動院 不動閣 の由来


不動院は天台宗の密教寺院で、別称「不動閣」と言います。

本尊の波切不動明王ほか、白寿観音、白龍大明神、金華山戦死者の霊ほか諸仏を

お祀りしています。


奈良時代、奈良東大寺の大仏を作った仏師「日野 金麻呂(ひのきんまろ)」がここで生まれたと言わ

れ、金麻呂は大仏の開眼法要のとき紫雲たなびく天空より落ちてきたという金の仏鉢を聖武天皇から

授かり持ち帰り、ここに七堂伽藍を建て安置したと伝えられています。

(日当たりの良いところへ越したいと言うお告げがあり、後に雄総・護国之寺に移ったと伝わる)
戦国時代、織田信長は稲葉山城(岐阜城)を攻略しましたが、城は三方堅固で攻め倦んだとき、木下

藤吉郎が長良川の北から城を望み背後の連山 日野西山より峰伝いに進行することを思いつき落城

させましたが登山口となったこの寺は焼き払われてしまいました。
 
西山の 不動の洞をよじ登り

  旗なびかせて 城攻略す

という歌が伝えられています。

境内から峰伝いにお城へ続く(3km)登山道があ

り、遠い昔の武者たちの光景が思いおこされます。



昭和9年、比叡山に居た不動院第一世 祥海 和尚は、前住していた神宮寺の本尊・波切不動明王

の霊夢を見、荒廃していたこの地を探し求めて護摩堂と庫裏を建立し中興開山されましたが昭和

30年12月28日に参拝者のローソクより失火し本堂は焼失してしまいました。
土砂で埋まっていた洞窟の一つを開墾していると地面より

御光が差し、そこを掘ると身の丈2cmの金の観音様が姿をあ

らわしました。これを胎内仏とし白寿観音と命名し窟でお祀りし

ています。

他にも布目瓦・五輪塔・刀・仏具など数多くの物

が出土し、平成13年の発掘調査では鎌倉時代

の墓郡、奈良時代の布目瓦を焼いた釜跡ほかが

見つかり、不動洞遺跡に指定されました。

  白寿観音   境内には落差30mの不動の滝があり、雨のとき

滝にうたれる不動明王石像のお姿は絶景です。