谷村有美のスーパーエディション

1997年11月1日(土) 最終回


谷村有美が、お届けしていきます、スーパーエディション。最終回の今日は、谷村有美ヒストリーと題してお送りします。
まず、1曲目は1987年のアルバム「ビリーヴィン」から「not for sale」です。
この曲は、歌を仕事にする事になったけれども、夢を売り物にしないように、心に碇をした曲です。


ファーストアルバム「ビリーヴィン」から「not for sale」

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谷村有美が、お届けしていきます、スーパーエディション。最終回の今日は、谷村有美ヒストリーと題してお送りします。
まず、このコーナーでは、1988年にリリースされました、セカンドアルバム「face」、
そしてサードアルバム「Hear」から紹介したいと思います。

まず、ジャケット写真が今ここにねダーって全部並んでるんですけど、まぁ、ほんとにいろいろありますね。
変わってるっちゃ、変わってないのかなぁ。
髪の毛が長かったころもありますし、短かったものもありますし、いろいろなものがありますが。
ねぇ、本当に、並べてしまうとホントに結構あるな。2,3,4,5,6,7,8,9枚ですね。
あと、これにベストアルバムが2枚とクリスマスアルバムが入ったりとか、そしてニューアルバムもはいりますから。
まぁ、でも、まだまだ、まだまだ、ね、まだまだいけるでしょう。

髪の毛が長いころ、この2枚目っていうのはですね。特に、なに、え、なに、みたいな。いたいけな、まもって、みたいな。
おいおい、ブリッコすんじゃないわよって感じもちょっとありつつ、

そして、3枚目は、同じ髪が長くても、パーマを当てていてですね。ソバージュ系になって、ふんって、首をかしげで微笑んでいますが。
まぁ、懐かしいわ。これ、サンフランシスコで撮ったんですよね写真。
苦労しましたよ、ホントに。
街角に腰掛けちゃう、あのカジュアルさが、すごく魅力的だったような記憶がありますけれども。

さて、このアルバムがリリースになりました
1988年の主な出来事は、坂本龍一氏が、映画ラストエンペラーで、アカデミー賞受賞、これ音楽部門ですね、を受賞されました。
そして、ソウル五輪、背泳ぎで、ですね、あの鈴木大地さんが、金メダルを獲得。
バサロスタートといって、なんか、あの話題になりました。

翌1989年はですね、ちょうど昭和から平成に変わりました。
平成という元号が発表になった瞬間、私はリハーサルスタジオでリハーサルをしていました。
なんかすごく、あんまり天気が良くなかった気がするんですけど、テレビで平成っていうのをバーンって、書道の筆文字で出して、
テレビで見た時に、えーっ平成、っふーんって。言ってたの。私たち昭和の生まれだからさって。
いつかガンコじじいや、ガンコばぁさんになった時にね、言わないといけない時代がくるのかしら、なんて言ってましたけれどもね。

でも、あの、あれです。そうだ、平成って、あれ、英語みたいだなって私は、印象があって、ヘーイとセーイじゃない。
ヘーイ、セーイって、あー英語みたいと思っていたら、
早かったですねぇ。ジャニーズのグループがすぐ「ヘイセイ」っていうレコードを出してました。光GENJIですね。
当時、人気がありましたね。

さて、余談がいっぱい、もう、それまくってますけれどもね。
自分で、そうですね、いろいろな思い出がありますが、このごろは本当に、1週間の中でも、日本全国を飛び回ってましたので、
飛行機や新幹線の中で曲を書くのがメインだったような、そんな時代です。
ええ、お送りします。
曲は谷村有美のセカンドアルバム「face」からバラードで、「tonight」、
そしてサードアルバムからは「かんばれブロークンハート」を、お送りします。

セカンドアルバム「face」からバラードで、「tonight」

サードアルバムからは「かんばれブロークンハート」

お送りしました曲は、谷村有美で「tonight」。
これは、ライブのエンディングとか、最後にいつも歌っていました。弾き語りバージョンとかいろいろありますね。
思い出のこもった曲です。
そして、「かんばれブロークンハート」でした。

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お送りしていますのは、1990年にリリースになりました、
4枚目のアルバム「プリズム」の最後を飾る、「ひとつぶの涙」です。
懐かしいですね。以上にキーが高くてですね、当時としては、珍しくなんか、スピリチュアルなものをテーマにして作った歌です。

アルバムのタイトルには、それぞれいろいろな意味を込めていて、
デビューアルバムの「ビリーヴィン」だと、まだデビューする前っていうのは、まだ人にも誰にも会っていません。

誰も谷村有美ってものを知らない中で、誰かに会えることを信じていたり、きっとすごい味方になってくれる人たちに出会えるだろう
っていうことを信じていたり、そこに向かって、くじけずに行ける事を信じていこうっていう意味で「ビリーヴィン」。

そして、「face」は、ちょっとせっかく、お知り合いになれたのだから、
もっともっとface to faceしたいわねっていうことで、「face」。
そして、もっとね、私の顔、かたちを知って欲しいってことで「face」。

そして、「Hear」は、まぁ、聞こえてきますよっていうのが「Hear」。

そして、「プリズム」は、こう、無色透明な、自分の中の気持ちみたいなものがいろいろないろいろな人たちの愛情とか,思いとかで、
いろんな光を放ち始めるっていう、まぁ、意味を込めて「プリズム」ってタイトルを付けました。

さて、谷村有美のナビゲートでお送りしていますスーパーエディション。
今日は、谷村有美ヒストリーをテーマにデビューアルバムから順を追って駆け足で、紹介していきます。
一言では、ね、言い尽くせないことがたくさんあります。

ここのコーナーでは、1991年にリリースしました、5枚目のアルバム「愛は元気です」。

そして1992年の6枚目のアルバム「ドシル」、

1993年7枚目のアルバム「愛する人へ」から、1曲ずつ紹介していきたいと思います。

このころになると、だいぶ、こう、いいんですけどもね、自分的にも。
1991年の主な出来事は、湾岸戦争勃発でした。
はい、そして、TVドラマ、東京ラブストーリーが、大ヒットしたときは、この年だったんですね。
あと、101回目のプロポーズ。おーっ武田鉄矢さんですね。
あ、そうか、そうか、そうか。東京ラブストーリーはねぇ、あのー、どっかロケに行く前の日に、全部ビデオに、
ちょうどね、レコーディングで見れなかったと思うんですね。全部ビデオにとってあって、一挙に見ましたよ。
泣きながら、「カンチー」とか言いながら。はは、懐かしいですね。

そして、1992年は、毛利さん、宇宙にいらっしゃったのが、92年ですか。あの頃は、もう、毛利ブームでしたよね。
うん、ええ、懐かしい、リンゴをなんとかって、実験してましたね。そして、尾崎豊さんが亡くなったのも、この年。

そして、'93年は、皇太子さんと小和田雅子さんが、御結婚。そしてJリーグが開幕しのも、この年です。大ブームでしたものね。

次に、お送りいたしますのは、谷村有美の実体験に基づいた曲です。
あるお友達が、失恋しちゃって、久しぶりにおうちに帰った時に、あのー、電話が掛かってきて、「失恋しちゃってさ、なんて」、
そうなの、なんて、会いに行ったときのうた。これは、「友達」という、歌ですね。「愛は元気ですか」から。

そして、「ドシル」からは、「たいくつな午後」。これは、デビューして、しばらくホテル暮らしをしていたんですけれども、
まあ、かんたんな、ほんとに、質素なホテルだったんですけれども、そこの屋上で、ぼんやりと、空を眺めながら、曲を考えたりしながら、
思っていたことを歌にした曲です。

そして、もう1つ「愛するものへ」からは、「好きこそものの上手なれ」。
これは、まあ、あの、谷村有美のまぁ、座右の銘、ことわざシリーズ第1弾ですね。「好きこそものの上手なれ」、

3曲続けて、お送りしたいと思います。


「愛は元気です」から「友達」

「ドシル」から「たいくつな午後」

「愛する人へ」から「好きこそものの上手なれ」

この友達は、ちゃんとこの失恋から立ち直ってですね、元気に働いたのち、この間めでたく結婚しました。
そして、「たいくつな午後」「好きこそものの上手なれ」、
これは、ライブでは、定番の曲になっています。3曲お送りしました。このあとも、まだまだ、オンパレードです。

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そろそろ本日も、後半にさしかかってきました。谷村有美がプロデュースしています、スーパーエディション。
谷村有美の曲を御堪能、いただいていますでしょうか。
もうすでに7曲なんですよね。
デビューアルバムの頃は、まだライブの経験がなくて、
2枚目のアルバムでパワーステーションでコンサートをし、渋公に行き、武道館、日本武道館をやるようになり、
全国ツアーに展開していき、という、ザーっと駆けてしまうと、ホントに、こんなものなんですね。

あら、なんて、私の人生、こうして続いて来ているんですけれども、
ちょうど、その「好きこそものの上手なれ」の入っています、
あ、そうか、「たいくつな午後」が入っている「ドシル」から、全曲作曲、
そして、「好きこそものの上手なれ」の入っています、「愛する人へ」というアルバムから、あの次にお送りします、
幸福の場所と書いて、「しあわせのありか」と読むんですけれども、「幸福の場所」から全作詞作曲、谷村有美ということで
谷村有美色が強くなってきたという風に、ねぇ、言っていただくんですけれども、
私自身としては、「全部どれも谷村有美っぽいな」っていう気がしちゃって、これは声のせいなんでしょうかね。
どんな歌を歌っても、たとえば、いろいろな歌のカバーをしても、なんかね、谷村有美になってしまうんだなぁ。
で、レコーディングをしているときに、いろいろな、まぁ、オケといって、その、いわゆる、レコーディングで、
まだ、その歌、本当の歌をとっていない状態、仮歌でね、とっているときに、歌だけを消すと、どうなるんだろうと思っていても、
歌を乗せてしまうと、谷村有美じゃない、みたいな。

まぁ、これは、そうですね、デビューする前には、これでもコンプレックスだったんですよ、この声。

へんな声とかいわれていて、キャンキャンしてて通りは、いいし、まぁ、
でも、そのかわり遠くにいる人にも、あの、よく届いたので、便利立ったのは、便利だったんですけどね。
授業中は、笑い声が、うるさいぞ、と怒られたりとかしましたが、それがデビューしてみると、あの帯に「クリスタルボイス」。
ウケたね、結構。はぁー、そうなんですかぁっていうことで、
しばらく、そう、クリスタルボイスなんです、なんて言って、冗談半分、褒め言葉と受けとって、
まぁ、これを個性として今までやってこれたかなと思っています。

さて続きましては、その「幸福の場所」のアルバムと、それから「圧倒的に片思い」のアルバムから、
2曲お送りしたいと思います。
これは、すごく、もう、髪の毛をバッサリ切ってですね、短くしてスッキリしてた頃のアルバムですね。お送りしたいと思います。
すごく、思い出に残っている歌なんだな、これは。谷村有美で「恋におちた」、そして、「信じるものに救われる」。
2曲続けて、どうぞ。


「幸福の場所」から「恋におちた」

「圧倒的に片思い」から「信じるものに救われる」

10枚目のアルバム「幸福の場所」から「恋におちた」。
2年前にリリースしました「圧倒的に片思い」から「信じるものに救われる」でした。

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谷村有美が、お送りしてきたスーパーエディション。
最終回の今日は、あっという間の10年、
谷村有美ヒストリーをテーマにデビューシングルから懐かしい私の曲を、大急ぎでお届けしました。
いかがでしたでしょうか。
ほんと、駆け足っていう感じで、こんな風に並べて聴くことも、私自身も無いので、非常に新鮮だったんですけれども、
いかがだったでしょうか。
もっと、もっと、いろいろなエピソードがね、あったんですけれども、
また、それは、是非、コンサートなんかでも、お話しする機会があればいいなと、思っています。
そんな私は、今、ツアー中です。
もう、始まっているんですけれども、これからのスケジュールはですね。

スケジュールの読み挙げ

是非、あなたの町に、おじゃました時には、コンサートの方、楽しいので、是非、会いに、来て下さいね。
それでは、5回続けて聴いて下さった方、そして今週だけ聴いて下さった方、みなさん、
ほんとにどうもありがとうございました。また、どこかで必ずお会いしたいと思います。

お相手は、私、谷村有美でした。それじゃ、またね。さよなら。

Ending 曲 face up

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