マツヤ万年筆病院(2008.11.3)


 今でこそ熊本県に住んでいるが、私のふるさとは長崎市であり、
青春多感な高校時代は長崎で過ごした。
長崎で一番の繁華街、浜の町に”マツヤ万年筆病院”というお店があった。
あったと記したが、調べてみると今でも立派に営業されているようだ。

 
 【 長崎市の一番の繁華街にある、マツヤ万年筆病院 】

電車通りに面したそのお店の前を通ると、
パーカーとかパイロットとか、高級そうな万年筆がショーウィンドウに陳列してあったのを思い出す。
当時高校生であった私も万年筆は持っていたが、極ありふれた安物の万年筆であった。
家も貧乏であり、特に高級な万年筆が欲しいとも思わなかった。

最近、小説家の吉村 昭 氏の本を立て続けに4冊読んだ。
読んだ順に、「ひとり旅」、「史実を歩く」、「縁起のいい客」、「戦艦武蔵」。
エッセイも数多く書いておられる氏の本に、「万年筆の葬送」というエッセイがあり、
この長崎市のマツヤ万年筆病院の事が記されていた。

高校時代から、何故、”マツヤ万年筆専門店”とか、”マツヤ筆記用具店”などではなく、
”病院”なんだろうと不思議に思っていた。

万年筆屋さんの奥に、きっと何かしらの病院があるのでは?と、
ショールームの奥を覗き込んでいた思い出がある。


歴史小説、戦記小説家である氏は、いろんな調査で100回以上長崎の地を訪れておられる。
氏のエッセイから引く、
 
『・・・・さまざまな万年筆を使ってきたが、十年ほど前に長崎のマツヤという万年筆専門店を
  知ってからパーカーを使うようになった。 その店に初めて入った時、店主が字を書いてくださいと言い、
  筆圧その他を観察していたらしく数本の万年筆を私の前に並べた。
  その中の一本がパーカーであったのである。 
  
  小説、エッセイの推敲用には、パイロットを愛用しているが、それが先日、先端がゆらいで
  はなれてしまった。 私はその万年筆をマツヤの店主に送り、書き具合の同じものを郵送して欲しい、と頼んだ。
  店主から電話があって、修繕可能だから直しましょう、と言った。
    「その万年筆が可哀相なのです。十数年私に酷使されて首がもげたのです。静かに葬ってやりたいのです」
  店主はよくわかりました、と言って、新しいパイロットの万年筆を送ってくれた。
  それもきわめて書き味がよく、日々楽しい。 』


病院の意味がはじめて分った。
古来、長崎の街は出島をはじめとする、海外貿易文化の窓口である。
シーボルト門下生をはじめとする、それこそ向学に燃えた優秀な人材が、
蘭学、西洋医学、文化を学ぼうと、日本全国から参集した歴史的な街、それが長崎なのだ。

その長崎の街にふさわしいではないか。”マツヤ万年筆病院”
ホームページにもいわく・・・
 「・・・お客様の万年筆の体調不良(?)も骨折(?)も総合病院として的確な診察・診断と処方がなされ・・・」
http://www.jyomon.com/shop/matuya/matuya.htm

勉学の秋である。
自分にぴったりフィットした、いい万年筆で勉学にいそしもうではないか。と、掛け声ばかり自分に発してみる。
それにしても、長崎と聞いただけで、ふるさとが思い起こされ、ペンを執ってみたくなる私である。
ここ随分、里帰りしていない。    


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