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何も見たくなくて 何も聞きたくなくて 俺はひとり路地裏の壁にもたれた。 耳に届くのは降り止まない雨の音だけ。 遠くに聞こえる喧噪は雨音にかき消されて 何事もなかったようにその空間は存在した。 何をしていたんだろう。 何がしたかったんだろう。 何が出来たんだろう。 ただ、疑問符だけが繰り返し頭をよぎり、 その答えを求める事は身体が拒絶している。 静かな空間。 髪から落ちる雨だれだけが鬱陶しい。 「鋼の」 「…たい、さ?」 声の主に顔を向ける。 回した身体が、雨に濡れて重い。 「何で…言わなかった」 「言ったところで君に何ができる」 「何も知らないでいるよりましだ」 だめだ 「君は、先に行かなければならんだろう」 「そういうのを大きなお世話って言うんだよ」 これ以上 「ほう、そんな事を人に言われたのははじめてだ。私は普段から気が利かないタチらしくてね」 「・・・ムカツク」 「おやおや、嫌われたものだ」 頭の中で鐘が鳴る。『これ以上近づいてはいけない』と。 「もともと俺は、あんたが嫌いなんだ」 「なぜだろうね」 なぜ そうやって笑う。 そうやって、静かに。 「何であんたは俺に構う?」 「君を軍に推薦したのは私だ。君の動きが私の昇進に関わるのでね」 「それだけかよ」 止まれ。 「ふむ…さてね」 「あんたが俺に構うたびに、すっげーイライラする」 とまれ。 「あんたは俺の何なんだよ!?」 ト マ レ 「…!?」 勢いに任せて背伸びをした。 胸ぐらを掴んで、引き寄せて。 人の唇ってのは、意外と低いところにあって、あっさりと届いた。 届いて、しまった。 柔らかい感触と、他人の体温。 それも雨に奪われ、そこには何もなかった。 勢いで歯が当たったらしい。 口の中に、鉄のさび臭さが滲んだ。 何も考えていなかった。 何も望んではいなかった。 この行為で 何かが得られるとは思わなかったし、 何かが変わるとも思わなかった。 結局何の意味を持つ事も無かったその行為を 相手を突き飛ばす事で終わらせようとした。 終わらせたかった。 のに。 「っ…!!」 ぐい、と背中に力が掛かり、身動きがとれない。 離しかけた唇が、さらに近く、深く絡んだ。 自分を忘れてしまいそうになる一瞬。 しつこく響き続けた鐘が、もっと大きな音を立てた。 だ め だ 背をのけぞらせ、必死に腕を伸ばして その厚い胸板を遠ざける。 「む…っふ」 そのままあっさりと体は離れ、 奴はまた、 静かに笑った。 相手を睨み付け 肩で息をする。 雨に、体温も体力も奪われた。 寒い。 重い。 暗い。 「若さだよ」 そう言って、また穏やかに笑うあいつの顔が見たくなくて、 俺は逃げ出した。 何処へでもなく、 ただ、あいつに背を向けて。 「私は君にとって何なのだろうね」 だれかが、そう呟く声も 耳を掠める風の音と雨音にかき消されて 俺の耳には届かなかった。 → |