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【岡田播陽(おかだ・ばんよう=陽明学)】 陽明学・直木賞のページ

 ●岡田播陽に関する情報を知っておられたら、ぜひ教えてください。

 
岡田播陽の紹介:彼は私の祖父です。明治6年兵庫県大塩町(現在の姫路市)に生まれました。彼は以下の著書(すべて大阪中之島図書館の蔵書の中にあります)を残しました。また南画家の巨匠、森琴石
http://www.morikinseki.comと交流があったことも最近、分りました。

 最近、日本画家の竹内栖鳳との交流もあったことが判った。竹内栖鳳から贈られた掛け軸がある。

 「三都生活」「殺哲学」「最後のマッチ」「地獄真宗」「殺される我等」「血みどろの世界」「反射炉」「大衆経」ー彼の著書です。

●「銀花」40号 昭和54年12月号より転載(筆者は肥田晧三氏)
大正時代の大阪における岡田播陽の活躍はめざましいものがあった。第一著作集の「明けんとする夜の叫び」が大正5年に出版されてから、以後毎年一冊ずつ播陽の著書が出たことでも人気の程がうかがわれるが、そうした花々しさに反して、今は播陽の名前を覚えている人がきわめてまれになっている。作家の岡田誠三さんが父播陽に取材した「自分人間」をつい近年に世に問われ、それを契機に播陽が一部で見直されているらしい。

 しかし、往年の盛名に比べたらその復活は物の数でないようだ。全盛時代の播陽は、世にハミ出した豪傑が怪気炎を上げる気概があり、評論と小説の分野で縦横に何もかもを薙ぎ倒す勢いがあった。木崎高尚が播陽をさして「岡田君は得たいの知れない人である」といったが、いかにもそうした傾きがある。一種の衒気にはちがいが、根底に傑出した学識があり、それが大阪の町人学者らしいとも見られたのである。

 近頃、私は播陽の著作を読み返している。播陽の著書は刊行されたものが全部で九冊らしい。正確な著書目録など作られたことがないので、この機会にその書名を記しておくと、『明けんとする夜の叫び』(大正五年)、『「三都生活』(大正六年)、『殺哲学』(大正九年)、『最後のマッチ』(大正十一年)、『地獄真宗』(大正十二年)、『殺される我等』(大正十三年)、『血みどろの世界』(大正十四年)、『反射炉』(大正十六年)、『大衆経』(昭和五年)の九冊である。書名付け方にえげつない所のあるのが播陽の特長ともいえる。

 旺盛な執筆活動は一見書き散らかしたような乱雑な感がないでもないが、意外にも播陽がその著書の中で好んで大阪の学芸を取り上げ、真面目に評論を下しているところに播陽の熱心な郷土愛の一端を知り、故人のそうした一面に好意を寄せている。

 紙幅が尽きたので詳しく触れることが出来なくなったが、この他にも大正の大阪らしい書物はまだまだある。堂本印象が女性風俗を描いた『恋の都・大阪の巻き』(大正元年、杉本梁江堂刊)、寺田雅一の『南地情話』(大正六年刊)、宝塚少女歌劇を歌集にした矢沢孝子の『湯気のかく絵』(大正十二年、宝塚少女歌劇団出版部刊)など、内容はもとより装丁にも大正の雰囲気が色濃く、ふれずにおくのがあまりに惜しい。で、その書影だけでも出しておきたい。

※私の播陽の記憶は、父が彼の書いた原稿を家の中だけでは収まらず、床下まで突っ込んでいたことぐらいである。終戦後、おもちゃなど、ない時代に、何が書いてあるのか知らずに、その原稿を引っ張り出しては紙飛行機を作って遊んだ。

●岡田播陽は陽明学に傾注していました。その考えを一番よく伝えていると思われる『大衆教』を今後、HPで紹介したいと思っています。
播陽の著書は、いまでも古書店で売られています。例えば、『地獄真宗』(大正十二年)は6,000円の値段がつくほどです。従いまして、絶版で死後50年以上経っているとはいえ全文を紹介することはしません。

●『大衆経』を紹介する前に、播陽が人生で一番私淑した大塩平八郎について書いた論文を紹介したい。大塩平八郎は明治維新前、幕府を批判、救民の旗のもと兵を挙げ大坂の街を焼き討ち。大塩平八郎の私塾・先心洞に播陽の親族が出入りしていたことから、呉服商で財を得たのち、大塩平八郎の研究に没頭、評価を得ていた。大塩平八郎は陽明学者であった。次の論文は京大生が中心に発行していた思想誌『学生評論ー1937年2月号』(白石書店発行、『学生評論』を復刻する会編)に、「大塩平八郎百年忌に寄すー幕末に於ける庶民一揆ー」(岡田播陽)がある。これにつきましても、概要の紹介にとどめます。

そこに執筆者・岡田播陽が編集部の名で紹介されている。播陽の一面を伝えるため、引用させていただく。

ー岡田播陽と云えば、中年以上の讀書子には知られた名前であるが、昨今、氏の著書が刊行されないので、青年層には未知の人が多かろう。大正時代、数々の著書が刊行されている。氏は大阪の中心部に長らく商業を営んで居られたが、数年前から隠遁的な下宿生活に移られた。博覧強記、和漢の歴史、仏教、儒学、易学に造詣が深く大阪に住む異色ある存在として、その風貌と共に、奇異の感を以て世人から観られがちであるが、その本領は、「大阪町人」の革新的な伝統を堅持されたる処にある。七十歳に近き高齢に拘らず、目下、「大塩平八郎年代記」を完成せんと、日夜努力され、気魄壮者を凌ぐものがある。本文末に掲載されている参考文献を見ても、氏が如何に大塩平八郎に対して心身を打ち込んだ広汎な研究をされているのかが分る。古希に近き老人がかかる真摯な研究をされているのを見るとき、我々青年も緊褌一番新たなる決意を持つ可く、鼓舞激動されるのを感じよう。大塩乱百年に際して、かかる老篤学者の寄稿を得たことに対し、編集部は深き意義を認めたいと思う次第である。(編集部)
 
 ●【大塩平八郎に関する資料が豊富なHPです。】

  「大塩の乱資料館リンク集」 

 http://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/link.htm
 http://homepage3.nifty.com/oshio-revolt-museum2/index-3.htm