仏教は悟りの宗教と言われます。 お釈迦さまは「物事・現象や心の働き、すべては実体の無い『空』であると説きました。 人は苦しみ悩み迷います。 苦は周りで起きる物事・現象や心の働き・囚われによって生じるのであって、そのもの事の真理を見きわめると、すべては実体の無いものであると教えています。 般若心経は人を悟りに向ける方法を教えています。 人はこの仏の教えを知ることで、苦は無くなり救われるのです。 |
般 若 心 経
摩訶般若波羅蜜多心經
偉大な知恵によって悟りに至る真髄の教え
觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。
観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行じていた時、
観音菩薩が、深い知恵によって悟りに至る修行をしていたとき
照見五蘊皆空。度一切苦厄。
五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまう。
五蘊(周りで起きる物事や人の心の働き)はすべて空であると見究め、すべての苦から人々を救った。
舍利子。
舎利子よ、
色不異空。空不異色。
色は空に異ならず、空は色に異ならず、
縁起して(関わりがあって)できる物事や現象は本来実体が無いのと同然であり、実体が無いという真理は物事や現象なのである。
色即是空。空即是色。
色すなわちこれ空なり、空すなわちこれ色なり。
つまり、物事や現象は本来実体が無いという真理であり、実体が無いという真理は物事や現象そのものなのである。
受想行識。亦復如是。
受想行識もまたまたこれのごとし。
心の働きを現す感受能力・判断力・行動力・認識力もまた同様である。
舍利子。
舎利子よ、
是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。
この諸法は空相にして、生ぜず滅せず、垢せず浄せず、増えず減らず。
周りで起きる諸々の物事や現象は実体が無い「空」であるから、生ずることも滅することも、汚れることも清くなることも、増えることも減ることも無い。
是故空中無色。
これ故に空の中には色も無い。
それ故に実体の無い「空」の中には物事である「色」も無い。
無受想行識。
受・想・行・識も無く、
感受能力・判断力・行動力・認識力も無く、
無眼耳鼻舌身意。
眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、
眼の能力・耳・鼻・舌・身体・こころの働きも無く、
無色聲香味觸法。
色・声・香・味・触の法も無く
見えるもの(物事)・声(聞く)・香る・味わう・触れる・意識する対象も無く、
無眼界。乃至無意識界。
眼界も無く、乃至意識界も無い。
眼でとらえた世界も無ければ、意識してとらえた世界も無い。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。
無明も無く、また無明が尽きることも無く、乃至 老や死も無く、また老や死が尽きることも無い。
全ては空だから、もとより煩悩も無く、ましてや煩悩が尽きることも無い。老や死の苦悩も無く、また老や死の苦悩が尽きることも無い。
無苦集滅道。
苦・集・滅・道も無い。
そして、諸々の苦も、その苦の根源も無く、苦から解脱すること(悟り)も、その解脱の方法も無い。
無智亦無得。以無所得故。
智も無くまた得も無い。所得無きを以っての故なり。
一切は空ならば般若の智恵も無く、また、悟ったとしたも何か得があるわけでも無い。なぜなら全ては空だから所得(智や得)するものが無いからだ。
菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。
菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に心に罣礙無し。
菩薩は、般若の知恵によって悟っているから、心に礙(さまたげ)が無い。
無罣礙故。無有恐怖。
罣礙無き故に、恐怖有ること無い。
礙が無いから、なんの恐れも無い。
遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。
一切の顛倒する夢想を遠離して、究竟涅槃す。
全てのものを逆さに見ることや妄想から遠く離れ、究極の悟りとす。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
三世の諸仏も、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
過去・現在・未来の諸仏も、般若の知恵によって、この上ない悟りを得た。
故知般若波羅蜜多。
故に知るべし般若波羅蜜多は、
故に知るべし。般若波羅蜜多は、
是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。
これ大神呪なり、これ大明呪なり、これ無上呪なり、これ無等等呪なり、
偉大な真言、悟りの真言、無上の真言、他と比べものにならない勝れた真言である。
能除一切苦。眞實不虚。
よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。
一切の苦から開放され、真実の言葉にして嘘ではない。
故説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。
故に般若波羅蜜多の呪を説く。呪を説いて曰く。
故に般若波羅蜜多心経(仏の教え)を説いて、呪文を言う。
羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。
羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。
<※羯諦以後は「真実(悟り)の世界へ共に行こう」という意の呪文>。
般若心経
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