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※139訓のネタバレを含みます。ご了承ください。 今時京都はないよな、と言っていた連中に限って坊主の話や歴史遺産や舞妓さんに興奮するのが修学旅行である。 この学校の生徒、とりわけZ組の面子も例には漏れず、一番無関心を装っていた高杉やら桂たちが最も感情激しく維新志士らの碑や遭難跡地を一つ一つと丹念に巡りって、この日本の行く末に命を懸けた若者に目頭を熱くさせていた。そもそも修学旅行はよく気心の知れたクラスメートや教師との旅行なのだから、楽しくないはずがない。 神楽と沖田は三十三間堂で自分と同じ顔の観音像を探すのに必死になり、猿飛あやめと近藤勲は地主神社で必死に恋愛成就を祈願してはストーカー先の返り討ちに遭い、坂本辰馬は教師らを引き込んでお座敷遊びを企てようとしたが儚くも散りと、皆がそこそこ高校で一度きりの修学旅行を謳歌していたのである。 修学旅行を語る上で、なんといっても外せないのが夜である。 枕投げは中学と一緒に卒業した。高校生の夜のお楽しみはなんといっても男子女子、互いの部屋を行き来してのちょっとした密会であろう。これまたZ組も例には漏れず、志村妙や神楽の大部屋に男子連中が数人、教師の監視網を掻い潜って乗り込んできた。お座敷遊びに涙を飲んだ坂本は、何処から手に入れたのか伏見の酒造の銘酒を持ち込んできている。 会ってどうしよう、と言うわけではない。ただ会って話をする。それだけの行為が彼らにとってはとても楽しいのだ。昼に会うのとは訳が違う。「本当はいけないことをしている」という事実もその愉しみの度合いを増幅させている。 夜の雰囲気がそうさせるのか、或いは坂本が持ち込んだ飲み慣れないアルコールが(と言っても飲んでいるのは坂本、近藤、沖田くらいであるが)そうさせるのか、会話はそれが自然であるかのように恋愛の方向に向かっていった。 「恋愛」といっても、所詮は高校生の恋愛である。振り返ってみれば青くさくて幼稚、そして何処かぎこちなくて初々しい。そんな恋愛を現在進行形でしている彼らは、ひとりひとりのささやかで切ない恋の話を、まるで映画やドラマの大恋愛であるかのように受け取っていた。 「手を握った」と言えばきゃあと嬌声が上がり、「キスをした」と言えばうおおと歓声が上がる。そこから先は、経験している人間でも口にしないのがなんとなくのマナーでもあった。同時に、男子の発言レベルも女子に合わせてジェントルマンになっている。彼らには珍しく、「猥談」ではなく、いわゆる「恋バナ」をしていた。 話題はいつしか現在の恋愛から初恋に代わっていた。 私の初恋は銀八先生よ、俺の初恋は志村さんですよ、と叫ぶストーカーコンビを例外として、繰り広げられる話は幼稚園だとか小学校だとかその頃の一層真面目で可笑しい恋、というか幼き日の憧れである。 皆一様に、幼稚園の何々先生、だとか、クラスで一番可愛かった何々ちゃん、サッカーの得意な何々くん、と、恋愛の対象はアイドルとさして違わず、その恋の結末も何もないまま終わるか、間抜けな顛末を迎えるか、のどちらかであった。 「太郎くんてなぁ、ごっつぅ足も速かったし、水泳も上手かったし、顔もめっちゃ格好よかってん。でも太郎くん、年長さんのお遊戯会の時、舞台の上で漏らしよって。もう泣くし喚くしめちゃくちゃやし。しかもそん時あたしのお気に入りの靴に飛沫がかかってなぁ。もうそれで百年の恋も冷めたわぁ」 と花子が幼稚園での初恋の顛末に熱弁を振るえば、箸が転んでもおかしい年頃の少年少女は腹を捩じらせるように笑う。 当然その声は部屋を突き破り、ついには担任の知るところとなったが、やってきた担任が担任だったので、酒の没収と坂本の呼び出し以外はさほど取り立ててのお咎めも無く、寧ろ担任も生徒らに引きずり込まれるように10も歳の違う高校生の初恋話に混じってきたのだった。 初恋の話になってからは自然と座っていた順に自らの話を語っていたので、順番で行けば志村妙の番であった。 近藤の問題を除けば色恋沙汰とは離れた存在に居るような存在である。成績優秀、容姿端麗、つまり才色兼備の生徒会長。にもかかわらず、浮ついた話は今まで一つも聞いたことがない。近藤はもとより、クラスの誰もが妙の話に耳を大きくさせては目を爛々と輝かせていた。 志村妙が「長」の付くものに初めて就いたのは小学1年生の時で、確か「かさくつ係長」とかそんなものであったと記憶している。 3年生の時には真面目さと信頼を買われ学級委員長に選出され、それが中学3年まで続いた。中2と高2では生徒会長を、そして小中高と剣道部の部長の役職にも就いている。元来、正義感が強くて思いやりもあり、それでいて頭の回転が早く人あしらいが上手いので、彼女のクラスは統率はもとより、文化祭体育祭と「祭」の着くもので表彰台を逃したことはない。 いつしか彼女は人付き合いと人あしらい、そして統治力に関しては絶大な技術を手にしていたが、それでも上手くいかなかったのが目下現在の悩みである近藤勲のストーカーと、小学5年生の時の同じクラスのガキ大将だった。 芸能人に興味を持ち始めたクラスメイトは休み時間にLOVEマシーンを踊り、ポケモンは卒業したぜ、とか言っていた一部の男子がデジモンに乗り換え始めた時代だった。ポケモン派かデジモン派かと言う下らない理由でクラスの男子が分裂しかけた時があったが、そのときでもそのガキ大将はどちらの友達とも同じように仲良くし、そしてどちらの友達にも同じような危害を加えていた。 虫やら鳥やらで友達をからかうのは毎度のことである。一日に捲る女子のスカートの数は両手指のみならず足の指も使うだろう。掃除は逃げるが当たり前。体育祭の騎馬戦では何人の馬と騎士をなぎ倒していったか分からない。聞いた話では町内の御輿壊しの常連だったと言う。決して悪いやつではないのだろうが、野放しにしていく訳にはいかない存在だった。 一度、言葉ではどうにもならないそのガキ大将を、力でもって大人しくすることを画策した。しかし逆に穿いていたスカートを思い切り捲られ、彼女の策略は泡となって消えた。ズボンを穿いていけばよかったと、悔しさに眠れなかったあの夜のことは忘れられない。翌日の彼女の服装がズボン姿だったことは言うまでもない。 その後も委員長はガキ大将を何とかしようと努力し続けた。それが実を結んだのか、或いは向こうがどこかで諦めたのか、そのうちに「うるせーな、委員長」と言いながらもとりあえず彼女の言う事はそこそこ聞くようになった。委員長としてはありがたい事だったが――同時に、幼心ながら一種の物足りなさに似たものが去来したような感覚を抱いていた。 なんやかんや、と癖をつけては追い回して、歯向かってくればぶつかって。そうしていたことそれ自体が自分は好きだったのだな、と気付いたのは卒業式も近い頃だったと思う。 卒業式のその日までガキ大将は友達と女子のスカートを捲り続けていた。そして最後まで彼女を「委員長」としか呼ばなかった。 中学は別々だったから、そこから先の彼の行方は知らない。 けれど今の志村妙にとってのそのガキ大将の記憶と言うのは、今こうして修学旅行の恋バナの種になるような過去であり、そして自分で「あれは初恋だった」と自覚できる思い出であるのだ。 笑って苦い初恋の思い出を語る志村妙を、ハンカチを噛みしめる近藤以外の面々は何処かにやつきながらも真面目に聞いていた。そこそこから「わかるわかる」「若いねぇ」などと声が上がってくる。「お前らまだ十分若いだろうが」と突っ込むのは、三十路が目前に迫った担任。 品行方正な生徒会長の意外な一面を知ったことに、皆満足し、もう寝ろと言う担任のひとこともあって、今夜はこれでお開きになった。修学旅行は今日で終わりではない。明日があって、明後日があるのだ。明日のためにも話の種はまだ、残しておかなければならない。 食べ散らかした菓子やら飲み物やらを片付けると、担任に首根っこを掴まれた坂本以外の男子は何処か名残惜しそうに女子の部屋を後にしていく。女子もなんとなく名残惜しそうに男子を送った。 志村妙が扉を閉めようとした時、斜め前の部屋では、A組の面々が似たような光景を繰り広げている。大きな背中に小さく振られた手。ああ、何処も同じだ。 彼女はその光景を見て、何となく昔のことを思いだした。 最後まで自分のことを志村さんとも妙ちゃんとも呼ばなかったあのガキ大将は、卒業式の最後の別れ際でも「ばいばい、委員長」と言って仲間と目の前を走り抜けていった。その後姿を小さく手を振って見送った。振り返ることはきっと無いと分かっていながら。 よくよく考えてみれば、自分とガキ大将はまともな会話を繰り広げたことが無かった。言われた言葉も、「うるせー」か「委員長」。その二言しか記憶にない。 まともに言われた最初で最後の言葉が「ばいばい」だなんて、と18歳の志村妙は苦笑した。 一度くらいは、名前を呼んでほしかったし、もっと気の利いたことも言われたかった、と今になって思う。しかしそれが無かったからこその初恋の思い出なのだろう、とも理解している。 「姐御ー」と後ろから彼女を呼ぶ声が聞こえた。意識は思い出から現実に戻り、彼女は慌てて半開きのドアを閉めようとした。 ドアは閉まらなかった。 木製の重いドアを、何か強い力が押さえている。見上げた先には、担任が居た。担任は閉まりかけたドアに手を掛けては閉ませまいとし、志村妙を見下ろしている。 眼鏡越しに、視線が、かち合う。 「…どう、したんですか?」 彼女の心臓は何故かいつもより早く鼓動していた。視線の先の担任はその問いに、「ちょっと思い出してな」とだけ呟いて、ただ、穏やかに笑っている。彼女はそのとき、担任のこんな顔を見たのは初めてだったことに気付いた。文化祭でも体育祭でももちろん授業中でも、こんなに穏やかな笑みは見たことがない。 何を思い出したというのだろう、と思いながら担任の瞳を見つめる。きっと気のせいだろうが、その瞳が懐かしい誰かに何処か似ていた。 「…またあした、志村妙」 そう紡ぐ声は担任のものでそしてこれは担任の言葉なのに、彼女の耳にはまるで心や耳に風が吹いてきたように、何故かあの時のガキ大将の姿に重なって届いてきた。 志村妙は目を丸くしていたが――ふ、と笑顔を零すと、 「またあした、坂田先生」 澄み切った声で、そう答えた。 よくよく思えば、あの乱雑だけど何処か逞しくて優しかったガキ大将と、目の前の破天荒な担任は似ているのかもしれない。 ドアが閉まる前に目に入ったのは、後ろでやたら覗き込んで手を振ってきた坂本と――穏やかで晴れやかな担任の笑みだった。 「…またあした」 それはきっと小学生の時の自分が何よりも欲しかった言葉だ。妙は言われた言葉を頭の中で反芻し、そして小さく口に出してみる。 初恋なんて、思い出そうと思わなければ思い出せない。けれどもしかしたら、これからあの笑顔を見るたびに、苦くて甘かったあの記憶が蘇ってくるのかもしれないな、と彼女は小さく笑っていた。 そもそもあんな笑顔、あの担任はきっともう二度と見せてはくれないだろうけれども。 修学旅行はあしたもあさっても続く。 あしたの夜は、担任の初恋の話でも聞いてみようか。 坂田先生も小5の時ガキ大将で当時の委員長(勿論才色兼備のポニーテール)に初恋しちゃった過去があってお妙ちゃんの話を聞いて思い出しちゃったとかそんなんだと思うのです 戻る |