北海道の先住民族のアイヌ民族の歴史や生活、和人との戦い、和人化政策、北海道のアイヌ民族に関してを紹介

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北海道の先住民族のアイヌ民族の歴史や生活、和人との戦い、和人化政策、北海道のアイヌ民族に関してを紹介

アイヌの歴史
   (北海道の先住民族のアイヌ民族。そのアイヌ民族の歴史を紹介)

アイヌの歴史

(1)アイヌ文化の出現 
 

川村カ子トアイヌ記念館
(川村カ子トアイヌ記念館)

アイヌ住居・チセ
(アイヌ住居・チセ)
 
北海道では、13世紀ごろ擦文文化が消滅してかわりにアイヌ文化が出現してきた。アイヌ民族の事柄が始めて文献に記されたのは、「日本書紀」の阿倍比羅夫の遠征です。この頃は、北海道の事を「渡島」又は「越渡島」として記載されていて平安時代末頃「蝦夷ヶ千島」などと呼ばれていました。
鎌倉時代になると「夷島」とよんだ。北海道でよく使われる「エゾ」は、「蝦夷」と書きます。意味は、日本語の「エミシ」から由来して「強いもの」・「荒ぶれるもの」の意味をさし北海道のアイヌ民族をさしたものではありませんでした。
最初は、東北の人々を指したものと言われ東北の人々が鎌倉幕府に従わなかった事から付けられた言い方と言われ東北の人々が鎌倉幕府に従う様になった事から北海道のアイヌ民族を指す言い方に変化したと言われています。


(2)蝦夷とアイヌ 
 
オムサロ竪穴住居
(オムサロ竪穴住協)

高床倉庫
(高床倉庫)
 
江戸時代、ヨーロッパの学者が蝦夷に白人がいたと発表しています。但し、アイヌ人種については、いろいろな説があり最近では、モンゴロイド説が有力です。
十四世紀中頃の「諏訪大明神画詞」によると蝦夷ヶ千島には、日の本・唐子・渡党という三種がいると記されています。ふつうは、日の本は、北海道アイヌ、唐子は、樺太アイヌ、渡党は、本州から渡ったものと考えられていますが一説では、交易などから文化の影響が大きいとの説も出ている様です。


(3)和人との衝突 
 
上ノ国・夷王山
(上ノ国・夷王山)

 
鎌倉幕府の「吾妻鏡」によると東寺の強盗・海賊など50人を夷島に流したとあります。十五世紀中頃になると函館近郊から上ノ国にかけて十二の館があり和人が住んでいて街ができていた。和人が少ない頃は、アイヌ民族との関係も良かったのだが和人の移住が増えるにしたがいアイヌとの関係も悪くなっていった。
最初の衝突は、1457年に東部の酋長コシャマインの蜂起で、事の起こりは、鍛冶は、和人の独占であった事からアイヌの頼まれ物が高かったり質が悪かったりした事からアイヌの和人に対する不満や不信がアイヌ社会に広がっていた。そこにアイヌの子供がマキリ(小刀)を頼んだが質の悪さと値段の高さから口論となり鍛冶屋の和人がそのマキリでアイヌの子供を刺して殺した事が引き金となりアイヌの人々の蜂起が起こりました。アイヌの勢いは凄く次々と和人の館を陥落させ二つの館しか残っていなかった。戦況を変えてのは、花沢館の客人で来ていた武田信広で信広は、素行が悪い事から花沢館に預けられていたが戦略に優れていた人物でもあった事から七重浜でコシャマインを迎えて戦いコシャマインを討ち和人の勝利となった。この衝突から約100年の間くり返しアイヌとの間で戦いが起こりそのたびに嘘の和睦と策略で和人は勝利していった。


(4)運命の戦い・シャクシャインの乱 
 
シャクシャイン像
(シャクシャイン像)

 
松前藩が北海道の領主に認められる頃になると次第に和人達のアイヌ民族に対する搾取が横行する様になっていった。
江戸時代には、アイヌ民族も5グループぐらいに別れていたと言われ、その中でも大勢力であったのが静内を中心としたシャクシャインであった。シャクシャインは、アイヌは、アイヌらしく生きる事を考えたが対立するオニビシのグループは、アイヌの民も和人からの文化や技術を取り入れるべきとの考えからシャクシャインとの対立を深めていった。決定的な対立は、イオル(狩猟圏)問題でシャクシャインがオニビシを殺害した事が発端となって対立が激化、オニビシ軍は、松前藩に使者を送って仲裁を求めたがアイヌの事はアイヌでとオニビシからの使者を帰した使者が急死した事が松前藩に毒を飲まされたとなってアイヌ民族の蜂起と繋がっていった。これが「シャクシャインの乱」となってアイヌ民族の運命を決定付けた戦いとも言われています。
1669年にシャクシャインを中心に全道的なアイヌの大蜂起が起こり、幕府も島原の乱以後約30年後の大反乱に津軽藩に出兵、南部・秋田藩に出兵準備をさせた。シャクシャインの乱は、国縫が最後の舞台となってアイヌの攻撃も鉄砲と弓矢では戦にならずアイヌの敗北で終結した。この「シャクシャインの乱」以降、アイヌ民族の半奴隷化が決定付けられた運命の戦いでもあった。


(5)最後の戦い、国後・目梨騒動
 
国後島
(国後島)

半奴隷化の中でのアイヌ民族の最後の戦いが1789年の国後・目梨騒動で、発端は、場所請制度により場所請人に雇われた番人が蝦夷毒殺皆殺しの発言が時悪くアイヌメノコの死亡と重なりアイヌの不安をあおり騒動となった。だがこの時には、既に和人との交易なしではアイヌの生活が成り立たない状態で騒動は、道東アイヌの酋長達の説得により松前藩と一戦を交える事無く終結したが首謀者であるアイヌ24人が松前藩により処刑された。
現在もその時の首謀者など24人が松前藩により処刑された地、根室半島のノカマップに祀られています。
 


(6)和人化政策
 
白老・ポロトコタン
(白老・ポロトコタン)

明治になると明治政府によるアイヌ民族の和人化政策が始まり狩猟民族であったアイヌに対し農耕をさせる為の土地を与え、給与地とゆう名目でアイヌ民族を一定の場所に集める事により和人地と区別をし和人との隔離政策が取られた。
明治政府は、さらにアイヌ民族に対する狩猟の制限や宗教儀式を廃止して和人化政策を推し進めた。現在では、アイヌ民族の宗教的儀式は、無形文化財として保存されているだけです。
 


(7)アイヌ民族とは? 
 
アイヌ紋様
(アイヌ紋様)

アイヌ民族については、文字を持たない民族であったがゆえに詳しい歴史は、和人の書いた文献からしかわかりませんが有力な説として日本に和人が住みつく以前から日本に居て和人が大陸から入って来ることにより北と南に押しやられ南に行った民族が沖縄人になり、北に押しやられた民族がアイヌ民族になったと言われています。
アイヌ民族は、この北海道においては、先住民族であり、世界から見ても小数民族であります。現在のアイヌ民族の人々の数は、日本に約6万人と推測されていますがうち約85%の約5万人が北海道に住んでいると言われています。但しこの調査も明治の事であり現在とは違っているかもしれません。
 




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