This week's feature
06/08/11  Nuclear disarmament
 今月のDay of the monthでも取り上げましたが、8月6日広島、9日長崎に61年前原爆が落とされました。みなさんは「二重被爆」をご存知ですか? 原爆投下から2週間以内に両市に入ってしまい被爆してしまった人たちのことを言います。例えば、広島に住んでいて原爆に遭い家族を失った人が、納骨のため郷里の長崎を訪れた時に残留放射線を浴びてしまう、または広島にに仕事で来ていたときに原爆に遭い、家族は長崎にいるので戻ったとたん第2の原爆に遭ってしまった人など、その当時は放射能の威力を知らないがために起こってしまった悲劇です。そんな実態が明らかになったのは、昨年二重被爆者の方が被爆の体験記を国立広島原爆死没者追悼平和記念館に寄贈したのがきっかけです。それを機に被爆者13万人のデータを調べ直したところ二重被爆の可能性のある人が約160人もいたそうです。

 当時アメリカは原爆を3個持っていました。プルトニウム型2個、ウラン型1個。プルトニウム型の1個はニューメキシコ州の砂漠で実験に使われ、残りの2個が日本に落とされました。地上では実験したものの、空からの投下の威力を試すために落とされたと言われています。その当時のトルーマン米大統領は投下後の声明で「我々は歴史上で最も重大な科学上のギャンブルに20億ドルも費やしてきた。そして我々は成功した」と言ったそうです。"成功"とは何でしょうか? 今でもアメリカ人の中には、この原爆があったからこそ日本はこれ以上の犠牲者を出さずに戦争を終結することができたのだという見方をしている人たちがいます。しかしそのために、なんの罪もない20万人以上の市民が犠牲になり、生き残った人たちそして母親の胎内で被爆した子供たちは未だに原爆の放射線の後遺症で苦しみ、いつどうなるかわからない毎日を送っています。

 今北朝鮮は核開発を進め、イランをはじめ中近東ではその疑念がもたれています。核戦争廃絶どころか、むしろまた同じことが繰り返されそうな脅威を感じます。
原爆の恐ろしさを知っているのは世界の中で日本だけです。もっと日本が声を上げ中心になって核廃絶を訴えていくべきだと思います。そして政府も「唯一の核被爆国」としての指導力をもっと発揮して欲しいと思います。

 数年前長崎県の高校生が国連で核廃絶を訴えた後、署名活動を始めました。そしてその運動は今アメリカ、ニュージーランド、韓国にも広がっています。被爆者も平均年齢70歳を越えました。この被爆の悲惨さ、むごさを次世代が決して忘れてはいけない、語り継いでいかなければならない出来事だと思います。
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