―渋谷区円山町、道玄坂。


ホテルの照明は淫靡で仄暗い。周りを良く見渡すことも出来なければ、至近距離の相手の顔も良く見えやしない。
顔なんて見えなくて良い。見えなくたって、この男がどんな男かは呆れるほどに解る。
自分と肌を重ねている、という、其の時点で。


近づいたテーブルの上では五人の福沢諭吉がこちらを睨んでいる。
シャワーを浴びるなりそそくさと出て行った、医者だとか言ってたあの男が置いていったものだ。(まあ男の素性などどうでもいいのだけれど)
随分と焦っていたのか、福沢さんに混じってコンビニのレシートが挟まっていた。
「ウーロンチャホット ¥136」
妙はそれを見て、くすりと笑う。
―慌てるのは当たり前だ。「ドクター」がセーラー服の女子高生と、それも渋谷区道玄坂のホテルから出てくるところを、誰かに見られでもしたなら―。
そういやあの男は、此処に入るときもやたらに辺りを気にしていた。
それも当然のことではあるのだけれど、そんなにやましく思うのならば、初めから女など買わなければ良い―と思う。
思うだけで口には出さない。
世に知れたら終わりなのは自分とて同じこと。
何より、そういう輩のお蔭で野垂れ死にせずに済んでいることは、紛れも無い事実なのだから。
―しかしながら、5万。
女子高生の売りの範囲では、まず得ることの出来ない金額。本来ならせいぜい2万、高くて3万と相場は決まっている。売春を生業としている商売女は別として。
医者というのはそんなに儲かるものなのかしら、と思う。
携帯の時計で時間を確かめる。チェックインしてから1時間26分。まだ、時間はある。
巻いていたバスタオルを放り投げて、無駄に広いバスルームへと向かった。
ささやかな喜びと共に、やりきれない思いを胸に抱きながら。


どれほどのひとが、なかをとおりすぎていったのか。
高1の夏、父が保証人になっていた会社の社長が、多額の負債を背負ったまま姿を消した。
矛先が向けられるのは当然、父。そしてその、家族。当然の如く連日借金取りが押しかけてきては金を要求する。家の物は粗方持っていかれた。
父は心労で病を患い、元より身体の弱かった母は直ぐにこの世を去った。自分に残されたのは多額の借金と病気の父、そして何より大切な弟だけだ。
―護らなければならない。
ただ、それだけの意思で此処まで来た。
今自分がしていることがどういうことか解らぬほど、妙は子供でも馬鹿でもない。世間様からは後ろ指を指され、世が世ならお天道様に背を向けて歩けないようなことだ。罪という意識にさいなまれ、眠れぬ夜は数知れず。それでも。
護るべき、もの。
それを思えば容易く壊される。秤に掛けたらどちらが重いかは言うまでも無い。
護るべきもののために、妙は自分を地獄に売った。
心の痛みも身体の痛みも、あまりに感じすぎて「痛い」という感覚を忘れてしまった。
自分には明日も未来も進路希望の紙も無い。ただただ今日という日が過ぎ去るのを待つのみ。死にたいと思っても死ぬことも出来ない。
「生きる」ということが自分に課せられた業だった。
―そんな自分と、自分の中で果てる男たちと。
胸に去来するやり切れぬ何かを拭うように、妙は熱いシャワーを浴び続けた。




暖冬であるせいか、12月だと言うのにコートは必要なかった。それでも時折吹いてくる風は冷たく妙を打ち付けてくる。
空には一面の暗い青。109のネオンは煌々と輝いていて、駅前のスクランブル交差点をこれまでかと言うほどはっきりと照らしている。
―交差点の中心に立ちながら。
まるで、自分の奥底まで露呈されてるような気分になって、嘔吐感が込み上げてきた。
信号が変わっていくたびに作られては引いて行く人の波。
ちかちかと毒々しい輝きを見せ付けて闇を照らし出すネオンの光。
流れてくる中身の無いクリスマスソングと顔がいいだけのアイドルのPV。
どれもこれも、憎たらしいくらいに眩しくて、気持ちが、悪い。


星屑のような輝きが今、手を伸ばせば届きそうな距離にある。
けれどどんなに手を伸ばしたところで決して届きはしないのだと解っていた。
煌々と輝くネオンの大夜会、渋谷の街。
妙が預けているのは淫靡に光る照明の下、闇色の坂。
―所詮、あれはまほろばの光。




涙は出てこなかった。
溢れ出るのは自嘲の笑いと赤い血だけ。
そんな自分を捨て去りたくて、直ぐにそこから走り去る。
けれど。
そんなこと、できるわけがなくて。




携帯にまたひとつ、しらない男の着信履歴。
新たな陽が世界を照らせば、また別の男がからだのなかを駆けていく。
嗚呼、行かねばならない。戦うために。
生かねばならない。護るべきもののために。
業を背負う道を、自分で選んだのだ。




―渋谷区円山町、道玄坂。
今日も妙は坂を上る。


いつか見えると信じたい、下り坂を目指して。