犬との縁
日本テリアを飼う前は、色々な犬を飼っていましたが、震災前に亡くなったドーベルのミミとミニピンのチョンとは
特別な思いがあります。
何時の頃からか、我が家にはいつも犬がいる生活でしたが、特別な知識も無く只好き、と言うだけでした。
たまたま知人からドーベルを頂き初めて飼う洋犬に今までとは違う事が解り、以後自分の飼う犬種については
勉強する様になりました。
ドーベルは調教が必要で、当時は可能だった通いの調教師さんにお願いをし警察犬にも合格しました。
見かけは怖いがとてもおとなしくて、皆さんからこんなドーベルは初めてと言われて可愛がってもらっていました。
(怒鳴られたり苛められたりされた事の無い犬は大人しいです。)が、10年目に癌の手術をし余命いくばく、
と言われたのが3年間嘘の様に元気に過ごし、ある日突然見た目にも可愛相な顔になり弱ってきました。
人からは安楽死を、と言われましたが決心がつかず、数日間見守って付き添い
ある日静かに亡くなりました。実は娘の結婚式が迫っていて同じ頃になっていたら、と思うとゾーッとしましたが
それらが解っていて、心配掛けまいと先になくなったのでしょう。
ミニピンはドーベルより後から来たのに、とても仲良しでミニピンの方がごんたでした。
ドーベルの大きな口の中に自分の頭をすっぽりいれて遊んでもらっています。
ドーベルが本気で噛めば死んでしまうのに、と、よく娘と言ったりしました。ドーベルが2月に亡くなり、
娘が3月に結婚し、ミニピンと静かになった家で過ごしたのも、暫くで、11月に突然ミニピンも亡くなり
ショックでボンヤリの日々が、ものの1ヶ月、年が変わった1月17日の阪神淡路大震災で家が全壊、
その後の1年間はがむしゃらの毎日でした。
当時飼い主をなくした犬や、ショックで声の出なくなった犬達を見かけると、我が家のあの子達は震災を予感して
私の為に亡くなったのでは?と思ったりして涙が出てきます。
そう言えばドーベルのミミは、いつも地震の起こる数秒前に必ず吼えていたのを今思いだしています。
ものすごい動物の勘の持ち主でした。
年表 1994年2月〜ドーベル・ミミ死亡 1994年3月〜娘・結婚 1994年11月〜ミニピン・チョン死亡1 1995年1月〜阪神淡路大震災〜家全壊 1996年8月〜家完成 1996年9月〜日本テリア誕生 1996年11月〜日本テリア(ネネ)我が家へ |
その後の犬暦
小型犬、短毛、細いフェイス、私の理想の犬です。でも一度も見た事がありません。そこへ目に飛び込んだのが、
高原氏の萩野の写真です。ひと目惚れです。早速お電話して色々お話を聞き、
とりあえずひと目見せて頂こうと八王子へ出向きました。駅に迎えに来て下さった高原氏は温厚な初老のダンディな方でした。
お家にて数匹の日本テリアを見せていただき、是非飼いたくなり私好みの雌親から生まれた子をと予約をしました。
当時の愛犬の友には日本テリアのブリーダーさんのページが沢山有り、写真を色々見てどれにしようか?・・
と迷って、決めたのが高原氏の所と言う事です。ですから、他のブリーダーさんに御目にかかる機会も無く今にいたっています。
全て、これもご縁だと思っていますが、初めて見た日本テリアが気にいったのと、高原氏が私の父と感じ、と言い好み、
と言いとても似ていて、お家に一歩入ったとたん、まるで父の家かと思うほど似ていました。
そんなこんなで、生まれた子犬が我が家の日本テリア第一号の、ネネ、です。
萩野 在りし日の高原氏と萩野 ネネ誕生