旭川市を代表する旭橋や稚内の宗谷丘陵、春のサロマ湖、摩周湖の魚、阿寒湖の中島、美瑛、鰊番屋などの歴史や出来事などをご紹介

旭川市を代表する旭橋や稚内宗谷丘陵、春のサロマ湖、摩周湖の魚、阿寒湖の中島、美瑛、鰊番屋などの歴史や出来事などをご紹介


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旭川市を代表する旭橋や稚内の宗谷丘陵、春のサロマ湖、摩周湖の魚、阿寒湖の中島、美瑛、鰊番屋などの歴史や出来事などをご紹介

北海道の雑学(第一章)

北海道の雑学(第一章)では、旭川市を代表する旭橋や稚内の宗谷丘陵、春のサロマ湖、摩周湖の魚、阿寒湖の中島、美瑛、鰊番屋などの歴史や出来事などをご紹介。


北海道三大名橋(札幌市の豊平橋・釧路市の弊舞橋)の旭川市の旭橋や稚内大火による産物の宗谷丘陵の紹介、日本で三番目に大きい湖のサロマ湖の春を紹介、洞爺丸台風が通過したあとの出来事を紹介、神秘の湖・摩周湖に棲む魚の紹介、阿寒湖の中に出来た雄阿寒岳の紹介、氷河期の贈り物と言われる美瑛の丘の紹介、日本海の栄華を極めた鰊番屋などの歴史や出来事などをご紹介。




北海道の雑学(第一章)

(1)強固なアーチ橋・旭橋 

旭橋・旭川市
(旭橋・旭川市) 

旭川を象徴する橋 旭橋。旭橋は、当時の橋梁建設技術の粋を集めて造られた橋で完成当時は、路面電車が走り橋を渡る際には車掌が御辞儀をしたり橋を渡る人々は橋を渡る際には脱帽して御辞儀をしたとも言われ、この橋が当時の旭川市民には大変貴重な橋であった事を物語るエピソードが沢山あります。特徴は、この橋の橋脚と鉄骨のアーチにあります。仮に橋脚が爆撃により破壊されても鉄骨のアーチにより橋は支えられて落ちる事がないように設計されています。只、現在では、当時と爆破力が違う為、破壊されると思いますが昔を偲ばせる歴史的建造物である事は間違いないと思います。
 


(2)大火の産物・宗谷丘陵 

宗谷丘陵・稚内市
(宗谷丘陵・稚内市) 

最北の町とか国境の町とか呼ばれる稚内。稚内から日本の最北の地・宗谷岬附近まで広がる広大な宗谷丘陵。むかしは、鬱蒼と生茂る森が育っていたと言われていました。その森が消えた原因が宗谷丘陵で起きた自然発火による火事だと云われています。そこに宗谷海峡からの風にあおられた炎は森を焼き始め、雨も降らなかった事から多くの森を失ったと言われています。この火事により宗谷丘陵では、現在でも谷間を除き宗谷海峡からの強風により大きな木々が根付かず昔の様な森が出来ません。
 


(3)春のサロマ湖 

サロマ湖・佐呂間町
(サロマ湖・佐呂間町) 

日本で3番目に大きな湖・サロマ湖。今は、龍宮台でオホーツク海とつながっていますが昔は、第一河口だけしかオホーツク海につながっていませんでした。その第一河口も冬の間に流氷とオホーツク海の荒波により河口が砂で埋められて春になると雪解け水がサロマ湖に注ぎサロマ湖の水位が約2m位上昇した記録が残されています。アイヌ民族しかいない頃はサロマ湖は、今より遥かに多い水を湛えた湖だったのかもしれません。只、当時この地方に入植した人々は、春、流氷が沖に去る頃になると毎年、河口の工事をしてサロマ湖の水位を下げてサロマ湖を基点にオホーツク海へ漁に向かったと言われています。
 


(4)台風により突如現れた見知らぬ山 

大雪山連峰の山
(大雪山連峰の山) 

北海道を直撃した数少ない台風・洞爺丸台風。この台風による被害は、海だけでなく大雪山の山々にも多くの被害を残して通過して行きました。当時の様子を知っている人の話ですが台風が通過した翌朝、大雪山の山々を見ると見た事も無い山が聳え立っていて町内の人々が驚いていたと語ってもいました。当時の大雪山の山々の森がいかに深く大雪山の山々を覆っていたかが解るエピソードでもあります。ちなみにこの台風で倒された風倒木の量は、当時の北海道の木材使用量の約10年〜15年分に相当する量だと言われ一つの台風が一夜でこれほどの被害をもたらした台風は現在でも観測されていません。
 


(5)摩周湖の魚 

摩周湖・弟子屈町
 (摩周湖・弟子屈町)

神秘の湖・摩周湖は、世界で有数の透明度を誇る湖ですがこの湖のも魚がいます。但し、自然に繁殖したものではなく人工的に放されたニジマスです。ことの起こりは戦時中に食料の確保が目的だとも言われていますがハッキリした事は解りません。只、ニジマスを放流したのはいいのですが摩周湖の水温が低い事が災いして摩周湖のニジマスは、他の湖に放流したニジマスと比べると同じ年数でも体長が半分しか育たない事が解って失敗に終わりましたが現在でも摩周湖の中にはニジマスが群れをなして泳いでいる事でしょう。
 


(6)驚異の中島・雄阿寒岳 

阿寒湖・釧路市
(阿寒湖・釧路市) 

マリモの眠る湖・阿寒湖は、雄阿寒岳の裾野に広がる湖となっていますが本来は、阿寒湖は現在よりはるかに広い湖であったと推測されています。それは雄阿寒岳が最初は阿寒湖の湖底から噴火を繰り返し隆起してきて阿寒湖の中島程度となっていましたが火山活動が終息することがなく隆起し続けた結果、現在の雄阿寒岳になりました。雄阿寒岳を見ると地球の火山活動のエネルギーの凄さを感じ取っていただけると思います。
 


(7)氷河期の贈り物・美瑛の丘 

ジャガイモ畑・美瑛町
(ジャガイモ畑・美瑛町) 

北海道において最も北海道らしい雄大な風景が味わえる美瑛の丘は、氷河期の雪解け水が創り上げた芸術とも呼ばれ、丘をつかさどる稜線は、現在も氷河期に創られたままの形状です。この丘の風景が開発の波から残されたのもひとえに美瑛の農家の人々の努力と自然との共生を考え実行した事からだと言われています。実際に戦後、自衛隊の一部移転と演習地確保の計画が国により出され美瑛町が候補に挙がりました。もともと美瑛町の十勝岳連峰側は北鎮第七師団の兵隊が訓練と称して開墾した場所でもあった事からだと思いますが当時の町長を始め美瑛の町民が戦争の悲惨さや哀しみを再び味わう事を拒絶し自然と共に生きる事を選択した事が現在の丘の風景を維持している事だとも言われています。
 


(8)栄華を極めたニシン 

旧花田番屋・小平町
(ニシン番屋・小平町) 

北海道の日本海側に点在する鰊御殿。有名なのは小樽の旧青山別邸ですがここでは鰊についてお話し致します。鰊は、別名「春告魚」とも呼ばれ、春になり北海道の日本海側に最初に海の恵みをもたらす魚でもあった事からだとも言われています。鰊が全国にその名が知られる様になったのは正確には解らないのですが北前船が往来していた江戸時代の頃とも言われています。鰊は、俵物として加工され主に綿花栽培などの畑の肥料として運ばれていました。記録では、畑に撒く前と撒いた後では綿花の収穫量が2倍もの差となったとも記載されていますから当時の畑の肥料としての価値は高かったものと思われます。
鰊の名の由来は、アイヌ語で意味は解りませんが北前船が蝦夷地から運んで来た時に「ニシン」と名付けて売ったところ飛ぶように売れた事から鰊の名が全国に知られたとも言われています。現在では、鰊は、北海道では乱獲からあまり獲れなくなりましたが獲れた時代は、岸辺が産卵の為に海が白くなったとの記載もあり、漁獲量は凄く、一攫千金を狙う者まで出て失敗していく者も多かったと言われています。
 











北海道の雑学(第一章)及び
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