一口法話


一寸の虫にも五分の魂

徒然草
蜻蛉の夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬ

 この歌は、朝に生まれた蜻蛉(かげろう)が夕には死する運命であ
ることや、蝉が短い命を謳歌して懸命に鳴くことが出来るのは一夏の
みである、というはかなさを歌い上げています。日本人は小さな蜻蛉
が舞う様を眺め、蝉や鈴虫達が鳴く聲(こえ)に耳を傾け、何とも言
われぬ哀愁を感じ取って来ました。
 それは、蜻蛉や蝉のように死の舞を踊り、魂切る聲をあげていると
感じるのは私たち自身であり、命に終わりがあるということでは虫も
人も同じということが分かっていたからではないでしょうか。だから
こそ、小さな虫の命を人の命(自分の命)になぞらえ、そこにすべて
の命の大切さを感じ取り、その感性をこれらの諺や歌にしたためて、
古より語り伝えてきたのが私たちのご先祖様なのです。私たち日本人
は、これらの大切な感性を失っては絶対にならないと思います。


 今を盛りと咲く桜の花が散り・・・

 夏の夜の螢のほのかな命の炎がゆらめき・・・

 中秋の満月に虫たちが鳴き・・・


 畳の上に住まいし・・・

 盂蘭盆には先祖の霊をお迎えし・・・

 お仏壇の前で感謝の念を込めて手を合わせる・・・
合掌

     平成十三年秋小庵にて
最勝院小住  布 施  公 彰



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