「―俺、好きじゃないんだ」




―或る、冬の夜。
「ちっと小便行ってくらぁ」
隣にいた同志の一人に声を掛けると、銀時は宿営を少し離れた。
見上げれば、冬特有の黒とも紺ともつかぬ、深い色。
煌々と輝く月と煌く無数の星々は銀時の足元をほのかに照らす。夜目には十分すぎるほど慣れているから、灯はこれで十分だ。
そう歩を進める銀時の髪は月明かりに照らされて、きらやかな偏光を見せていた。
雲ひとつ無い空に浮かぶ、青白い、其れ。
良い月だ。
今宵は一献月見酒、と何時もなら口にしていたかもしれない。
はぁ、と吐く息が白い。
漆黒の闇との激しいコントラストの所為か、ふと視界が乱れた気がした。
「…とき、金時ィ」
聞き慣れた間抜けな声が響いてくる。
銀時は足を止めた。
「…銀時だって言ってんだろ」
銀時の視線の向こうで、彼に負けず劣らずの天然の癖毛が、風に揺れていた。
「こーいうときには二人一組でいくもんじゃと、寺子屋か女郎屋で習わんかったんかのぅ?」
そう言葉を紡ぐ表情は屈託ない笑みを見せており、口許には銀時と同じように白い息が舞っていた。
そんな表情に、銀時の口許も歪む。
「生憎と危ない橋は渡らない主義でねぇ。辰馬ァ、お前と違ってさ」
辰馬と呼ばれた男は高らかな笑い声をあげた。
褒めてねェよ、と悪態をついた銀時の声も、耳には入っていないようであった。





「都の冬は冷えるのぅ」
「身体の芯から冷えてくるぜよ」と辰馬は言った。土佐の国で育ったこの男には、夏は異様に暑く冬は痺れるほど凍えるこの京の気候には慣れていないようだった。
「こう寒いと、出るものも出てこんわぁ」
「何言ってやがんだ。それに、違うもんなら毎日出してんだろうが」
「おんしほどじゃあないきに」
隣に並ぶ銀時とその相棒に対してか、辰馬は左手を上げて敬礼のような素振りをして見せた。
銀時は下帯を戻すと大きな息ひとつ吐いて、辰馬の頭に拳骨を喰らわせた後、漆黒の闇を見上げた。
先程と変わらず、黒の調色板に白を散りばめたかのように星々が輝き、その真ん中にぽっかりと浮かんだ月が今、銀時と辰馬を照らしている。
相変わらずお月さんは美人さんだねェ。
銀時の頭に、月下美人、と言う単語が頭の中に浮かんで、消えた。
「おお、綺麗な月じゃ」
空を見上げる銀時の様子に気付いてか、辰馬もまたその視線を空へと向けた。大の男が二人、阿呆のように口をあけて空を眺めている。
「帰ったら一献月見酒かのう」
「いんや、俺ァ止しとく。一応、明日から奴さんの本陣入りだからな」
「珍しいのう、怖気づいたがか?」
「そんなんじゃねえよ」
言い放つでもなく、おどけるでもなく、銀時はそう、口にした。
正直自分は、この戦が負け戦であると気付き始めていた。が、自分の抱いたその志を斬り捨てること、傷つき倒れていった仲間たちの屍を踏み蹴散らしていくことなど出来る訳も無く。自分に出来る弔いは、彼らへの餞となるのは、戦い続けることだ、戦場を駆け続けることなのだ、そう自分に言い聞かす。
「不思議じゃのう」
空を見上げたそのままで、辰馬はぼそりと、誰にでもなく、呟いた。とはいえ至近距離にいた銀時の耳に聞こえぬ筈も無く。
「何がだよ」、と銀時は問う。
辰馬のその横顔は、笑っている―銀時の瞳には、そう映った。
「ここはのう、まだちっくと静かなところやき、血の臭いも感じられん。けんど明日は戦場やき、今頃には地面に人間やったものがこじゃんと転がって、きっと地面は真っ赤に染まるろう」
感情を込めるでもなく、淡々と辰馬は言葉を紡ぎだす。恐怖も興奮も感じられぬその語り、しかしながら銀時は、その奥底に何かやるせなさにも似たものが垣間見えているような気がして、茶々も入れず、ただ黙って辰馬の言葉に耳を傾けていた。
「ここは古の華の街やき、振り向けば綺麗な町並みやら何やらが続くろう、けんどわしらが進む道は何処までも汚れちょる。赤と黒で汚れきっちょる道じゃ」
暴音の鳴り響く、硝煙が燻ぶり鉛の雨が降り積もる、焼け爛れた匂いが鼻をつく、血のいろをした土地。自分たちがこれから向かう土地。辰馬の言葉に瞼の奥にその光景を見出してか、ほんの少し、銀時の心臓が高鳴った。
揺らいでいる、訳ではない。惑う暇も、そのための選択権も自分には持ち合わせてはいない。
「けんどにゃあ」
辰馬はふうと大きな息を吐いた。
「照らす空は何処も同じなんじゃ。たとえどんなに地面の色が違っても、どんなに血飛沫が舞い散る土地だろうと、照らす空は何処にも同じ顔を見せるんじゃ。」
冬特有の黒とも紺ともつかぬ、漆黒の闇。
まるで黒の調色板に白を散りばめたかのように輝く無数の星々、その真ん中にぽっかりと浮かんだ煌々と輝く青白い月。
それらは分け隔てなく世界を照らすのだ。戦場であろうと都であろうと、人々を、地面を包み込む空は同じなのだ。
辰馬は笑顔を見せて言った。
「…げにまっこと、空いうんは大きいもんじゃのう!」
―刹那、空から星のような輝きが零れ落ちてきた。
「…え、雪?…」
銀時は空を見上げると、思わずその舌をぺろりと出した。
「冷てえ!」
輝きは冷たい結晶となって、銀時の舌の上に舞い落ちる。辰馬もその様を真似て、雪の冷たさを感じていた。
「道理で冷えちゅうと思ったぜよ」
辰馬は雪が見慣れないのか、仕切りに駆け回ったり雪を舐めたりを繰り返している。まるで子供のようだ―と銀時は思った。
このまま雪が降り積もれば、この大地はやがて一面の白に染まるだろう。そうして何時しか、銀時らが進んできた、そしてこれから進むであろう赤黒い道すらも白に染めてくれるのかもしれない。それまで自分たちはこの道を進んでいくしかないのだ。
「―戻るぞ」
白の衣を翻して、銀時は辰馬に背を向けた。
「―俺、好きじゃないんだ」




「…銀、さん?」
眠りに包まれたおぼろげな意識の中で、自分の名を呼ぶ声を聞いた。聞き覚えがある、いや、寧ろ聞きなれた声。いつも聞いている声。
「銀さん」
眠気で重い瞼をふるふると振るわせた後、そっと開いた。
開かれた双眸に、光が入り込む。視界が徐々に形を成し、やがて結ばれた先には、見慣れた、一人の女。
「…お妙?」
消え入りそうなほどの声で、銀時は女の名を紡いだ。
女は穏やかな笑みを浮かべながら、銀時の目を見つめてくる。
「うたたねもいいけど、風邪引くわよ。今日とっても寒いんだから」
どうやら自分は万事屋のソファの上で眠ってしまっていたらしい。身体の上には毛布が掛けられているが、いざ目が覚めてしまうとそんなものが意味を成さぬくらいに肌寒く感じられた。
「…江戸の冬は、冷えるのう」
突然銀時の口から紡がれた言葉に、は?と妙は聞き返す。
突然に、何を言い出すのか。
だが銀時は平然な顔をして。
「…雪、降ってるんじゃねえの?」
などと、言い出す。
銀時は何故か、そんな気がしてならなかった。
まるでその言葉に促されるよう、妙がカーテンを開けてみると、確かにそこには広く冷たい雪が降っていた。「わぁ」と妙は小さな声を上げる。
―でも、どうして?
そう言い掛けた彼女の背を、急に背を起こした銀時が抱きしめる。その顔は妙の背中に突っ伏されていてよく見ることが出来なかった。けれどその背中越しに、妙は男の体温と同時に、痛みとも取れるような震えを感じ取っていた。
銀色の髪が、妙の背中で揺れている。




「―俺、好きじゃないんだ」
「…なあ、に?」
「…雪」







「…いつか、好きになれたらええのぅ」
辰馬の声が響いてくる。心なしか、何処か遠くから聞こえて来るような気がした。
―深々と降り積もる雪はまだ拝んではならない。
消してはならないのだ、今自分が此処に、戦場に立っているという証を。そして自分が取りこぼしてきた、数多に転がる同胞の命を。忘れるな、自分が選んだ道は白い世界ではない。限りなく黒に近い赤、視界はmono。
白い雪はちらちらと舞い続ける。やがては視界を邪魔し、風と共に身体を打ち付けてくる。
凍える中で暫く直立していたせいか、足は凍えて上手く動かない。
それでも銀時は歩き続けた。足とは前に進むために在るものだ。
動かぬはずは無い。―歩け、と。




何時の間にか銀時を抱きしめていた妙が、そっと呟く。
「積もったら、新ちゃんや神楽ちゃんと雪合戦でもしましょ。雪だるまもいいわ。鎌倉なんてどうかしら」
―楽しい思い出、つくりましょう、と。
口にはしなかったけれど、きっと妙はそう言っているのだと思った。
窓の外は雪。やがて訪れる、白の世界。あの時の自分が忌み嫌い、そして何より憧れていた世界。広がる空はあの時と同じなのに、映し出す世界はまるで違う。
何故か、そこからひょっこり辰馬が顔を出してきそうな気がして、銀時はそっと苦笑を零した。




「…げにまっこと、空いうんは大きいもんじゃのう!」











戻る