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眠りを知らない町、かぶき町も路地を一歩奥に入ればそこは静かな住宅街である。 疾うに町の人々は寝静まっており、そこかしこの家々は暗く、闇と静けさが辺りを完全に支配していた。 深夜でよかった。 もしこれで昼間だったら、どうにも恥ずかしくて暫くは外を歩くことが出来ない。 何せ、自分は今静かな路地を沖田のパトカーで進んでいる。 流石にサイレンは鳴らしていないものの、やはりその光景はかなり目立つ。 実を言うと、パトカーに乗るのは初めてではない。6、7歳のころだったろうか、遊びに行くと言って帰ってこない新八を探しに行き、そのまま迷子になってしまったということがあった。新八は何とか見つけられたものの、どうやって家に帰ったら良いのかが解らない。泣きじゃくる新八をなだめながら、必死で交番を探したことを良く覚えている。 あのときは幼かったから、父親の拳骨をひとつふたつともらえば良い話だった。が今は違う。 いい大人がパトカーに乗せられ、警察官に連れられるように帰宅。 父親はもう亡き人であるが、代わりに世間体というものがある。ご近所はいったいどう思うのだろうか。大抵はこうだろう、所謂「護送」。 自分ではそうではないと勿論解っていても、まるで本当に護送されているような、そんな錯覚を覚える。黒一色のこの座席がそうさせるのか、横で運転しているお巡りさんの制服がそうさせるのか―はたまた、そのお巡りさんの存在自体がそうさせるのか。 座っているのが助手席でまだ良かった。後部座席ならばどう見ても護送中の犯人だ。 とはいえ、自分のこの状況は、あまりいい状況であるとは言えない気がする。たとえ深夜であっても、もしも誰かに見られたら―。 無意識のうちに、妙はその身を小さくしていた。 その所為でか、外と同じように静かだった車内に、ふと透き通るような声が響いた。 「どうにも、酷かったみたいですねェ…」 「…」 何のことを指しているのか、分からないはずも無かった。 見てたんですか、と妙が尋ねると、沖田はただ「ええ、」と答えた。 その言葉からは何の感情も窺い知れることは出来なかった。同情しているのか、自分を嘲り笑っているのかも。 「結構、目立ってましたぜ」 「そうですか」 「でも…何て言うのかな、ホラ、アレ」 アレと言われても長年連れ添った夫婦じゃないんだから、と妙は心の奥で舌打ちした。この男は、同じ真選組の近藤や土方と違って、どうにも上手く読むことが出来ない。何処か掴みどころの無い中性的な表情は、ただフロントガラスへの向こう側へと向けられていた。 「よく、街中で喧嘩してるカップルがいますよね、ああいう奴は見ていて思わず笑っちまう。一体何やってんだ天下の公道で、馬鹿じゃねえの?痴話喧嘩なら他所行ってやれよ、って。でも…さっきのお妙さんのはそうじゃなくて、笑いたくて見るんじゃなくて、思わず目を引き付けられると言うか…あまりに格好良くて目が離せない、そんな感じでした」 きむたくが街中で踊ってたら格好良くて目が離せないでしょう?などと良く意味の解らない喩えを沖田は付け加えた。大して上手い喩えではないし、言っていることも良く解らなかったが、思わず妙は小さく笑った。やはり、この男は掴みどころの無い男だ、とつくづく思う。 そう、妙が笑みを零すことをまるで見透かしていたかのように、沖田が言葉を零す。 「あ。やっと笑った」 その声は先程の透き通る声とは違い、低く落ちる声。放たれる声は同じであるのに、その響きはまるで違っていた。女の勘、というべきか、妙はそこに先程の沖田とは違う何かを見い出していた。 それでも表情は素直に、目の前に小さな疑問符を浮かべている。そうして自分を見つめてきた瞳に対し、沖田は横顔で返事を返した。 目の前に光る黄色のシグナル。それはやがて赤に変わり、光に導かれるかのように沖田はブレーキを踏んだ。 ゆらり。 ハンドルを握っていた手が離れ、沖田の白く細い指がそっと、妙の眉間に軽く当てられた。 宛がわれた柔らかな人差し指。 妙の視界にそれが映ったのはほんの一瞬のことであったが、それは刹那に輝く花火の如く瞼に鮮烈に焼きついた。 男の、なにより剣の道を極めた者のそれとは思えぬほど形のいい、それでいて華奢な指であり、触れられたところから伝わるひんやりとした体温には、何時の間にか一種の心地良さすら抱いてしまっていた。 そしてその指の向こうでは、大きな鳶色の瞳が鋭い眼差しでこちらを見据えている。いや寧ろ“射抜く”と表現したほうが正しいのかもしれない。その目は矢のようにこちらを捉え、射抜き、一切の動きを止める。弓道の的になった気分がした。自分の力では身動きひとつ取ることが出来ない。矢がこちらを射抜くのを、ただ待つだけ。 ―やがて、沖田の薄紅色の唇から言葉が紡がれていく。 「ずっとここに皺寄ってたから。…取れてよかった」 気づかなかったんですかィ、と溢れてくるその声は響く余韻にある種の“甘い響き”を抱かすものであり。 所謂「甘い声で囁く」時の声というのはきっとこういう声を指すのだろうな、と頭の片隅で思った。決して甘ったるい訳でもなく、そして物足りないこともない、上品な―。 ――ああ、 口説かれているのだな、と感じた。 自分は齢18の単なる小娘ではあるが、働き場が働き場である所為か、恋の駆け引きというものを客観的に見られるようになって来ていた。仕掛ける誘いには知ってぞ知らぬふり。深みに嵌ったら其処で終わる。男も女も変わらず、先に落ちてしまった方の負けだ。 とはいえ、女というものは駆け引きにおいても肉体的な交わりにおいても、基本的には待つことしか出来ないし、射抜かれることしか出来ない。だとすれば、あながち自らを弓道の的に例えたのは非常に正しいことであったのかもしれない。 ―そう、頭の中で冷静に物事を考えている。 口説かれていると自覚しながら。 至極冷静なのか、この眼前の男に(そして男というものに)対する何らかの感情が麻痺してしまっているのかもしれない。いや、そのような曖昧な表現を使うまでもなく、きっとそうなのだ。 ―それにしても、精神的に疲れた女は落としやすいという俗説をこの男は信じているのだろうか?それとも女とあれば見境なく口説く男なのか?どちらであろうと如何でも良い事だ。目の前の男は単なる顔見知りの一人であり、これから先もきっとそのままだ。今更男の本性というものが分かったところで如何というわけでもない。 ただ、気に喰わない。そんな単純な娘と思われているのか?大して歳も変わらぬであろう眼前の男に。怒りが沸いてくる、ということは無いわけだが(其処までのことではないし、血が上りやすいというわけでもない)。とはいえ齢18の娘であろうと女としての、人間としての、ホステスとしてのプライドというものがある。この男のひとり上手では面白くない。 柔らかな指を解くことも無く、瞳に浮かべるは視線の向こうの鳶色に劣らぬほどの力強い意思の輝き。ただ一直線に相手の目を見つめつつも、紅色の唇に浮かべるのはふっくらと柔らかい、女の笑み。 「にやり」とでも言えば良いのか。対照的な瞳と唇と、その二つが合わさって生まれる表情はこの上なく扇情的で、それでいて女としての余裕をも十二分に醸し出していた。 紡がれる言葉はただ「アリガトウゴザイマス」。 視線の先の沖田の唇が僅か、歪む。 青のシグナルが、二人にお遊戯の終了を告げた。 「…銀さん、TVにそんな張り付かないで下さいよ。見られないじゃないですか、僕ら」 「大丈夫ヨ新八。姐御はあんなサド丸野郎にハマって行くようなMっ娘。じゃ無いアル。まぁ娘でもないけど、寧ろドSアルな」 「ああそっか、この二人ってこの漫画のSの双璧だね…」 「ドSとドSは反発しあうのが自然界の掟アルヨ」 「Mだと誰かな…やっぱり近藤さん?」 「いやいや多串君もなかなかのものヨ」 「でも山崎さんだって」 「しぃぇからしかァァァァァァァァ!!!!!!」 「いっ…いきなり何どでかい声で叫びだすんですか銀さん!!」 「SでもMでもLでもライトでもそんなんどーでもいいんだよ!!何だよアイツさっきまでは男の見分け方も付き合い方もなーんもしらねぇそれこそ生娘100%じゃねぇかって思ってたのに一体何なんだよアレ!なんかすっげー読まれてるんじゃねぇか手馴れてるんじゃねぇか!!!!途中から銀さん沖田君が可哀想どころか男としての一抹の不安を感じちゃったよどうしてくれんだよ一体っていうか何であんな駄目野郎選んでんだド畜生」 「いやだから常連さんだったから断りきれなかったって言ってるじゃないですか」 「ちょっと銀さん正攻法で行こうかと思ったけどなんかものっそ自信なくしたよでも今ってある意味で絶妙のタイミングな訳だよな?Wで男に対して不信感めいたものが湧き出てきている。そんな時がやっぱ一番の落とし時だと思うわけですよ!どうなんですか新八君自分の姉上としては」 「…人の話聞いてないですねというかあのだんだん僕らには言っていることが解らなくなってきてるんですけど」 「コレだから眼鏡は駄目アルな。つまり銀ちゃんは婉曲的に自分の下半身に自信が無いという事を言っているアル」 「ええええええ!」 「言ってねェェェェェ!!ってかお前また変な言葉覚えただろ!誰に似たんだ!俺か!?」 「マミーが教えてくれたアル。「自分の下半身に自信の無い男ほど男女の色恋沙汰の話には多弁になる」って。自分の下の口の自信のなさを上の口で誤魔化そうとしてるアルヨ。つまりは「弱い犬ほど良く吼える」ネ」 「なるほどォ」 「納得してんじゃねぇェェェ!下の口なんか言ったら意味がちょっと変わっちゃうからね?!銀さん一応この漫画の攻めアイドルのつもりだからね?!」 「っていうか銀ちゃんってほんとツッコミ似合わねーアルな」 「うるせェェェ!!!そんなに言うなら受けてみろォォォ!俺の波動ーォォォォォォ砲!!!」 「「ギャァァァァァァァァァ!!!!!!」」 パトカーが万事屋の前を通りかかった時、色々と複雑に入り混じったような悲鳴が聞こえたような気がしたが、いつもの事だろう、とさして気には留めなかった。 それよりもただ、今は早く床に付きたかった。沖田の運転するパトカーは一定のスピードで走り続けている。後どれくらいで家に着くだろうか。 横の沖田は何事も無かったかのように只ハンドルを動かしている。(確かに何事も無かったのだけれど、こう無反応を決め込まれるのも何か癪ではないだろうか?)鳶色の大きな瞳は先程同様、ただフロントガラスの向こう側を見つめている。 それでいいのだ。 ひんやりとした外気が車内にも這入りこんで、まるでそう告げているかのように感じる。奇妙な静けさが其処に存在している。心地よくは無いけれど、今のこの場には相応しい。思わず零してしまった息は沖田の耳に届いているのか、いないのか。その横顔からは窺い知ることが出来ない。 黒塗りの座席に大きく背もたれた刹那、妙の携帯が静寂の中に鳴り響いた。 next スイマセンもう少し…あと一話分続きます ← 戻る |