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Volume.2005,Number 001
死者が蘇ることは100%ありません。
死んでいなかっただけです。
従って、再生は有りえず、しかし、再来は歴史的事実です。
| エジプト古王朝(紀元前3500年前後)期に製作されたとされる粘板岩製の"入れ物"。この入れ物が表現しているのは、解説によれば葦(アシ)細工である記されています。また、黄金を意味する記号が刻まれているとも…。
編みカゴ風のこの"物入れ"は底辺を強化した構造になっていることに気づきます。解説の視点に従えば、製作者は原型を極めて忠実に模倣したことになりますが、その緻密な作り組みは病的とも解釈できそうです。
さて、この物入れには"金"を意味する記号が印されていると紹介しましたが、どれが"金"を表す記号なのか判りません。
古代エジプト美術学者シリル・アルドレッド氏は、その部分の説明を怠っており、こちらとしては真に残念です。
この葦(アシ)製の物入れを模造した品物は、定説的解釈では死者があの世で用いる品物と言うことになっていますが、南米人類学研究所の認識は少々異なります。死者は、例えそれが黄金製品の物入れだとしても、それを必要としませんし、恐らく、食物を食すこともないでしょう。
死後の世界観について、F・グレゴワールは、『エジプト人は、死後に関して人間にはそもそも3つがあり、それは肉体、カー、バーであると、ある時期から捉えはじめており、また、死とオシリス信仰を混合していた形跡がある』とし、『その原因は原始的な伝承にある』とも述べています。では、その"原因の伝承"とは何を指しているのでしょう。彼は、オシリス神話にあると捉えているようです。

『オシリス神話を記録している【死者の書】では、死者は裁判で裁かれるが、裁判官を騙(ダマス)ことも可能である』とあります。
騙すとは、誰が、誰を騙しているのでしょうか。後世の我々がこの記録を読むことを踏まえ、彼らが記録したと捉えると、彼らが我々に一杯喰わせているかも知れません。その前提は、死者は口を利かないと言う、間違いのない事実です。(霊媒師等が登場する必要はありません)
ジョセル王のピラミッドを開いたのはザカリア・ゴネイム博士で、1954年3月の事です。縦坑からは多くの遺物が発見され、ゴネイムはこの墓が荒らされていないと強く確信していたとツシャールは著書で述べています。
玄室にはアラバスターと言う貴石で造られた石棺が、壁面に対してやや斜めに据えられ、石棺の扉は櫃の短辺の側面にあり、それは引き揚げる事で開閉を可能にする構造。扉は開けられた痕跡が認められなかったと言います。しかし『石棺の中にミイラは無く、空っぽだった』(ツシャール/著より)。
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ジャーナリズムはこれをセンシセーショナルに報じたようです。
この謎は、従来の認識の視点では全く解明することはできません。
■ 解釈の試み。
盗人が櫃(ヒツ)の中のミイラを引き出した後に、わざわざ250キロの扉を閉じたとは思えない。"彼ら"は、始めからミイラを収める考えなどなかった可能性が充分にあります。
ミイラとピラミッドの関係に、何らかの意図があって、櫃を造り運び込んだのではないでしょうか。
謎解きの入口になりうる可能性は、F・グリゴワールが述べている死者に対する観念の解釈にあるかも知れません。
ピラミッドを建設した理由を、農閑期の失業対策と王権力の権威づけを狙ったとする証拠の記録の発見が報じられていますが、その記録はエジプト全土のピラミッド建設を記したものではありません。稚拙な日干しレンガ造りの、ピラミッドの記録の可能性があります。
櫃もピラミッドも、神話伝承の無形情報を補足する為に建設されたとする可能性の視点は大変に重要であるかも知れません。
これらを示唆する証拠は、副葬されていた今回紹介している、この粘板岩製の"入れ物"に予見されます。
南米人類学研究所は、高い精度でその高精度の可能性見付けています。
ここでそのカギをお話しすることはできませんが、ヒントを提供することは可能です。
1/捏造されている旧約聖書のモーゼの物語と関わります。
2/所謂、旧石器時代の洞窟壁画と言われる図像に描かれています。
3/粘板岩でありながら黄金の記号と言う伝承。
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2006年4月号 ■HTML 大越真知 |
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