SARI 南米人類学研究所
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1989・・・・・・・・ボンヌフォア大作の辞典表紙
1990・・・・・・・・〔Guam Island's〕グアム島その他・島嶼
1991・・・・・・・・〔Turkey〕トルコ
1992・・・・・・・・〔Jordan/Egypt〕ヨルダン/エジプト
1993・・・・・・・・〔Society Island's/TahitiIsland's〕ソシエテ諸島/タヒチ群島
1994・・・・・・・・〔Egypt/Oasis,Pyramid〕エジプト/オアシス,ピラミッド
1995・・・・・・・・〔Mexico/Yucatan〕メキシコ/ユカタン
1996・・・・・・・・〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部
1997・・・・・・・・〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部
1998・・・・・・・・〔Jordan/Egypt〕ヨルダン/エジプト ※非公開(CLOSED)
1999・・・・・・・・〔Brazil/The Central〕ブラジル/中央部
2000・・・・・・・・〔Indonesia/Maldives〕インドネシア/モルディブ ※非公開(CLOSED)
2001・・・・・・・・〔United States/Los Angeles, etc〕アメリカ/ロスアンゼェルス…
2002・・・・・・・・〔Jordan〕ヨルダン
2003・・・・・・・・〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部※非公開(CLOSED)
2004・・・・・・・・〔Cazahutan/Zoon〕カザフスタン/山岳地帯※非公開(CLOSED)
2005・・・・・・・・〔Egypt〕 エジプト
南米人類学研究所の沿革画像
ボンヌフォア大作の辞典表紙

1989年

ボンヌフォア大作の辞典表紙


主に文献等による古代遺跡・人類史を研究。イヴ・ボンヌフォワ(Yves Bonnefoy)、パウロ・エーレンライヒ(Pail Ehrenreich)、サー・ジェームズ・ジョージ・フレイザー(Sir James George Frazer)、大林 太良(Taryo Ohobashi)の著書を中心に、地球規模で人類史と文明の不整合の原因を探求。 先史時代の記録、崩壊した古代文明。風習・習俗・民話・神話の発生には原因と動機があり、それらは経年変化等による変質により誤認・誤用されている可能性が大であると結論。古代史解釈の教養の基本が、これらの洗礼を被っているとすれば、人類史に関わる迷宮はその解きほぐしを行うことで解明できると踏まえています。
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〔Guam Island's …〕グアム島その他・島嶼
1990年

石の柱。頂部の”被り物”の意図を解明する
糸口を掴んでいる可能性があります。


太平洋の島々は、東南アジアなどと大陸との文化的関連が認められています。同時に、古代の海水面の上昇により個々の島嶼は、現状の地理的条件にあり確認できる遺跡等は極めて限られています。珊瑚礁は堆積を重ね歴史を封じている可能性もあります。 それらを取り除く事は不可能で、自然環境破壊にも繋がります。島嶼に残存する石の柱は寡黙ですが、謎の解明は可能だと捉えています。何故なら、指紋が克明に残っているからです。
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〔Turkey〕トルコ
1991年

カッパドキア地下通路と丸い石のトビラ


著名なトルコ・カッパドキア遺跡の現地の係員は、ヴィザンチンの遺跡だと自慢げに説明しています。当地には堆積岩をくり抜いた住居跡と共に、地下には巨大なトンネル網が広範囲に造れられてもいます。地下網の用途は敵が攻めてきた時に避難する為のものだと言われていますが、地下の出入り口を占領さるとお仕舞いです。 これらの地下網には1万人・3万人が居住可能と、かなりオーバーですが言われています。
地下居住の目的はトンネル網のように、奥の深い謎のままです。旧約聖書に登場するアララト山の麓には、ノアの方舟の痕跡とされる舟形の加工された桂化木が露出しています。この船内では幾つかの石碑が発見されています。
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〔Jordan / Egypt〕ヨルダン/エジプト
1992年

死海を北部から南部を眺めるNASAの衛星画像。
中央部の白い部分がロトの舌。


死海の南域にはロト・タンと名称されている突出地形があります。ロト・タンとは"ロトの舌"の意味で、旧約聖書に登場する神の罰を受けて滅亡したソドムとゴモラの伝承に登場する人物ロトから命名されているようです。周辺はイスラエル側とは異なり、ヨルダン領内は未調査エリアが多くあり、 記録を辿ると謎を解く鍵が埋もれている可能性があります。
シナイ半島は幾人かの探検家により調査されていますが、彼らの報告書はおおかたが未解決のままに忘れられています。幾つかの可能性を把握している事柄を更に絞り込むことで意外な発見に到達できると予見しています。
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〔Society Island's/Tahiti Island's〕ソシエテ諸島/タヒチ群島
1993年

タヒチ海岸での移動


南太平洋・タヒチ本島を一周するのは上り坂なども多くあり、体力的に難儀ですが、その他の島々はレンタサイクルなどを利用すればスムーズに移動可能です。主要の島々を除くと、珊瑚の堆積です。こうした島々の中には空港が細い環礁上にあり、島民の暮らす街へは舟(ジェットボート)を利用する島もあります。タヒチで有名なのは板状の石を利用して造られたマラエ(聖域/古代の神事場) ですが、この遺跡自体には多くを見ることはできません。古い記録を探りますと、墓所に幾つかのカギがみつかっています。当地の考古学者はこのカギに関心を示していません。
SARIはこのカギが世界の神話伝承と関わりをもつモチーフである可能性を掴んでいます。研究成果でご紹介している"亀"とも関係しています。
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1994
〔Egypt/Oasis・Pyramid〕エジプト/オアシス・ピラミッド
1994年

エジプト砂漠の温泉


手品師は観衆の視線を惑わす方法を用います。同様にエジプトと言えばピラミッド挙げられますが、これは手品師のテクニックと同様です。ピラミッドは地上に露出し、人々の関心を集めます。
ピラミッドへの好奇心は正しいのですが、それは秘められた謎のパーツでしかありません。『木は森に隠せ』の諺にヒントがありますが、その視点ですとピラミッドは森の一部です。
『ローマの歴史家カイウス・プリニウス・セクンドウス(紀元後61?113年)がエジプトの迷宮についての記述し、結果、一般にその存在が流布してしまった』。
この情報漏れは後世、再び人々の視界から砂漠の砂に消えています。少々怪しげな内容を研究していた研究者が、最近この問題を正面から取り上げています。変わらずオーバーな形容詞が見られますが、それでもこの古代の地下の巨大迷宮の所在に関する調査を丁寧に行っています。
サハラの砂がほぼ全てを覆っていることもあり、その入り口に偶然にしても"落ちる"ことはありえないと思えます。
結果として砂漠の砂だけを眺めるに終わったとしても、糸口に手が届きそうであれば試みる価値はあるようです。
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〔Mexico/Yucatan〕メキシコ/ユカタン
1995年

メキシコ/ピラミッド調査中


発見年代不詳・発見地不明。出来過ぎた証拠とも思われる壁面彫画は、1900年代に著書が自身によるスケッチと共に公表しています。
原版はもっと広範囲の厄災の様子が表現されています。人物が葦の舟と思われる手漕ぎボートに乗っています。水面では助けを求める人物がいます。海底噴火の様子が画面左にあり、更に左には建造物がまさに倒壊しつつある状況を克明に表現しています。火焔を印象づける吹き上がる雲と熱が画面上部を覆い尽くしています。
この記録が余りにも生々しい為に、ねつ造のヤリ玉に挙げられることもなく、見事な無視の対象となったようです。発見者もむ意固地になり出所を公表せずに亡くなっています。
この絵柄が湖水の都市か、海沿いの都市ですら不明です。壁彫刻にはビルが倒壊しつつる状況が彫り出されています。ねつ造するならビル崩壊のシーンは、まず描かないでしょう。SARIはこの所在を承知していませんが、歴史的事実を記録したものであると認識して調査しています。
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Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部
1996年

ブラジル/被り物。羽根で飾られた民俗具。


ブラジル国立公文書館。管理番号512号。1700年代の古代都市発見報告書。
この資料には何故か、あるべき添付地図が消滅しています。閲覧可能対象から外されたのか、閲覧者の誰かが持ち去ったのかは不明です。この公文書はイギリスを介しアメリカから世界に知られました。日本でも最高学府の数人の教授が蔵書としています。
そもそもこの古記録は、『廃墟と化したローマ風の都市を密林で発見した』と言うものです。従って、歴史政策的には、認めてはいけない報告書に属します。コロンブス以前に新大陸に到達した人が居てはならないのです、コロンブスを出迎えたインディアンを除いてです。少なくとも20世紀の後半には、この物語を信じているのはアジア人だけのようですが…。かくしてこの報告書は時代の経過に埋もれ、忘れられていました。”当事者”を除いては…。
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〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部
1997年

オメ教授の著作は注目を浴びたが
それが追求されることはなかった。


探検家的考古学者のマルセル・オメはアフリカにも出向いていますが、それ以前にブラジルでドルメン(巨石机型遺物)と、そこに記された幾つかの記号群を発見しています。彼のある著書は日本国内2箇所にしかなく、一冊は京都大学で所蔵しています。取り寄せました所、裁断ミスで袋綴じ状態が2箇所ありました…。それなりに古い本が袋綴じのまま数十年を経過している…、ええ、そうです。誰も読んでいないのです。で私が開きました。
実はオメ教授はドルメンよりも興味深い目的でブラジルに侵入していたらしく、目的の探査は2か月ほどの強行軍にも関わらず、
当時のテクノロジーの未熟さのために惨敗しています。かなり詳細な記録を残していますが、それでもアマゾンに流れ込む河川の数を踏まえると雲を掴むような情報です。
彼は再挑戦することなく、他界しています。オメ教授の不確かな目的地近傍には、フンボルトをはじめヨーロッパの学者が接近を試み、古代文明の残滓発見の報告を行っていますが、一般には知られていません。スケッチがありますが、それは驚嘆するものです。SARIの調査は、当該地域の絞り込み成功しています。
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〔Jordan/Egypt〕ヨルダン/エジプト
1998年

※非公開(CLOSED)
1998 サハラ砂漠へ入る。ルーフには生前となる鶏が搭載されています。
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1999
〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/中央部
1999年

洞窟内部から外界を望む。撮影/ベイガ氏


ミナスゲイラス州は最近まで鉱物資源が採掘されていましたし、歴史的にもポルトガル宣教師をはじめ多くの山師がその富を求め立ち入っています。採掘者と宣教師は結局、鉱物資源(黄金とダイヤモンド)と、人的資源(インディオ/労働者)の2つを奪い合っています。
ポルトガル政府は山師の側につき、宣教師への弾圧を行っています。宣教師は採掘した鉱物資源を隠蔽し、山師と戦うことで死亡または、隠蔽した後に帰国し投獄されています。
宣教師のアジトは不明のまま放置されたようです。
そもそも政府は承知していない事柄があり、宣教師は歴史的な密命に基づいて行動していたようです。彼ら宣教師の目的は、土地の資源ではなく、情報への強い関与にあったと思われます。
その証拠は、21世紀の今日に至っても積極的に公表しようとしない事実がそれです。
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〔Indonesia/Maldives〕
インドネシア/モルディブ
2000年

※非公開(CLOSED)
2000年 昔むかし、インド洋に真珠のように美しい島々があったと言います。今は浅瀬となり、船はこの地域に立ち入らない。
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〔United States/Los Angeles, etc〕アメリカ/ロスアンゼェルス…
2001年

写真はロスアンゼェルスとは異なります。


ロスアンジェルスは、先住民の名付けた地名をスペイン語そして英語へと置き直したものと言われています。サンアンドレアス断層が南北に伸び、この大都会は20世紀にも幾度と無く大地震に見舞われています。
“失われた天使”とは意味深長ですが、その語源は伝承に求めなければなりません。ロスアンゼェルスの街中にタール(石油)の噴出池があります。その池の中にはマンモスの骨などが露出した状態で人のあまり訪れない観光名所となっています。
解説板には”タールに足をとられたマンモス達”とありますが、何十頭ものマンモスをはじめ他の動物がそこにハマルことはあり得ないでしょう。今日のアフリカでもそうしたケースは報告されていません。真相はサンアンドレアス断層を含み環太平洋に求めるべきで、それには失われた天使が関与している可能性が、ペルー沖合の水深数千メートルに予見されます。
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〔Jordan〕ヨルダン
2002

ペトラ遺跡の場内


ヨルダンの首都アマンマ近郊にある、非常に古いイスラム寺院に秘匿された情報は、出版と言う表手段で公にされましたが、奇想天外的な内容であったことから忘れられています。
1992年の調査では、そもそも寺院の所在すら確認できず、ホラ話かと落胆した経緯があります。記念すべき21世紀の元旦、アイルランドのドミトリーで迎えた時期にこの寺院に関し、新たな情報を得ました。この寺院の地下は、トルコのカッパドキア地下都市群に類似すると捉えてよいようです。
深さ・総全長などの具体的な記録は、そもそも未公表のままです。報告者によれば、その地下都市は巨人族のモノだとあり、巨人族の話は保留としても、相当に巨大な規模である可能性はあります。
問題のイスラム寺院の地下がそれであるか確証のないままの調査で、寺院の世話係の監視(?)が非常に強く、まともな調査は出来ずに完了しています。
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〔Brazil/The Northeast〕ブラジル/北東部
2003年

※非公開(CLOSED)
2003年
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〔Cazahutan/Zoon〕カザフスタン/山岳地帯
2004年

※非公開(CLOSED)
2004年 王立協会が派遣した探検隊の発見記録は、多くのページに”適正化”が施された後、主要各国に配布されました。
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〔Egypt〕 エジプト
2005年

死者の魂が出入りする"偽りの扉"と呼ばれています。
ヘシオドスと同質のレトリックが見え隠れしています。判りますか?


エジプトの王は死後、何故ミイラにされたのでしょうか。幾つかの学説がありますが、定説の基本は古代人の宗教観に立脚しています。では、その宗教観とは如何なるものでしょう。また、その宗教観念に基づくミイラづくりの理由は、明確なのでしょうか。”宗教用語”の死後の世界は、何時の時代からか民衆に浸透し、今では完全に自立しています。
これらを突き詰めますと、恐らく”宗教観念の壺”に、様々な疑念を投げ込むことで口を閉じていたことに気づくのではないでしょうか。
ミイラは南米大陸でも発見されていますし、そのミイラは権力者でもないケースがあるようです。いつの時代か明確ではありませんが、支配者は私たちが理解しているような権力者としての力を有していなかった可能性が予見されています。王の生死は、司祭により決定されていた歴史的事実があります。これに関してフレイザーが著書で報告しています。
糸口は例えばミイラづくりのバックボーンに宗教観念を設定しないことだとSARIでは考えています。
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