北海道の原始から中世、近世、近代、現代までの歴史を紹介

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北海道の原始から中世、近世、近代・現代までの歴史を紹介

北海道の歴史
    (北海道の原始から中世、近世、近代・現代までの歴史を紹介)

北海道の歴史

(1)序 章 


 函館・立待岬
(函館・立待岬)

旭岳
(大雪山連峰・旭岳)

  北海道と本州との大きな違いは、動物の生態系で北海道に住む動物は北方系でヒグマやエゾシカのように体が大きいのが特徴です。これは、津軽海峡を境にして違う為、これを発見した英人・ブラキストンの名にちなみブラキストン線と呼ばれています。
北海道の面積は、78512平方キロメートル(北方領土を含まない)で我が国の総面積の約21%を占めますが北海道の人口は、約550万人と我が国の総人口の約5%にしか過ぎません。
北海道は、地形上で見ると札幌・千歳・苫小牧をむすぶ石狩低地帯を境に東西に分けることが出来ます。むかしは、この低地帯は海であったとされ、これを証明するのが千歳の美々貝塚です。


(2)原 始 
エゾカンゾウと利尻富士 
(エゾカンゾウと利尻富士)

えりも岬
(えりも岬)

  北海道に初めて人間の痕跡を残したのが大陸(アジア)からマンモス象を追って来たマンモス・ハンターであったようです。縄文時代になると人々は、次第に狩猟だけでなく漁業にも比重を置く様になりました。
本州では、縄文時代から弥生時代に変わりましたが北海道は、続縄文文化の時代に入り本州とは違う文化を発達させていきます。これが古代文字有名な小樽の手宮洞窟や余市のフゴッペ洞窟です。
8世紀から13世紀になると本州では、平安時代から鎌倉時代に至るが北海道は、擦文文化の時代になり、北海道の道北から道東のオホーツク海沿岸には、擦文文化人とは異なる文化を持ったオホーツク文化圏が樹立されました。この文化は、高度な金属器を所有していたが突如として消滅してしまいました。有名なのは、網走のモヨロ貝塚です。
擦文文化が消滅したあとアイヌ文化が出現しました。竪穴から平地に住居を構え室内の中央に炉があり構造上も北海道に適した構造です。


(3)中 世 
 
登別・ポロトコタン
(登別・ポロトコタン)

川村カ子トアイヌ記念館
(川村カ子トアイヌ記念館)
 
14世紀中頃、北海道には、日の本・唐子・渡党という3種のアイヌがいたとされ、日の本は、北海道アイヌ、唐子は、樺太アイヌ、渡党は、本州から渡ってきたものと考えられています。
北海道の和人の移住の記録は、鎌倉幕府が夜討・強盗・海賊の類50人を夷島に流したのが最初で、この頃は、擦文時代末期ではないかといわれいます。
15世紀なかばになると今の函館近郊から上ノ国にかけて12の館が建ち和人が住むようになりました。ただ、和人が少ないときは、アイヌ民族との関係は良かったのですが和人が増えるとアイヌとの関係も次第に悪化しアイヌの不満が高まり、1457年、コシャマインの乱が起こり和人絶滅の危機にひんしたが武田信広により形勢は逆転しアイヌ民族は敗れた。
その後もアイヌ民族は和人に対し約100年の間、繰り返し攻撃したがその度、和人が偽りの和睦で勝利を治めていきました。


 (4)近 世


 松前城・本丸御門
(松前城・本丸御門)

函館・ハリストス正教会
(函館・ハリストス正教会)


1593年、豊臣秀吉から朱印状を貰い松前藩が蝦夷島主と認められ蝦夷交易徴税権や蝦夷に対する和人の取り締まり、蝦夷の支配を認められました。
1604年、徳川家康より黒印状(蝦夷交易の独占権)を賜り実質的な蝦夷の島主となった。
1669年、アイヌ民族の今後の運命を決定付けるとも言われた蝦夷の蜂起「シャクシャインの乱」が起きた。この乱は、「島原の乱」の2年後のことであり、幕府は、津軽藩を出兵させ南部・秋田藩にも出兵準備を命じた。この戦いでアイヌ民族は敗れアイヌ民族の半奴隷化が決定してしまった。
1789年、場所請負制度のアイヌの酷使から「国後・目梨の乱」が起きたが松前藩と一戦も交えず降伏した。
1792年、ロシア船が出没、1800年イギリス船の出没となり、1803年に東蝦夷地を幕府直轄にし、八王子千人同心など蝦夷地警備と開拓を兼ねた屯田兵を入植させたが失敗に終わった。この時、仏教の蝦夷浸透と死亡した者のを弔いをするため有珠に善光寺・様似に等樹院・厚岸に国泰寺を創建した。この後、高田屋嘉兵衛が箱館を中心に北前船で大阪と結んだり、ゴローニン事件を解決したりしました。その後も外国船が出没することから幕府は、箱館に日本最初の西洋築城「五稜郭」が築かれ蝦夷地が次第に世界の表舞台に出てきます。

 


(5)近 代・現 代 
 
函館・五稜郭
(函館・五稜郭)

旭川・北鎮記念館
(旭川・北鎮記念館)
 
本州では、1867年、大政奉還・王政復古が発布され約270年続いた徳川政権も終わりを告げた。明治元年、鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争の幕は、切ておとされ戦いの戦火は次第に東北地方や蝦夷地にもおよんできた。
蝦夷地の舞台は、箱館近郊で外国の警備の為に造られたはずの五稜郭が最初で最後の戦いが皮肉なことに内乱であった。また、榎本武揚率いる旧幕府軍は、五稜郭に立てこもり交戦したが降伏し、蝦夷地を含む日本が統一されました。
明治2年8月15日、蝦夷から北海道に地名が変更されて北海道に開拓使が置かれ北海道の開拓が本格化されていった。この年、仙台藩亘理の伊達邦成一団が現在の伊達市に移住し開墾を始めた。
明治7年、兵農一致が原則の士族屯田が開始され多くの東北武士が札幌近郊を中心に屯田兵として入植した。
明治14年、北海道の現月形町に当時日本最大の集治監「樺戸集治監」が建設され本州の犯罪者や自由民権運動家が送り込まれた。囚人労働により北海道の開墾・道路の開削が進み明治24年の平民屯田の入植に続いた。
明治37年、日露戦争が勃発、軍隊や屯田兵制度は廃止されたが出兵し多くの犠牲者を出しながら勝利した。以後、北海道は、本州の内植民地的役割を担い開発は進み、人口は、増加していきました。人口の増加に伴い森林は、農地へ変わり農業大国・北海道と呼ばれるようになりました。
明治・大正・昭和・平成と時代に翻ろうされながら屯田兵として北海道に入植してから約百数十年の歳月が流れ世代も代わり、現在では、北海道独自の文化が発達するに至りました。




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