ほとけ心

ほとけ心を言い換えれば「慈しみ」や「思いやり」で、どんな人にも心の奥底にはあるものです。
たとえば、席が無く困っている人がいたとき、また失意の思いをしているとき、手助けをしてあげる気持ちだと思います。
しかし、席を譲ろうにも周りの目が気になり知らないふりをしてしまう、また人の失敗に腹を立てて怒鳴ってしまいがちです。
人の目を気にすることなく席を譲り、失敗は諭してあげるようになる。
一見よどんだ池でも底から芽を出し咲く蓮の花を見て、綺麗と思わない人は無いでしょう。
純真な子供のころは何気なく出来たことが、大人になるに連れできなくなっているだけで、実は皆、心の中に慈しみを持っているのです。
意地の悪い行いや振る舞いをしていないか、もう一度、思い返して見ましょう。


乞食とアリ

仏門では乞食(こつじき)と言い、僧侶が人家の戸口に立ちお経を読み、食を求めながら行脚する修行のことで、托鉢とも言い、受けた食材やお金は首に掛けた乞食袋(こつじきぶくろ)または頭陀袋(ずたふくろ)と言う袋の中に納めます。
この様に似ていることから物乞いする人を乞食(こじき)と呼ぶようになりました。


昔こんなことがありました。
あるとき庫裏の玄関前で呼ぶ声がし、行って見ると歳をとった一人の乞食が立っていました。
ボロを着た老人は「何か食べ物をください」と乞うので、おにぎりを作り手渡しました。
おにぎりを食べた老人はポケットの中からお菓子の袋を出し玄関脇にしゃがみ「草むらの虫たちよ、しばし空腹を満たせよ」と言い底に残っていた粉をアリに撒きました。
そして、ありがとうと言って戸を閉めました。
不思議な気持ちになり慌てて戸を開け周りを見渡したのですが、姿はありません。
貧(ひん)しても貪(どん)ずることの無い老人の顔は柔和で仏様のように見えました。
慈悲の心を忘れることなかれ…と戒められた気持ちになりました。