現在の弘前公園には下乗橋という橋がある。追手門より進んで南内 門を過ぎ、本丸へ入るための、赤い塗りの欄干が架かった壮麗な景色 の橋である。 昔、弘前城が高岡城と呼ばれていた頃、歴代の津軽藩主はこの橋に さしかかると、乗っていた駕籠より降り、歩いてこの橋を渡るのを慣 わしとしていたという。それで、いつからかこの橋を下乗橋と呼ぶよ うになった。しかし、最勝院の住職が城へ赴くときには、駕籠より降 りずにそのまま通ることを許されていたと言う。その為、城内城下で は『土踏まずの最勝院』と噂されたと言う。当時藩主の官位が従三位 下であったのに対し、最勝院住職が正三位であったことに由来する、 と伝えられるのである。
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