| 2月14日。今日も今日とてロイ・マスタングは無能街道まっしぐら。
今日は特に様子がおかしく、するべき仕事もろくには手を付けず、ただただぽっかりと浮かんだ空を見上げ、 奇妙な、気色の悪い笑みを浮かべるばかり。いつもに増して今日のロイは無能大佐と言う言葉が似合う、 と思ったのは側近のジャン・ハボックばかりでは無い。ロイのオフィスに居る者全て、同じ事を思って居た。 けれど決して口には出さない。まだ、なりたくないからだ。消し炭に。 そうでなければ、『彼女』のように、もっと色々と上言する事も出来たのだろうが。何より命は惜しい。 そんな空しい溜め息をオフィス全員が和音を奏でるがごとく重なったタイミングで漏らしたところに、 『彼女』リザ・ホークアイ中尉が大きなダンボールを抱えて入って来た。 それを見てか、ロイは目を爛々と輝かせて椅子に座る。 ホークアイがそのダンボールを机を置くのを期待して居るのだ。その様に、オフィスの一同は再び溜め息を漏らす。 ホークアイは一歩また一歩とロイに近付き、やがてロイの机の上にダンボールを置いた。 入って居る物の重みでか同時にドンと大きな音が立つ。その様子に、ロイはニコニコとホークアイに笑いかける。 しかし彼女は綺麗にその笑みをすり抜けて、一言、『お届け物です』とだけ声を掛ける。 ロイはその笑みを消す事なく彼女に尋ねた。 笑顔を無視されても平気だったのは彼にしては珍しかったが、その理由は明らかだった。 『…で、なんだね?このダンボールは』 『お解りかと思いますが』 『君の口から聞きたい、リザ・ホークアイ中尉』 『…本日、中央に送られました、ロイ・マスタング大佐宛のチョコレートです。 合計243個。あまりに多いのでこちらのダンボールに』 そう、今日はバレンタインデー。 女から男にチョコレートとともに愛を告白出来ると言う一年に一度の特別な日。 その容貌からか何なのか、何故か女性に多くの好意を持たれているロイには大量のチョコレートが贈られて来る。 それは毎年の光景であり、そんなロイを羨望や妬みはたまた呪いのまなざしで見つめるオフィスのメンバーの光景も また毎年恒例だった。 『うん、そうだろうとは思っていた』 にこにこと笑みを浮かべながら、ロイは次の展開を想像して口許をにやけさせた。 そう、彼は期待しているのだ。目の前の彼女に。彼女からのチョコレートと、同じく甘い、愛の言葉を。 しかし次の展開は彼の予想だにしていなかった展開では無かったものの、若干物足りない展開ではあった。 『それでは失礼致します』 ホークアイはくるりと背を向けて出て行こうとした。ロイは慌てて彼女を引き止める。 『…っと中尉、もちろんこの中のどこかにはブロンドの鷹の目からのチョコレートも入っ ているのだろう?』 『確認はしておりません』 ああ本当に冷静な彼女。こうなると少し面白くないのがロイ・マスタングと言う男。 今度は意地悪な笑みにその口許を歪ませた。 『…ひとつひとつ、食べて見て確かめろ、と言う事なのかね?』 『そうなされば良いのでは?』 いけない。ロイ・マスタング、階級は大佐、目の前の彼女に軽くあしらわれて居る。 彼女が言って居る事は部下としてはおそらく当然の受け答え。 しかし男と女の会話としてはいささかどころか甚大に物足りない。 男として軽くあしらわれているようで、だんだんと余裕が無くなって来て居た。 それに気付いてか、オフィスのメンバー全員がこっそりと部屋から出て行く。 彼女だけがこの部屋に残り、ロイの視線を、言葉を正面から受け止めて居る。 その様に、ロイの意識の外で言葉が紡ぎ出される。 『…そんな事を言って』 『…』 『私が、この中の誰かと付き合っても良いのかね?』 正直、こんな事は口にしたくなかった。余裕が無い自分を、彼女に期待して居る自分を、 こんなにも彼女に惚れて居るかを再認識してしまうから。 だが彼女は何処までも冷静、何処までも彼の部下で。 『大佐の女性関係は、私の管理すべきところではありませんから』 きっぱりと言い切った。プライベートは知らないよ、と。 流石のロイもこれは予想だにしない言葉だった。 『…冗談だよ』 そう言うのが精一杯、しかもそこには覇気のかけらも存在しない。 『失礼致します』 『…ああ』 力無く答えると、ホークアイはロイに背を向ける。そのまま部屋を後にするのかと思いきや、 『虫歯にはお気をつけて』 我が子を心配する母親の様に。 『…』 もはや、言葉も出てこなかった。 パタン、と音を立ててドアが閉まる。ロイだけが一人、ぽつんと残される。 『虫歯には、ねぇ…』 その呟きは向かう先を持つことなく、ただただその空間に漂っていた。 傷心のロイは帰路に着くことにした。居てもぐすぐすと涙と鼻水を啜るばかりで役に立たない彼を見兼ねて、 オフィスのメンバーがロイの分の仕事をこなしてくれた。 目出度くロイは仕事をせずして家に帰れる事になったのである。 とは言うものの彼の家には待ち人はおらず、勿論来たると言う当ても無い。 今夜は一人膨大な数のチョコレートと一夜を共にせねばならぬ。 それは決して男独りのベッドを暖める事も無ければとろけるような愛の言葉も囁かれる事は無い。 与えられるのはせいぜい男独りを暖める熱量やとろけるような赤い鼻血である。 ましてこの大量のチョコレートは真に与えて欲しい女から与えられた物では無い為、 もはやそれは無能の産物と言っても過言では無い。無能の人間に相応しい気の利いた贈り物と言えよう。 ロイは大量のチョコ入りのダンボールを抱え、独り寂しい冬の家路に向かおうとした。 何時の間にか外は雪がちらちらと降っており視界も整然としない。 冬特有の漆黒の闇は普段ならばその青とも黒ともつかずの深い色に、闇の中を煌めく星の美しさに、 煌々とした月の柔らかさにとそれは大層心癒される物ではあったが、その雪と吐く息の白さを 一層と際立たせる物であり、只でさえはっきりとしない視界を乱す物に他ならなかった。 ひとつ大きな溜め息をついて見上げたその先に映ったその色は、 この白と黒で乱れた世界には余りに不釣り合いな色で。 見逃す事ができるはずもなかった。 輝くほどに眩しいのに何処か柔らかい、そのハニーブロンドを。 『…中尉…』 ホークアイは例に倣ってロイに中央司令部内と変わらぬ敬礼をした。 その後若干続いた静寂は寒さの為か、或いは。 『…一つ、入れ忘れた物がありましたので』 『…』 ホークアイが鞄から取り出したのは手のひらくらいの小さな箱。中身は、きっと。 『…私からの物では、ありませんよ』 『…此処に来てまで、それかい?』 『…事実ですから』 そう言うと、ホークアイはロイに箱を渡す。白い箱に赤いリボンが結われただけの、色気も可愛げもない箱。 そこには、小さなメッセージカードが申し訳なさそうに添えられていた。 『…では、失礼致します』 『…』 『…風邪に、お気をつけて』 ホークアイはそう言い残すと中央司令部への道を引き返して行った。 必然的に、ロイの横を通り過ぎ、最終的には背を向ける事になる。 ホークアイがロイの横を通り過ぎようかと言う時に呟かれたロイの言葉は、 向かう先を見失う事無く吸い込まれて行った。 『風邪は引かないよ』 その不思議な言葉にホークアイはロイを見やる。 ロイは柔らかな笑顔を浮かべ、手にしたメッセージカードをホークアイに誇示するかのように掲げた。 『この贈り主の女性に伝えて欲しい―おそらく今夜は更に冷え込むだろうから、 私の家に来て暖かい夕食を作るように…ついでにベッドも空けておく、とな』 高らかに言ったロイの言葉をホークアイはやはり冷静に受け止めた。 しかし僅かに表情が優しかったのはきっと気のせいでは無いと思いたい。 『…そんな都合のいい伝言、聞き入ってもらえるでしょうか』 その咎め、諫めにも聞こえる言葉に、ロイは彼とも思えぬ甘い、純粋に甘い笑顔を浮かべた。 『…暖かさが欲しいのは、彼女も一緒だ』 ロイは手を伸ばし、ホークアイの頭上に積もった白い雪を払った。 ぱんぱんと音を立てて払うと、ホークアイの周りに粉雪がきらきらと舞い散った。 『…了解しました』 ホークアイの紡ぐその言葉が結ばれる前に、ロイは自分の両腕で彼女を包みこんだ。 細く冷たい彼女の体はまるで氷のオブジェで、強く抱き締めたら砕け散ってしまいそうであった。 暖かい、とホークアイが胸の中で呟くと、ロイは一層強く、優しく、彼女を抱き締める腕に力を込めた。 その拍子に、ロイが今まで掴んでいたメッセージカードがひらひらと、雪のように地面に舞い落ちる。 開かれたそのメッセージカードはやはり色気も可愛げも無く、黒のインクでただ、二言。 『Happy St.Valentine Margot Orange Pekoe』 事実は真実を表すとは限らない。けれど今は事実は真実に他ならなかった。 マーゴットの思いはリザの思い。 その気持ちは紛れもない真実。 真実はやがてその上を覆い隠す雪の白さに溶けていき、 恋人たちは互いのほんのり甘く暖かな唇を重ね合っていた。 漆黒の闇は何処よりも深く、それでいて月も星も煌めく事の無い2月14日の夜。 空気は何処までも冷たく、温もりのかけらも転がっては居ない。 それでも 雪は溶けて行く。 チョコよりも甘い、何かに。 END 戻る |