珍しいこともあるもんだ、と総悟は思った。

今、彼の腕の中で妙がすうすうと眠っている。彼女を初めて抱いてから長く経つが、こんなに穏やかな寝顔を見たことはなかった。
初めて妙を抱いたのは風が木々の緑を揺らし、光に映えていた皐月のある午後だった。少しずつ高くなり始めた陽に照らされる妙の身体がひどく美しかったのを覚えている。
総悟は片手を伸ばして障子を開け、満月の浮かぶ空を見た。ふと入り込む秋の風が裸の身体にひんやりとまとわりつく。妙の身体に布団を掛けてやった。先程の情事の名残がじっとりと染みついてはいるが、何も掛けていなくては寒いだろう。

不思議な感覚がした。

思えばこの二人の関係も不思議なものだ。花見の出会いから十日ほどの後、真選組は妙のたっての希望で彼女に剣術の指南をつけることになった。廃刀令で門下生が居なくなった道場は存続してゆく意味を持たぬとはいえ、妙は武人の娘であり、道場を守り復興させるという義務感を背負っている。父亡き後は独自に腕を磨いてきたが、やはり限界がある。そこで真選組に指南を請うた。
が、土方は副長職で多忙であり、山崎も監察方という立場上、そうそう表には出られない。近藤は別談の理由で以ての外である。そこで、土方の「お前が行け」の一言で総悟が行くことになったのだった。
妙と初めて立ち合ったときのことを、総悟は鮮明に覚えている。
総悟は今迄にも女と立ち合うことは少なくなかったが、その中でも妙の力量は群を抜いていた。彼女の流派−志村流というのがどういった流派であるかは解らないにせよ、彼女の構え、太刀筋を見ただけでも妙がどれ程の手慣れであるかは良く解った。

あの時から炎のように熱い女だった、と思う。
総悟は妙の寝顔を覗き込んだ。
それは女の顔をしていた。

総悟は妙を抱くようになってから、他の女と関係を持っていない。元々、何処ぞの副長のように色好みな訳では無いから、性欲処理のために商売女を買っていれば良い話だった。女に求めるのは性欲であって、戦で疲れた心を癒す、だとかひとの温もりを感じる、だとか、そんな甘ったるい考えは抱いたことがない。

−ならば、今自分はどんな気持ちで妙を抱くのか。

妙に指南をつけ始めてから数月が経ち、妙の腕はめきめきと上達した。元来、素質、実力共に兼ね備えていたのだが、実際に指南を受けることで殊更花咲いたと言うことか。
そして、皐月の終わりのあの日の事だった。その日、妙と総悟は竹刀で立ち合っていた。総悟は勿論本気で斬りかかる事は無い。しかし油断していると妙に踏み込まれる。妙の腕はもうそこまで来ていた。
立ち会いの最中、ふと妙の口元が微かにつり上がった。総悟はそれに気付くのが一瞬遅かった、と思う。
次の瞬間、妙の竹刀が総悟の喉元に突き出されていた。

斬られたや   

総悟の中で何かが動いた。刹那、総悟の瞳孔が見開かれ、妙の竹刀がからんと音を立てて床に落ちた。
妙を斬った。


その時に生まれた感情をどう表したら良いかは解らない。
ただ、その日のうちに総悟は妙を抱いた。


刀を振るうより荒々しく、研ぐよりも繊細に、総悟は妙を女にした。


あの日からもう半年近く経っている。木々を染めていた深い緑は何時しか朱や黄にその色を変え、高かった日はすでに遠くに沈んでいる。
夜の闇は何処までも深く、月だけがただ其処に青白く存在している。

総悟は何気無く、それを己と照らし合わせた。

沖田総悟は、これまで数多くの生命を斬ってきた。真選組としては仕方の無い、寧ろ当たり前の事かもしれないが、幾度と血生臭い戦場に赴いてはその刀を、真選組の隊服を、そして己を血の色に染め上げてきた。
混沌と其処にあった生命、どれもが総悟の前で一瞬にして消えた。消えゆく者に対しても、その行為に対しても、そして己が其処で命を散らすことに対しても、総悟は特に疑問を、感情を抱かぬようにしていた。あの異常とも言える状況の中でいちいち情を抱くようでは、己は己として居られなくなる。恐怖だとか、罪悪感だとか、苦しみだとか、そういった本来ならば其処で生まれるべきものを抑えることで、己の平常を保っていた。
真選組一番隊隊長沖田総悟として存在するためにそういう手段をとったのだ。
夜闇が戦場に渦巻く物であるとしたら、浮かぶ月は正しくは総悟であるといえる。

しかし驚いた。妙が現れた。自分を斬った。斬られてしまった。

妙に斬られたと感じた時、総悟は同時に自分の中で何かが声を上げているのを感じた。産声だった。自分がこれまで生ませまいとしていた感情が生まれてしまった。

妙を斬った。

また別の何かが総悟の中で産声を上げた。

斬られてしまった。斬ってしまった。そして感じた。

妙が恐い。

この小娘が恐いのだ。

戦場で総悟が抑えていた感情、恐怖、苦しみ、憎しみ、罪悪感…そういったものを抑えることで存在していた沖田総悟という存在を、この小娘は毀すのだ。土方や近藤らと立ち合う時とは又違う。彼らに斬られる、彼らを斬るときにはかけらも思わない感情だ。妙にしか抱くことは無い。何故だ?妙が女だからか?だから自分は妙を抱くのか。妙が恐いから、己の平常を乱されるのが恐いから、この女よりも優位でありたいと願うから、自分は妙を抱くのか?

ふと総悟は人斬りの鬼の俗話を思い出した。何時の世のことだか、江戸に人斬りの鬼の某とか言う者が居たと聞く。数多の人間を斬り続けた鬼は、己の犯した罪をもたげるが為に人間の子供を育てようとしたのだと言う。人斬りの鬼が、その「人」の子を育てるという、何とも奇妙な話である。

自分もまたその鬼と同様、妙と斬り合うことによって生まれる恐怖や罪悪感を拭うが為に妙を抱いているのか。
全く、滑稽な話だ、と総悟は自嘲気味に笑う。それでも自分は今、自らの腕の中で眠る妙を抱かずに居られない。

妙を抱く腕に、微かながら確かに力を込める。
ふと自分は、妙に斬られ、妙を斬り、妙を抱くことで「生」を感じているのかもしれないと思った。
妙と斬り合う時は、常に己を揺るがされている。感情を抑える術を失ってしまったからだ。恐ろしやこの小娘は自分に戦いの恐怖を、苦しみを思い出させ、己の平常を乱している。揺るがされ、乱されているからこそ己の生を、彼女を抱き、彼女の体温を感じることで他人の生を、そして己の熱を思い出させてくれる。
妙と居る時、自分は生きている自分を感じることが出来るのだ。そう思うと、やはりこの女は恐ろしい。自分の意図せぬ処で一人の男の生を握っていると言えるのだから。

総悟はまた、妙の寝顔を見た。本当に穏やかだ。初めて抱いた時は勿論のこと、彼女は何時も何処かに苦しみの表情を浮かべて眠っている。気苦労の多い女だから、仕方の無いことなのかもしれないが。
今日の妙は違う。その白い肌にぽっかりと咲いている桃の唇がほんのりと笑みを浮かべ、それはそれは安らかだった。

まるで、死に顔のようだった。

途端、総悟の顔色が変わった。本当に死んでいるのではないか。蒼白の総悟は妙の胸に頬を寄せ、その心音を聞こうとした。妙の小さな胸からは、とくんとくんと優しい鼓動が一定の間隔で鳴り響いている。生きている。総悟は心底胸を撫で下ろした。

何故だ。今、妙がこうして自分の腕の中で眠る、ということが崩れるやも知れぬと思った瞬間、又と無い恐ろしさが総悟を襲った。何故。この女が居なくなったら、己は生を感じられぬ。己で居られぬ。居きられぬ。己の為に、生きる為に、斬らねば、抱かねばならぬ、だからか。この恐ろしさの根底は自らの生と有様への執着なのか。
しかし、ならば自分がこの女から離れれば良いのでは無いか。この女と斬り合うことも交わることも無くなれば、自分は以前の様な自分に戻り、感情らを抑える術を以て振る舞うことが出来るかも知れない。

いや、駄目なのだ。妙が傍に居なければ駄目なのだ。

総悟は妙を抱く腕に、一層の力を込めた。それに気づいてか、妙か目を覚ましたようだ。総悟の胸の中、長い射干玉ぬばたま色の艶やかな髪が揺れる。
「起ちまったかィ」
「…総悟」
まどろみながら、妙が総悟の名を呼ぶ。
憂いを帯びた、しかし真っ直ぐな瞳で自分を見つめてくる妙のその髪を、総悟は今其処に居る妙の存在を確かめるようにゆっくりと撫でる。

総悟は人斬り鬼の俗話の続きを思い出していた。
その鬼は己の免罪の気持ちから子を養ううち、次第に子らに対し慈しみの情が生まれていった。いよいよ鬼は子を、子は鬼を愛すようになり、鬼は子らのまことの親となったという。
その鬼とは、自分自身のことではないだろうか。自分は自らの為に妙を斬り、妙を抱くうち、次第に妙を慈しむようになってしまったのだ。
この女は恐い。しかしこの女を失うことはそれ以上に恐い。自分は知らず知らずのうちにこの女に得体の知れぬやっかいな独占欲を抱いていたのだ。
もはや自分は妙とは離れられない。

総悟は妙の手首を掴むとそのまま彼女に体重を掛けた。
妙の前髪と総悟の前髪が絡み合う。

己を支配する感覚が何であるのか、総悟は何となく解った気がした。
ただ、そうであって欲しくなかった。開け放しの障子から、夜風がまたふわりと舞い込んで来た。月明かりが照らす庭の木々の葉をかさかさと舞わせては、冷たくも心地よく、総悟の背中をゆっくりとなぞっていく。

総悟は再び妙を求めた。妙も総悟を受け入れた。

熱に浮かされ、次第に薄れていく意識の中で、総悟は願った。
誰にでもなく、願った。
これが恋ではないようにと願った。





闇の中、青白い月に雲が掛かっていた。
しかし総悟が気付く由も無かった。





<終>










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