プロフィール
〜ピアノとの出会いから今まで〜
札幌で生まれる![]()
ピアノとの出会い
物理学者の父の、「幼稚園など必要ない!子供は遊んでいれば良い」という考えのもと、
幼稚園にも行かず、毎日近所を走り回って遊んでいた。
ネズミの死体を持ち帰ったり、果樹園の林檎を盗んで食べたり、かなりの悪ガキだった(らしい。)
野生児のように育つ娘を心配した茶道教授の母が、近所のピアノの先生のところに私を連れていった(らしい。)
5歳くらいの頃らしい(本人、記憶がない)
小学校、中学校は地元の公立
家にいるより、外で遊んでいるほうが好きな子供だったがピアノはなぜか続いていた。
運動会が一番楽しみで、「1等賞」の賞状は数え切れないくらいもらった。
ピアノ中断
高校も札幌市内の道立高校。
「野生のエルザ」に感銘を受けた私は、「獣医」になってアフリカへ行くのが夢だった。
が、高1の「生物」がさっぱり理解できず、夢は挫折。
ピアノの先生は、教育大の音楽科を薦めてくれた。
しかし、「音楽科に行くのなら、毎日3時間の練習は必要」と言われ、少しやってみたが、
結局、そんな忍耐力が自分にはない事がよく分かった高2の冬であった。
高3になり進路の選択を迫られる。
将来の夢など分からぬまま、とりあえず目指す大学を決める。
ピアノを弾く事は好きだったが、5歳から始めたピアノ、大学受験のために中断。高3の夏であった。
ピアノ復活、でもほそぼそと
大学はカトリック系女子大 文学部英文学科
英語漬けの毎日。英会話などの授業はほとんどなく、ひたすら文学作品を辞書片手に読みまくる日々
外国人から話しかけられても、話せないが、英文の本だけは読めるという偏った英語力がつく。
「英検1級」の勉強はしたが、あまりにも難関だった。すぐ挫折。
教職はとった。いざとなったら「英語の先生」に。気乗りはしなかったが、とれるものはとっておこうという事で。
その頃から、映画にはまり3日に1度は映画館に通う日々。
授業が忙しくて大変になると、逃げ道が欲しくなり、またピアノを弾くようになる。
4年目は授業が少なく、映画館通いもますます多くなる。「十戒」は卒論提出ギリギリに観た映画として今でも強く印象に残っている。
成績はさっぱりだったが、とりあえず必要な単位を取得、大学を無事卒業。
ピアノまた一時中断
卒業後、航空会社に勤務(この頃は勤務の合間に映画、コンサート、行きまくりの充実した日々)
↓
結婚
その後退職
専業主婦生活を楽しむ
長男出産
ピアノ復活
夫の転勤で北京へ。
ピアノ熱がメラメラと復活。中国人ピアニストにピアノを教わる事に。
家事などはメイド任せ、料理はコック任せの優雅な生活。
買い物、観光などには興味がない私は、ひたすらピアノを弾く日々。
コンサートも安かったので、ずいぶん行った。日本円に換算して100円くらいで、普通のコンサートが楽しめたのだ。
パバロッティは高かったが、それでも日本円で400円くらい。日本では、何万もするコンサートが・・・
ピアノ教える
北京時代、外国人専用アパートで、ピアノを弾きまくって遊んでいた頃、ある日本人の奥様から、ピアノを教えて欲しいといわれ、教える事に。。
それが、ピアノの先生初体験だった。
「英語の先生」になるかもしれないとは、思ってたけど、、まさか「ピアノの先生」に・・・・。
ま、帰国したら、日本にはピアノの先生うじゃうじゃいるのだから、私の出る幕はないだろう、北京にいる間だけ、と決めていた。
20代後半であった。
北京で長女出産
レッスン中断そして再開
3年間の赴任期間が終わり帰国
ピアノを教えることも、もう2度とないだろうと思っていた矢先、
同じ社宅のお子さんのお母様から、子供にピアノを教えてほしいと頼まれる。
下の子がまだ小さかったから、迷ったものの、引き受けると、「うちも」「うちも」とあっという間に生徒が5〜6人に。
近隣のマンションには、音楽大学出のピアノ先生たくさんいたのに、なぜか、うちに生徒が集まった。
今でも、その理由は分からない。「生徒募集」はもちろんした事はない。
そして現在まで
教えるからには、自分自身の指導力、演奏力、とにかく力つけなくてはいけないと奮起し、べビーシッターを頼み、千葉では有名なW先生のところにレッスンをお願いして、月に2回のレッスンを受けはじめる。
レッスン代とベビーシッター代で、嫁入り前からの自分の貯金がドンドン減っていったが、自己投資と思い頑張った。
「明確な目標を持って何かを始める」のは、人生で初めての事だったかもしれない。
「ピアノを弾くのはとっても好き」っていうのと「教える事」は別だ。だから、指導法関連の講座はできるだけ参加した。
なぜか「教える」ほうは上手だったようで、生徒数が増える一方、家事、子育てでハードな毎日だった。
その頃二女出産
北京時代のように、メイドとコックがいるわけではないので、子育てとピアノとで、てんてこ舞いの日々が10数年続いた。
そして現在に至る。
子供も成長して、ようやく最近「自分の練習」「教える事」両方に専念できるようになってきた。
現在20人の生徒さんを抱え、年に1回は生徒さんたちと「お楽しみコンサート」を開催している。
<この10年間>
某楽器店の演奏グレード取得、某団体の指導者検定合格、(さらに上のグレードをめざして、現在勉強中)
コンクールにも何度か挑戦した。
運良く「賞」を頂いた時もあったが、挫折感を味わう事のほうが多かった。
そのころから、ピアノ仲間ができはじめる。
コンクールで知り合ったピアノ仲間たちと、ピアノサークル「すまいる」を作り年に2度くらいはミニコンサートで楽しむようになる。
今年でもう8年目にはいる。
挫折感を味わいながらも、続けてこれたのは、ピアノ仲間のおかげかもしれない。
最近では、サークルとは別に、地元でピアノオフを企画
参加募集などこちら↓
お気楽ピアノオフのページ![]()
今後
ピアノは相変わらず上手く弾けないけど、コツコツ練習することは好きだし、ピアノ仲間と一緒に弾いたり飲んだり、
そんな時間を大切にしていきたい。
教えるほうも、求められるかぎり、続けていければ良いと思う。
一年に一度の「お楽しみコンサート」も続けていきたい。
ピアノは、あと20年くらいしたら、今より少し上手になっているのでは、と願っている。
ショパンのバラードを全曲弾きたいという「夢」もある。
エチュード全曲弾くのも「夢」のまた「夢」だ。
千葉のW先生がよく言っていた。「夢は見るものではなく、叶えるものよ」と。
諦めるのはいつでもできるから、1歩ずつでも頑張って行こう!
お世話になった先生方、楽器店のY、調律のMとF、支えてくれている友人、家族、そしてピアノ仲間たちみんなに心から感謝!
現在までに
ピアノを千葉在住P○NAのW先生、横浜のO先生、千葉のA先生に師事
またロンドン在住のピアニスト○○○○スキー先生に7年間バルトークを教わる
編曲をH氏
和声をK氏などに師事
講座等で短期間お世話になった先生は多数