天命を知れるだろうか(2002.2.28)


孔子の思想、「論語」にある有名な一節・・・・・

子曰わく、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。

私は十五歳の時に学問に志した。
三十歳にして学が成って世渡りができるようになった。
四十歳で事の道理に通じて迷わなくなった。
五十になると天命の理を知った。
六十歳では他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになった。
そして七十歳になると、思いのままにふるまっても道をはずさなくなった

私はもうすぐ五十になるが・・・・天命の理を知れるだろうか。
いやいや、とんでもない話しである。
孔子が15歳で志した学問すら、全く物になってない。
学問もおさめず、
自律すらできなく、
迷ってばかりで・・・・・・
何回、人間をやり直したら孔子のような述懐ができるようになるのだろうか・・・・

十五歳を「志学」、
三十歳を「而立」、
四十歳を「不惑」、
五十歳を「知命」、
六十歳を「耳順」、
七十歳を「従心」と、
それぞれ呼ぶのは、この一話が典拠となっているのです・・・・
とは、インターネットで調べた偉い先生の解説です。


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