補陀落渡海船(2004.6.6)


海に関する記事があると、ついつい読んでしまう。
先日の新聞記事に、「補陀落(ふだらく)渡海船」のことが載っていた。


【補陀落渡海船(再現)】〔提供:那智勝浦観光協会〕

和歌山県の那智の浜から、主に上人を中心とした人たちが渡海していった。
全長5.5メートルほどの船には、4方に鳥居(発心門、修行門、菩提門、涅槃門の4門をくぐり、
死後は浄土へ往生するという)があり、船の中心部に屋形がある。

補陀落は、死者が新しい生命を得て、よみがえり、永遠に観音に奉仕することができる浄土。
その浄土を目指し、生きながら渡海船の屋形に入り、南無阿弥陀仏と書かれた白い帆をあげ、
渡海していく。

渡海船は、蒼海の彼方にある浄土をめざし、大海を漂流し、やがて沈没する。まさに死出の旅立ちである。
平安初期から、江戸中期まで、渡海して行った人、その数、数十とも、数百とも・・・・

当時の渡海者たちの、その崇高な宗教心を想うとき、ただただ壮絶としか言いようがない。
それらの新聞記事を読みながら、毎週末、のんびりと釣り糸を垂れる、私にとっての海を想う。

はなはだ次元の低い話しで申し訳ないが、私が死ぬときは、
その海で釣り糸を垂れながら、コクリと眠るように息絶えたい。
海という恋人の懐に抱かれて・・・・・
なかば本気で、そう思うのである。


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