脱サラ・新規就農

脱サラしてぶどう農家をやっていると、「なぜ、農家になろうと思ったの?」とよく聞かれます。
その時、相手を納得させる返答ができずに困ります。
答えは、「やりたかったから」というただそれだけ。

人生は限りがあるものだから、やりたいことはやるべし!という考えを持っています。
ただし、周りにあまり迷惑をかけないように・・・と。
多少はかけているとは思いますが、人並みの生活はするという責任は取ろうと思っています。

ただ農業がやりたいというよりも、農業で食べていきたい、
自分で作ったものを自分で売りたいという気持ちがありました。

やりたいな〜と思って1年間ぐらいは、情報収集し、慎重に色々と情報を集めました。
それから、やると決めてからは、一気に行動でした。

妻の実家が新潟なので、そこに近い関東がいいなということで、群馬県を希望していたところ、
2005年12月に群馬県の榛東村でぶどう園があるという情報が入りました。
それから、榛東村へ2回ほど行き、ぶどう組合の人の話を聞いたり農園を見せてもらったりしながら、
就農の意思を決めて、会社を辞めて、榛東村へ来たしだいです。
急いでぶどうの木の剪定をしないといけないということで、榛東村に就農したのは2006年2月ですので、情報をもらって就農するまで、わずか2ヶ月!
それから6ヶ月後には自分で作ったぶどうを売ってました。
今思うと、我ながらよく決断できたなと思います。
農園を見学しても、冬なので葉っぱが無い木があるだけですし、そもそも素人なのでどんなぶどうがどれだけできるのかよく分かりません。
 
 
     冬のぶどう園(剪定前)
 
それから、1年目は素人が、ぶどうの本を何冊も読み、周りのぶどう農家や県の農業指導員から学びつつ、ぶどうを作り・販売することができました。
しかも、1年目は妻が妊娠中で5月に出産でしたので、その間は1人で作業しなければならず、
周りのぶどう農家の皆さんや農業指導員の方にもよく手伝ってもらい、ぶどうを作ることができました。
感謝感謝です。
実践が研修ということで、リスクが高くてお勧めはできませんが、研修だけで収入が無いという年が無くて、スムーズに就農することができました。

それにしても、ぶどうを作るのにこんなに手間がかかるとは知りませんでした。
木からそのまま皆さんの食べている巨峰(種なし)はできません。
房数を減らし、残した房についてぶどうの長さを作って、房1つ1つにジベレリンを2回つけて、粒を抜いて、ぶどうの形を作ります。
また、花かすを落として、袋をかけます。
この作業が万単位の房に対してです。
 
  
   剪定            房整形             摘房および摘粒

スーパーなどでぶどうは買えますが、そのようなリアルさは感じることはできません。
ぶどうを食べる時は、ぶどう園を実際に見て、ぶどうを自分で選び・もぐと、
本当のぶどうを感じることができ、また一層おいしく思うことでしょう。
1つ1つのぶどうに手がかかっているという意味を込めて、農園の名前も「ぶどう工房」にしました。

2年目は、妻と2人で作業し、1年目にだいぶ鳥に食べられたので、全園に防鳥ネットを張りました。
そのほかにも1年目で浮かんだ課題について対処して、良いぶどうがたくさんできました。
県のぶどう品評会では、巨峰(種なし)が2007年に銅賞を、2009年に銀賞を、2010年に金賞をとりました。
年々技術も上がってきているのかなと励みになります。

大学で深夜まで研究してたことを思いだしながら、今はぶどうの研究をしてます。
ぶどうは品種も色々、栽培も販売も奥が深く、おもしろいです。
まだまだ成長段階の「ぶどう工房たなか」ですが、よろしくお願いします。
                                 
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