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草木も眠る丑三つ時。 女の妙でなくてもある種の気味悪さを感じるその時間、志村家の電話が鳴った。 こんな時間に電話してくるなんて、と妙は居留守を決め込むことにした。気味が悪いし、人として礼儀がなっていない。 仕事上がりで疲れている。早く風呂に浸かって疲れを落とし、ぐっすりと眠りたい――。ジリリンと鳴り続ける電話を無視し、妙は湯浴みの用意を始めた。 しかし5分が経ち、10分が経とうとも電話は一向に鳴り止まない。妙が風呂から上がってきてもなお、電話は鳴り続けていた。 お通のライブで居ない新八ならば恐らく一言説教を言った後に切るであろう。だがとてもそんなことは出来ない。気丈な女丈夫である妙の、女としての弱さだった。 恐る恐る受話器を取ろうとした。もしかしたらお店からの重要な連絡かもしれない、或いは新ちゃんが怪我をしたとか――。そう言う方向に考えようと、深く息を吐いた。 もしもし、とは怖くて言えなかった。 受話器を取って、何も言わず耳に当てる。 やたらと自分の周りをひっそりとした空気が支配しているような気がしたが、それは受話器の向こうにとっても同じだった。 何も、聴こえてこない。 やはり、いたずら電話だろうか。 そう思って、電話を切ろうとした、その時であった。 『…おーい、お妙?』 受話器の向こうから聞きなれた男の声が聴こえてきた。 「銀…さん?」 慌てて受話器を耳元に当てる。そこから聴こえてきたのは、確かにいつもの銀時のやる気無い声であった。 『あーやっと出てくれた。もしこのまんま出てくれなかったら銀サン寂しくて凍死するところだったよマジで』 「寂しくて凍死はしないわよ。第一今は5月よ。凍死なんかしない」 『いやなんかこう…心が?うん、ホラ銀サン碧いうさぎだから』 「随分とトウの立ったうさぎですこと」 受話器の向こうの銀時の声は若干ながらもいつもより締まりがないように感じられた。 酒でも入っているのだろうか。ある意味そのほうが良い。正常な意識でこのような常識はずれな時間に電話をして来る人間が近くに居るとは思いたくない。 『な、今何してた?』 「…お風呂に入ってましたけど」 『いいなお風呂。今度俺も一緒に入らせてよ』 「次にそんなこと言ったら殴りますよ」 『殴れないじゃん。俺今目の前にいないしさ』 「じゃあ明日会った時に殺します」 『アレ僕の聞き間違いかな何だか内容がグレードアップした気がする』 妙はまたふうと息を吐いた。 「どうしたんですか。こんな時間に」 『いや別に。お妙の声が聞きたくなったから。ただそれだけ』 「…どうして」 『それが分かったら俺だってこんな悶々とした夜を過ごさなくて良い』 「そりゃそうだろうけれど」 『やっぱりダメだな。電話じゃお前の顔が見えない。どうにも落ちつかねぇや』 「…いきなり何言い出すんですか」 『何で天人の連中は電話なんか開発しやがったんだ。技術の進歩が何様だただ単に個人を不安がらせる材料でしか無いじゃねぇかコノヤロー文明開化なんてクソ喰らえだ』 「…そうね、私も電話はちょっと苦手かも」 妙の言葉に返事は返って帰って来なかった。「銀さん?」と呼ぶが返事は無い。 寝てしまったのだろうか、と妙は電話を切ろうとした。 『なぁ、今からお前のとこ行って、いい?』 思いもしなかった言葉が受話器越しに聴こえてきた。既に深夜3時近い。こんな時間に一体、銀時は何を考えているというのか。 先程のようにさらりとかわしてしまえば良かったであろう、しかしそうしなかったのは、そう言葉を紡ぐ声がいつになく真面目で、そして何処か泣いているように聞こえたからかもしれない。 「…どうして?」 ただそれだけを聞いた。それはある意味では会話の時間稼ぎであったのかもしれない。 『会いたいから』 銀時の素直で真直ぐすぎる言葉は、妙が思っている以上に妙の心を捕まえて離さなかった。 沈黙が続いた。 それは銀時の言葉への肯定とも否定とも受け取れる沈黙で、受話器をはさんででも明らかに気まずい雰囲気が流れていることはよく分かった。 その雰囲気に耐え切れなくなったのか、それとも拒絶と受け取ったのか。 銀時が先に口を開いた。 『…困らせること言ってゴメンな。悪ィ、忘れてくれ』 切れてしまう。そう思ったとき、妙は刹那に声を上げた。 「待って」 自分でも切羽詰った声だと思った。一体何を、そんなに焦る必要があるのだろうかと思いながら――。 妙は顔を朱に染めながら言葉を続けた。相手の顔が見えないことを感謝した。 「来て…いいです。いえ、来てください」 瞠目しているのだろうか、銀時からの返事はなかった。 けれども妙もこれ以上言葉を続けられなくて、二人揃ってまた、黙ってしまった。 だが今度は沈黙にたどり着く前に銀時が口を開く。 『…いや、やっぱ、こんな時間だしさ。お前もこれから寝るところだったんだろ?悪かったな』 妙が即座に言葉を返す。 「もう眠気なんて覚めました」 『だってさ、こんな時間にスクーター動かしたら近所迷惑じゃね?』 「じゃあ歩いて来てください」 『いやさホラ、変質者とか出たら怖いじゃん?襲われちゃうよ銀さん』 「銀さんを襲う変わり者なんてこの世に居ないわ。それなら私が行ってやる」 『ちょちょちょっと、それこそ変質者の格好の的じゃねーか!』 「私は毎日そんな時間に歩いているの。もう慣れてるわよ」 そんな押し問答が続いた後だった。 殆ど唐突に近い形で、銀時の口調が変わる。 『…今お前に会ったらさ、泣いちゃうかもよ?俺』 「じゃあ、泣かれに行きます」 電話越しに妙は穏やかに笑った。 不思議なものだ。 電話は相手の顔が見えない。だから想像をする。今相手はどんな顔をしているのだろうかと。そして会話を繰り返していくと何となく分かるのだ。 どんな風に怒り、どんな風に笑っているのか。 銀時には今妙がどんな穏やかな顔でその言葉を告げたのか分かることが出来た。そうして、胸に熱い何かがこみ上げてきたのだ。 『俺が行く』 銀時はそう言いきり、おもむろに立ち上がって着流しを羽織った。 「待って」 妙が言う。銀時は動きを止めた。 「切らないで」 『…それは流石にムリ。これ、ケータイじゃねーし』 「じゃあ今度ケータイ買ってください」 『電話嫌いなんじゃなかったっけ?俺もだけど』 「待つのが寂しい」 『…前言撤回、文明に感謝』 受話器の向こうから困ったような優しい笑い声が聞こえてきた。銀時もつられるように笑う。 『10分で行くから、待ってろ』 そう言って、耳から受話器を離す。 しばし受話器を見つめた後、銀時は名残惜しそうに終話のボタンを押した。 ツー、ツーと終話の音が鳴り響く。 妙も名残惜しそうに電話を切った。 「…何やってるのかしら…ね」 息を吐いて、ほんの少し笑う。おそるおそる受話器を取った時はまさかこのようなことになるとは予測できなかった。電話の相手が彼だと知った時も、何処か気が置けなくて。なのによもやそのまま家に呼ぶ展開になろうとは。 それはきっと彼の声が泣いているように感じたから、だと思う。 でもそれが単なる同情心でないことは妙自身がよく分かっていた。同情であのようなことが口走れるものか。そしてこんな風に胸を締め付けることがあるだろうか。 女としての弱さをまたひとつ、発見した。 しかしそれは同時に強さでもあるのだろう。 電話を元の位置に戻し、窓の外を見た。ぼんやりと闇が覆いながらも、東の向こうはほんのりと白やみ、障子の隙間から僅かな光が差し込んできている。 恐らくはスクーターに乗ってやってくるのだろう銀時が、暗闇に迷うことがありませんように。 そう祈りながら、妙は穏やかで静かな10分間を過ごした。 自分の顔を見たときの銀時のその表情を、胸に思い浮かべながら。 戻る |