宮田港から棚底港へ(2019.11.5)


 ボートも10年近く乗っていると、いろんな箇所がいたむし、
メンテ・修理が必要となってくる。

いつも世話になっている我らが徳成丸。
係留港を、より熊本市内に近いところに移そうと計画している。
それを契機に、今回、ボートのメンテナンスも
専門のところに依頼しようという事になった。

とりあえず、T船長ほか皆なで相談し、以下の箇所を
点検・修理してもらおうという事になった。


【 徳成丸(購入当時に撮った写真だからまだまだ新しいなぁ、、)の今回、点検修理箇所 】

 @外機のギアオイル交換及び、上げ下げ時に硬い音がするのでニップルの交換及びグリスアップ。
 Aメインスイッチ(ナイフスイッチ)の点検(自分で調整したが、接触がいまいちだ)
 Bスロットルレバーがかなり重い。ワイヤー部にオイルの注入とか必要?
 C赤色の航海灯(破損)の取替え(現在はLEDになっており、部品代だけで1万数千円とのこと、 たかー!)
 D船体傷(着岸時などに、他のボートにぶつけられたような傷)にパテ塗り。
 E燃料フィルタ等、交換したほうがいいものの交換。

以上、6項目を紙に書いたものをお渡しし、専門業者の方に点検・修理をお願いした。


この専門業者の方は、係留港(棚底港)の隣りの、宮田港に作業場があり、
そこまでボートを運転して持って行った。

元の棚底港までの帰り道を、おっちらおっちら歩いて帰ることにした。
天気は、秋晴れの快晴!
海の香りを嗅ぎながら、なるべく海岸線に近い道を歩いて帰る。
距離にしたら、5Km弱。

まず、宮田港の岸壁で釣りをしている人を、少し遠くから眺めながら、
妻がこさえてくれたお弁当をゆっくり、ゆっくりかみしめるように頂いた。
目の前に広がる、天草の海を眺めながらのオニギリは最高においしかった。
さあ、5Kmの道のりを出発だ。
海沿いに、ゆっくりと歩く。
天気晴朗な上に、波低し、、、である。
空気はおいしく、しかも海の香も加味された空気は最高である。
おそらく、人生の中で一番おいしい空気を吸っている。


【 えびす ビーチ。夏は海水浴客で賑わうビーチだ。 】

普段は、海側からこのビーチを眺めながら釣りのポイントへ向うが、
今日はなぜか陸側から海を眺めている。
少し不思議な気持ちがする。
今はもう11月、秋。 トワ・エ・モアの、♪誰もいない海♪である。



【 「鯛夢(タイム)トンネル」 と書かれたトンネル 】

このトンネルは、駐車場からエビスビーチへ続く歩行者用のトンネルで、
みなさんこのトンネルを通って、手前側のビーチに来る事になる。



【 駐車場側の、出口 】

このトンネルを出て、すぐ左側に広い駐車場がある。
前の海は、我らが徳成丸がいつも釣りのポイントへ向う航路である。


さらに海岸線にそって歩く、歩く。



【 左側は、倉岳中学校のグラウンドである。 奥は倉岳体育館 】

すぐ横が海という学校も、そうざらには無いだろう。
グラウンドから海へと続く階段がある箇所があり、
夏は、グラウンドわずか数十歩で海に飛び込めるという環境がうらやましい。

さらに海岸沿いを歩く。
思わず、
「おおっ!! 素晴らしいスロープがあるじゃあないか!」 と叫んだ。
棚底港の一番右端にあたる部分だ。


【 素晴らしいスロープだ 】

この日は干潮に近かったが、それでも充分ボートの上げ下げができる。
何やら、看板が立っていた。
あーーあ、 また、ボートの乗り入れ禁止!とか書いてあるのだろうなぁ、、、
と、足元の看板を見て見ると、

な、な、なんと、早い話しが、200円出せばボートが出せると書いてある。
初めて見た。
上にある注意書きが、以下のとおり。


【 スロープという施設利用のお知らせである。 】

??と思った。
元号が平成から令和に変わる5月1日頃に張り出されたのだろう。
“・・・・平成さん、さようなら、、、、令和さんいらっしゃい、、、いっしょにあそぼうね、
      皆さんも楽しみましょう。 海に バンザーイー  帰りに200円いれてネー バーイーバイ ”
みたいな事が書いてある。
冗談か?と思ったら、ちゃんと 「倉岳町棚底(港)管理組合」 と書かれてあり、
料金を入れる箱も設置されている。

とにかく、ボートが出せるという現実がうれしいね!

でも生きている間に、このスロープから、我が家の倉庫に眠っているゴムボートの “ゆき丸”を
滑り降ろす事があるだろうか・・・・・と、ふと思ったら少し泣けてきた。
でも、ほんとありがたい。
ほとんどのスロープが、ボート禁止、禁止!の現在に至っては。


少しまた歩くと、道に見覚えのある食べ物が落ちていた。
おお! ムベ(グベ)ではないか!
頭上をみると、なっている、なっている。


【 写りがわるいが、紫色のムベがなっている 】

アケビや、ムベは朝市や、取れたて市などで売られているのを目にする事はあるが、
このように、自然の中でツルになっている姿を見たのは、
何十年ぶりだろうかと思うと、実に子供の頃を思い出し
とても懐かしかった。
どれも熟して食べ頃のようなので、何とかひとつ取れないかと、
ツルに飛びついたりしたが、いかんせんかなり高い所にあり、
止む無く断念した。


さらに歩くと、建物の上に立派な鯛のモニュメントが、、、


【 棚底港 旅客ターミナル 】

さすがに鯛釣りのメッカ、倉岳町 棚底!。
昔は、太公望たちが遠くは関西、関東からでも、
この倉岳の地を訪れていたという。
このターミナルからは、御所ノ浦、大道へのフェリーや、海上タクシーが行き来している。


さらに歩く、歩く。
天草市役所 倉岳支所、棚底地区コミュニティセンター前の公園に
石碑を見つけた。


【 石碑(道楽80で使った写真)。現在は、もっと苔むしたりして汚れている。 】

「うしろ倉岳 まえ龍ケ岳 中の小島は浮き沈み  雨情」

“中の小島” とは、この石碑が立っている位置から見える 弁天島の事だと思う。

説明文では、昭和16年に来熊のおり、郷土の歌人、丘玲二(斉藤健吉)の依頼により、
この地に約一週間滞在し、棚底小学校の校歌を作詞したとか。
「シャボン玉」、「赤い靴」や、「七つの子」などの童謡作家で有名な
あの野口雨情が、その昔この地に来ていたのかと驚きである。


さてさて、2時間弱にわたった杜歩での、宮田港から棚底港までの旅が終わった。
午前中に出航した、棚底港に帰り着いた。


【 係留港の棚底。その棚底港の一番奥にあたるここは、浦港が正式な呼び名のようだ 】

出航した係留岸壁を振り返ると、
以前にも書いたが、昔はびっしりと隙間無く並んで係留されていたボートも、
櫛の歯が欠けるように、まばらになっている。
高齢化により、船に乗るのをあきらめたからだろう。
そして我が徳成丸も、近々この係留港を去る予定である。

少し寂しい気持ちで車に乗り込み、係留港の浦港を後にした。

帰路、長く歩いた疲れのせいか運転中に眠気を感じたので、
道路沿いのPに車を停め、しばし仮眠をとった。

そして我が家にたどりついたのは、午後5時近くであった。


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