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どこで聞いた話だかは忘れちまいましたが。 いつだかの時代、どっかに凄腕の美貌のお侍ってのがいたらしい。まぁおそらく俺の方が剣の腕も顔も上でしょうがね。んで、実はそいつ病に侵されてたんだと。しかも肺病。何時の世も、肺病ってのは死病だ。しかも感染るし厄介な事この上ねぇ。そいつも例によって例のごとく、腫れ物に触れるように扱われ、隔離されて過ごしてたんだと。剣を振るう事も自由に歩き回る事さえも出来なくてただただ布団の中で寝てるだけの毎日。辛いだろうなぁ。俺ならきっと耐えられねぇや。そいつずっと独りで過ごしてた訳だが、或る日庭の梅の木の下に黒猫が居るのに気付いたらしい。 そいつその猫を斬ろうとして、ぎらぎらっと殺気見せたり威嚇したり本当に斬りかかったりもしたらしい。だが黒猫の方は驚きも怖がりも身動き一つもせず、ただただにゃあにゃあと鳴いてただけだったんだと。そいつに覇気のかけらすら残ってない事を解ってたんだろうな。んで、その男、暫くも経たないうちに死んじまったらしい。ま、哀れだな、とは思うが。 俺は何となくそいつに自分の行く末を見たような気がしたんでさ。まぁ上手くは言えねぇが、結局俺らがやってる道、格好良く言えば侍道とか武士道とかってのはいつかどっかで消えゆくもんだ。はかないもんなんだ。でもまぁ、こう呆気なく、哀れに死んで行くってのも、今までさんざ人を斬ってきた俺には相応しいのかもしれねぇな。 あぁそう、俺の近くにも居るぜ、黒猫。射干玉のような、って言うのか?つやつやした黒い毛がやけに眩しいやつでさ、普段は大人しい癖に機嫌損ねると全くもって変わる。にこにこした顔の奥にとんでもねぇ夜叉が潜んでるみてぇな奴だ。ま、しかし見目は極上だし、なんだかんだで性悪でいい加減な俺とはよく気が合う。時々甘ったるい鳴き声をあげては俺に爪を立てるのもたまんねぇ程愛しいと思える。それはそれは俺に相応しい猫だ。 俺の前にそいつが現れた時、何故かそのお侍さんの話を思い出しちまって、思わず殺気剥き出しになっちまってさ。そしたらそいつ、俺の殺気受け止めた上、100倍くらいにして返してきやがった。全くとんでもねぇ奴だと思ったよ。あの話の黒猫とは大違いだ。 でも思うんだけどよ、そのお侍さん本当はその黒猫さんを斬ろうとは思ってなかったんじゃねぇのかな。だって斬っちまったらそいつに2度と会えねぇじゃねぇかぃ。お侍さん、独りで心細かったんじゃねぇかな。きっとその黒猫さんに情抱いてたと思うんだよ。 侍だってこと自分の中で証明したい、とかいう気持ちで猫を斬ろうって気持ちと、寂しいからその猫に傍に居て欲しい、だから斬りたくないって気持ち、そんな2つの矛盾した気持ちが存在してたんじゃねぇかと思うんだ。或いは、奴が斬ろうとしていたのは自らの運命や黒猫さんと別れなきゃならない現実だったのかもしれねぇ。どちらかと言えば後者のような気がするけどな。 まぁ、何となくそう思うだけだけどよ。 おっとなんだか柄にもねぇことをさんざ言っちまった気がするねぇ。ちっとお喋りが過ぎたかな。 さてそろそろ俺ぁ行きますわ。可愛い可愛い黒猫が待ってるんでね。 今ごろ広いおうちで独りきり、必死になって竹刀を振るっているんでしょう。独りきり。独りきりですよ。今すぐ行ってやんないときっと壊れちまうんだよ俺の黒猫は。 あぁそうさね。お侍さんの黒猫さんの方には一方的な情しか存在しなかったと思うんだが、俺達のの方は相互の情とかってのが存在してるね。お侍さんは黒猫さんに愛されたかったんでしょうよ、きっと。 それ思ったら俺ぁ幸せってな方なのかもねぇ。 おっとそれじゃあちょっと待った前言撤回。そうなるとやっぱ呆気なく哀れにひっそり死んでくってのは嫌だね。せめてあの、俺の黒猫に傍にいて欲しいな。 ってぇことはお侍さんもちったぁ幸せな死に方をした、という事なんでしょうかね。 傍にいて欲しい、と思ったやつにいて貰ったわけですから。そうなんですかね。そうであってほしいねぇ。 もうとっぷり日が暮れちまいました。俺の黒猫はこれから戦場に行くんだろうよ。その前に抱き締めてやらなきゃならねぇんだ。そいつを満たしてやる意味で、そして俺を満たす意味で。帰って来たら、いっぱい撫でて可愛がってやろうと思います。良い声でにゃあにゃあ鳴かせてやりたいね。 そう、そしてお侍さんの分までいっぱい愛してあげようと思います。 あんたも早く帰ってやんな。可愛い可愛い兎さんが待ってるよ。 ああ気にすんな、あんたの姉ちゃんを独り占めしようなんて馬鹿な事は考えてねぇよ。 ただあんた、知ってますかぃ?人も兎も猫もあまりに独りで寂しいと死んじまうんだよ? それじゃあな、ついでにあんたのぶんまで愛してきてやるよ。 ああ、月が綺麗さねぇ。 戻る |