金華山戦死者の霊



不動院初代住職 祥海和尚が中興開山して間もないころのことです。
朝夕のお勤めをしているとザワザワと人の気配がし、とりわけ奥の院でお経を読んでいるときは砂利を踏む大勢の足音が聞こえ、お参りの方がみえたのだと思いつつ、お経が終わり振り返ると誰もいない…ということが毎日あったそうです。
ある日、いつもののように夕方のお勤めが終わり夜 床につくと鎧・兜に刀を腰にさした武士が何人か現れこう言ったそうです。

「われ等は稲葉城攻略の戦いで散っていった戦士です。
名のある殿様や武士は祀られ弔われているが、われ等下級侍は弔われること無く草葉の間に眠っている。
だから、お経聞きたさにここへ足を運んでいる。
ここより西の方角にある石屋で地蔵を刻み祀り、われ等を弔って欲しい。
さすれば、あなたを見守り力をかそう」

と言い姿を消しました。
気がつくと祥海和尚は枕元に正座をしていたそうです。
和尚は石屋を探し地蔵尊を作り「金華山戦死者各々英霊追善菩提」としてお祀りしたのが地蔵堂の向かって右にあるお地蔵様です。

荒地だった不動院を中興開山していたとき、多くの方が力を貸してくれました。
だが、よそ者ゆえ意地悪する者もいたり、また理解者だと思っていた人が突然反対と言い出したこともあったそうです。
和尚は「手のひらを返すとは、こう言うことだ…」とつぶやいたそうです。
しかしこのお地蔵様を建立してからは、反対していた人も協力して貰えるようになり開墾がはかどったそうです。
金華山の英霊が力を貸してくれたのでしょう…

境内を整備していたとき、刀や古銭、池を掘っているときには頭骨を鍋で伏せたものも出てきました。
16世紀ころまであった鍋伏せ葬というものです。
きっと彼らが現れたのでしょう。