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幼少の頃からラジオでポピュラー音楽のシャワーを浴びて育った根っからの音楽好き。歌の上手さは注目の的で、8歳頃からステージに立っていました。13歳の時に初めてのバンドを結成、17歳の時別のバンドを結成。幾つかの国に行ってレコード契約探しをしていましたがそこで色々な文化や、異国の音楽に触れた事は彼にとって大きな収穫だった事でしょう。1993年から1995年にかけてBossonは他の2人のメンバーでElevateというバンドで3っのシングルをリリースしています。1998年本国スウェーデンと日本から初めてソロとして1stアルバムをリリースするまで数限りない経験をしています。そのところはCDレビューをご覧下さい。1stアルバム
The Right Time はダンス・ナンバーから始まります。
Bosson が Capitol と契約して初めてリリースした We Live がロスの Kiss-FM のディレクター、Michael Steel 氏の目に留まった事がきっかけとなり、全米にその波が広がって次のチャンスに繋がりました。Sandra Bullock 主演の映画、「デンジャラス・ビューティー」、原題 "Miss Congeniality"のサントラに曲を提供する事になったのです。Sandra は彼の曲を「輝いている」と彼に言ったそう。そして映画のシーンにフィットする様アレンジを依頼しました。彼女はその映画でプロデューサーも兼ねていたのです。その曲が彼の存在を世界に知らしめた One In A Million です。曲のモデルはその当時の彼女だったミス・スウェーデンなので当に One In A Million に捧げた曲。 彼女の存在は、2ndアルバムのインスピレーションを得る時にとても重要な意味を持っていました。 Sandra はテキサスのAustin の映画のセットに彼を招待しましたが、それはちょうど彼の曲がミス・コンのシーンで流れる時でした。そのセットのステージの上でミス役の女優さんたち・・まるで花園・・の真ん中で記念写真に!
2000年にはBritney Spears,LFOと共にアメリカ・ツアーに参加し成功を収めています。その約一ヶ月の間彼はせっせと日記を書いていました。ウェブサイトに載っていたことがあります...とってもハードなスケジュールでしたが、いかに刺激的で楽しいツアーだったか、そして彼がいかにユーモラスな人か分かりました。2001年にゴールデン・グローブ賞にノミネートされ、Bob Dylanらと共にあのレッド・カーペットの上を歩きましたが、そこで彼はとんでもないポーズをとりました。
アメリカでは4回ツアーに参加したようです。Bosson は7ヶ月間アメリカに滞在した事があるそうですがスタジオに入っても曲が全然書けなかった、とインタビュアーに語っています。やはり彼はスウェーデンにいてこそ素晴らしい曲が書けるのでしょう。2ndアルバム、One
In A Millionのリリース以来プロモーションとコンサートで世界中を飛び回った彼、かなりきつかったそう。
2nd アルバムの内8曲を彼が書いていて,1曲は 1stアルバムで Deenoと共に作った
We Live の 2nd バージョン,そして3曲がスウェーデンとアメリカのライターによるものです。お勧めは何と言ってもOne
In A Millionですが、他に Where Are You, I Believe, This Is Our Life, Stay,
そして We Live 2nd バージョンが素敵です。 とにかく粒ぞろいの12曲。2ndアルバムの最後を飾る
We Will Meet Again・・・この曲も祖母をイメージしています。この曲を BSB
の Howie D と姉の Pollyanna がレコーディングする事になり一緒にスタジオで仕事をしました。彼らの姉が
Lupus という難病で亡くなりましたが親しい人を失った悲しみを描いたその曲がピッタリだったのでしょう。2002年には前からの知り合いだったEmma
Andersson のWeightless でデュエット。
その年の春から3rdアルバムの構想を練り始めていましたが、あまりのスケジュールのきつさに精神的なゆとりも無くなり、仕事に区切りをつけて暫しの休養をとりました。・・それが5ヶ月間だった事を後に知りました。いつもコンサートをする時はその場所がどんな所か下調べをするのだそうですが、時にはその余裕も無く不本意なショーをしてしまったことも。彼はかなり仕事には厳しくてパーフェクトを目指すタイプ。自分を頑固者と評しています。でも普段はとってもざっくばらんでインタビューにも期待以上の話をしてくれるのです。シンガポールから帰ってすぐビデオのシーンを撮った日の夜、電話インタビューを受けた事があるのですが、途中で静かになったと思ったら彼、寝てしまっていたんですって。インタビュアーがすまなく思って黙っていると、本人目が覚めて「遠慮しないで」という意味の言葉をかけました。疲れている様子なので質問を半分にしようかと思っていたインタビュアーに彼は40分も付き合ってくれたそうです。
ようやくエネルギーを取り戻した彼、2002年秋、3rdアルバム製作の為スタジオ入りしました。春のインタビューでは2003年春にリリースされるでしょう、と言っていましたが半年もそれがずれ込んだのには前述のような事情があったのです。Bosson はかなりの曲をここでプロデュースし、プログラミングを手がけています。各アルバムがそれぞれ違った世界を持っていますが私はこの新しいアルバム、Rockstar の中毒にかかっています。甘く、優しく、時には力強く、彼は自在にそれぞれの曲を歌い分けているので一日何時間聴いていても飽きるという事がありません。ぜひあなたも彼に癒されてください。 ( 2004/12/15)
追記 (2005・3・17)
2003年9月17日アルバムに先駆けてシングル You Opened My Eyes をリリース。本国でのオフィシャルサイトも立ち上げ11月5日にアルバム Rockstar をリリース。12月25日にファンゾーンを開局しました。彼自身の構想によるもので、登録した時彼がいかにユーモラスな人であるかを再認識しました。
3月6日 Melodifestivalenに出場しましたが準備にかなりの日数を費やしたようです。昨年は本国Sweden, Russia, Germanyを中心にコンサートをやりました。特にRussiaの関心度は高く、頻繁に彼を招待しています。ファンの熱意も本国のファン顔負けです。
Hand In Hand スウェーデン語で Hand i Hand は当時13歳の少年が作詞をしたものに彼が曲をつけたものです。この様なチャリティー活動もやっていて昨秋ホームタウンで数人のアーティストと共にコンサートを開きました。2003年のリリースらしいです。青空と浜辺のシーンが出て来る様な爽やかな曲・・カモメの鳴き声を効果音で出したりして。韓国版のシングルCD、Efharistoに
Never Never Never という曲が入っています。実は2002年に作った曲だそうですが3rdアルバムには組み込まれませんでした。3rdアルバムのイメージに合わなかったのでしょうか?私たちファンは次のアルバムにぜひ、この曲を入れて欲しいと願っています。その質問に彼は入れるつもり、と答えています。いずれにしても、その曲を聴くと彼が作曲家としても素晴らしい事を改めて実感しました。現在製作中のアルバムのリリースが待ち遠しく、日本でのリリースもお願いしている所です。...........2005.7.14
追記 ( 2005・11・10 )
彼が中国のバンドのカバーソングをリリースしました。私は中国語が分かりませんのでSHANAさんとMlleAmieさんに翻訳していただきました。あと、彼がその曲を手がけるきっかけになった事についいても触れてみようと思います。彼のバイオグラフィーも詳細に書かれているのでここに載せます。SHANAさんMlle Amieさん大変有難うございました。改めて感謝を捧げます。
追記 ( 2005.12.9 )
先にも書きましたが、インフォメーションのページで中国での活動を載せました。そこでの契約にも成功したそうで喜ばしい限りです。
バイオグラフィー、英語バージョンも苦心の末、完成させました。彼が音楽活動を始めてから現在に至るまでの経歴を幾つかの記事と私自身がファンゾーンに入って見聞きした情報をまとめてみました。ちょっと日本語バージョンと雰囲気を変えてみましたので、暇な方は読んでみてください。又、貴重な情報を下さったMlle AmieさんとSHANAさんには改めてここで感謝を捧げます。これからも宜しく。^^;
バイオグラフィー 訳 : SHANAさん、Mlle Amieさん
スウェーデン、この美しい北欧の国は、優雅で上品なだけでなく世界第3位の音楽輸出国です。
この国は、メタルや、ABBA, Ace Of Baseなど、さまざまな素晴らしい音楽やシンガーを輩出しています。
そして、世界で活躍する、クリエーティブ・アーティストBossonも。
Bossonは、作詞、作曲、編曲、ボーカルまで一人でこなす、実力派、クリエーティブ・アーティストです。彼の魅力はまず、ロサンゼルスで受け入れられた。最初のシングル「We Live」は有名な放送局KISS-FMが強力に後押しし、ファンのたくさんのリクエストにより、彼の曲は広まったのだ。
デトロイト、シアトル、フィラデルフィア、ワシントン、マイアミなどからもリクエストが相次いだ。最後には全米で彼の曲を耳にするようになった。
アメリカの有名な音楽雑誌「ビルボード」でも、彼を最も注目する男性シンガーとして紹介した。
Bossonはもともと経済を学んでいた。しかし、幼少の頃から音楽に対し、感受性の鋭かった彼は、音楽を捨てることができないので、今も音楽の道を進んでいるのだ。
そして、「One In AMillion」が誕生した。彼はこの曲によって、一躍有名になり、Sandra Bullock主演の映画Miss Congeniality ( * 邦題:デンジャラス・ビューティー )で主題歌として抜擢された。
そして、Bob Dylan, Bjork, Stingと同じように、ゴールデン・グローブ賞の「最優秀テーマ曲」にノミネートされた。・( * Bob Dylanが受賞 )・・・・・(SHANAさん)
この栄誉で一躍注目の的となったBossonは、初の映画主題歌でアメリカポピュラー音楽界に続き全世界の扉を叩く幸運を手に入れたのである。
その後、「One In A Million」はドイツ、スウェーデン、ノルウェー、スイス 、ベルギー、南アフリカ共和国、ギリシャの他多くの国々のランキングで上位3位以内に入るという快挙を成し遂げ、数々の音楽賞で金賞の栄冠を手にする売り上げを記録した。
「One In A Million」の世界的なヒット後、カイリー・ミノーグらとともに招待された台湾ツアーでは、7万人以上の聴衆が殺到。N'Sync, Westlife, 98 degrees、LFOら有名アーティストと競演した世界ツアーの台湾公演でもその実力のほどを証明してみせた。
また、有名女性歌手エイミィ・グラントは偶然耳にした「Where Are You」を大変気に入り、アルバムの第一番目に収録することを決定。・・・・・・( Mlle Amieさん )
追記 (2007.6.7)
2005年初めから 4th アルバムの構想を練り始めましたが、イメージが出来上がるまでに相当の時間がかかりました。それからマイ、スタジオでボーカルをレコーディングする作業を始めました。最初の予定では2006年の夏にリリース、となっていましたが、それがずれ込んだ為に、他の仕事が入って作業をストップせざるを得ませんでした。、Rix FM サマーツアーへの参加もありました。Russiaへパフォーマンスや、ビデオ製作の為に頻繁に行き来しなくてはならず、彼はRussiaでも住まいを求める必要があると思っているそう。
1997年のソロ・デビュー以来、彼は本国では MNW と契約していましたがサードアルバムからの シングル I Need Love (2005.1) を最後にそこから離れました。4th アルバムに先駆けて、2006年6月、You がダウンロード曲としてリリ-スされた事は当時の彼にとって、いかにレコード契約が容易でなかったかを物語っています。
幸い、セカンド・ソングWhat If I が同年12月、BAM よりリリースされ、そこに You も収録されたので、
スカンジナビア以外のファンもやっと Bosson の新曲をゲット出来ました。 続いての3曲目 I Can Feel Love はこれまたダウンロード曲となりましたが、ラジオ局へのリクエストが多く、頻繁に流されていてファンとしては I Can Feel Love がヒット・ソングになったことを非常に喜ばしいと思っています。
ようやく 待望の 4th アルバムが6月11日に本国 Sweden より リリースされる事になりました。
購入方法が分からなかったファンにとって、bosson.net でそのサインつきのCDが購入可能になったことは朗報です。Bosson ( Staffan ) は常にファンゾーンのmessageboard を読んでいて、ファンが何を望んでいるかを知っています。
日本でのリリースの予感もしています。サードは残念ながら本国と Russia でしかリリースされませんでしたが、今、自分の仕事に関する事の大部分を自身が決定できる立場になったので、大きなレーベルとは切れたものの、それが彼にとって良い方向に動いている状態です。
追記 (2007.6.16 )
bosson.net より、更新されたバイオグラフィーを載せます。英語がほんとに苦手な方だけ参考にしてください。
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Bosson がアルバム 「One In A Million」 で大成功を収めてから6年が経った。 2年後、それに続く 「Rockstar」 がりりースされ、今が彼の4番目のアルバム 「Future's Gone Tomorrow, Life Is Here Today」 の到来の時である。
Bosson, Staffan Olsson は多くのスウェーデンのポップスターより遥かに多くを経験している。 「One In A Million」 はサンドラ・ブロックの主演映画 「Miss Congeniality」 (邦題:デンジャラス・ビューティー) のテーマ曲として選ばれた。彼女は自ら彼に電話し、テキサスのオースティンの撮影所に招待した。その歌は彼に2001年のアワーズに於けるヴィップ席同様のゴールデン・グローブ賞候補も与えた。そのアワーズ・セレモニーのレッド・ペットの上に立ち彼は、自分の音楽が彼にどれぐらいの栄光をもたらしたかを悟った。ライターとプロデューサーとしてのハード・ワークが報われたのだ。そして驚くなかれ、「One In A Million」はヨーロッパ、アジアでトップ10になり、彼はカイリー・ミノグーとブリトニー・スピアーズとツアーを行い七万を超える聴衆の前で歌った。彼は又、エミー・グラントや有名なギタリスト、アル・ディ・ミオラの為に曲 ( 注: Never Never Never )を書いた。
Bossonはスウェーデンのラジオで頻繁にその曲をかけられるアーティストではあるが、過去二年間彼はスウェーデンではきわめて出演を控え続けた。しかしながら、海外での事情は随分違った。 Bossonは大きな成功を収め、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンのような国で相当の数のツアーを行った。彼は最近、彼の曲の一つをロシアのスーパースター、ロリータとロシア語でレコーディングした。(注:I Can Feel Love ) 彼は又、2006年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストで競ったロシアの大スター、Diman Bilanと競演した。
Bosson は自分の歌を異なったフィーリングのシンボルとしてメッセージで描写している。彼は人々が彼の詞に一体感をもてることを願っている。Bossonは彼の詞が恋愛関係から、日々の境遇、不可能な愛、愛する者を失う事全てに関してである、と述べている。それは其処に同じような境遇にいる人々がいるという事で強くなる。彼はそれを証明する数千に及ぶ e-メールや手紙をファンから貰っている。
「Future's gone tomorrow, Life is here today」 は2年を超えるハードワークの結果である。Bossonは完全主義者で完成したと感じるまでは何もリリースしたくないのである。
ーー僕は人々が自分を忘れるだろうという様な懸念の下で物事はしたくない。それは自分のやり方ではない。アルバムをリリースする時はいつでも、大物のアーティストと自分が競っているようなものだ。そしてもし、自分の音楽を伝えたいなら、確かな基準を持たなくてはならない。
Bossonは80年代における音楽への彼の深い興味を形にした。だからその方向に於いて曲を製作する事にしたのは自然の歩みである。彼は曲の中に80年代を強く感じさせるポップとして音楽を作っている。
ーー僕はただ自分が表現出来る、そして自分自身が聴きたくなるような音楽を創るんだ。・・・そして僕がする事楽しんだり、そうでなかったりするのはリスナーに任せるよ。もし好きでなかったらそこに自分の魂を注ぎ込んだり、完成までにほぼ二年もかかるプロジェクトに自身のお金を投資なんか絶対できないね。それなら代わりに何か違う事をすることを選んでいただろう。
Bossonは最高に自分の事を要約して見せた :
(自分のように)誰もそんなに一所懸命に仕事に打ち込まないさ!皆はただそれを楽しんで欲しい。
昨夏、我々はラジオで大ヒットになった新しいシングル、 「You」 で新しいアルバムがどんな感じなのかを味わった。三番目のシングル、「I Can Feel Love」 は又スウェーデンのラジオで沢山流されている。「Future's gone tomorrow, Life is here today」 は80年代のアップテンポ曲を思わせるものと感動的なバラードのミックスと共に、Rockstarが終わった所から続いている。
やみつきになるような曲でいっぱいのアルバムである。
Boson バイオグラフィー ・bosson.net より
拙訳 ・ Taichan |