宗教法人・北海道福音伝道会

北海道聖書学院

Hokkaido Bible Institute (HBI)

HBIの紹介





「はい。ここにおります。」






 千歳福音キリスト教会  牧師 木村 宣雄    (北海道聖書学院 教師)




木村 宣雄 師

「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」(出エジプト3章3節)


  あれは、もうかれこれ 15年も前のことになるん だろう。初めて、北海道聖書学院を訪れたときの 記憶は鮮明である。北海道に来て間もなく。 まだ右も左もわからぬ頃に、授業の合間のチャペルの メッセージに呼んで頂いた。本当に迷わずに時間通りに行けるんだろうか。
 確かに教えられたとおりに迷わなかった。線路 は一本しかないし、それらしい建物は一軒しかな いし(実はその左に寮があった)、入り口も一つ しかなかった。玄関のドアを開けて中に入ると、 私に迎えてくれたのは何よりも、「あの匂い」だ った。宣教師の家の匂いだ。幼い頃通っていた教 会は、宣教師の家だった。毎週日曜日に教会に行 くと、最初に僕を迎えたのがこの匂いだ。
 この匂いを、文章で説明できる文学的手腕が私 にはない。どんなに古い物でも、きれいに磨き上 げた匂い。貼り付けてあるのではなく、丁寧に縫 い合わせている匂い。とにかく、心を込めて時間 かけた匂いだ。ここは宣教師のスピリットが生き ている学校である。

 エジプトからイスラエルの民を導き出したモー セが、宣教師のスピリットを持っていたかどうか はわからない。でも、モーセが神様から遣わされ ていくことを学んだように、私たちもこの箇所か ら神様のことを学ぶことができる。


1.わたしは彼らの痛みを知っている。(7節)

 「神様、こんな私でいいんでしょうか。私には こういう失敗がありますし、こういう欠けたとこ ろがありますし・・・」まず、神様が最初に関心 を示したのは残念ながら、モーセ自身のことでは なかった。モーセは同胞を痛めつけていたエジプ ト人に我慢ができず、キレてしまってエジプト人 を殺した。そしてミデヤンの荒野に逃れた。いっ てみれば傷心逃避行のようなものだ。まずは、そ ういう傷ついた人に声をかけるのが、しかるべき ではないか。それから、癒された人が遣わされて いく必要がある。
 しかし、それはこちら側の気持ちであって神様 は別のことを考えておられる。まずは遣わされて いく先にいる人がどんな状態なのかが課題だ。神 様はこの地の人々が、どんなに痛みを持っている かを知っていてくださる。だからこそ働き人を召 しているのであって、召されている人が祝福を受 けるのはその後の話だ。


2.私はあなたをパロのもとに遣わそう。(10節前半)

 「わかった。遣わされていく先の人が肝心なん だね。」しかし、遣わされていくのは、その痛ん だイスラエル人たちの所にすぐ行くわけではない。 何と、まずパロのもとに遣わされている。本当に 大切なのは、その遣わされていく先の人であった が、遣わされていく場所がそこではない。まずは、 パロの所に遣わされている。ある時に、私たちも 遠回りを教えられる。本当はこのことをやりたい のに、その前にしばらく待つことが求められると きがある。それが神学校生活の特徴なのかも知れ ない。しばらく待って、自分の苦手なこととも直 面していかなければならない。その中で、本当に 召されていることを考えて、本当に召されている ことを選んでいく技術が、実は、その後からずっ と必要になることだ。


3.わたしの民を連れ出せ。(10節後半)

 「じやあ、いつ、神様のお役には立てるの?」 だいじょうぶ。ここを歩いていくなら、きっと神 様のお役に立てるときが来る。最後には、その仕 事をすることになる。いろいろなことをした最後 に待っているのが、何と、一番最初に呼ばれたそ の用件である。


 「そうだけど、宣教師の『匂い』って言わない で、宣教師の『香り』って言った方がイメージが いいんじやないの?」うん、まあ、そうなんだけ ど、あれは・・・「匂い」・・なんだなあ。