●ハマユウ(学名:Crinum asiaticum var. japonica)
別名:ハマオモト(浜万年青)ヒガンバナ科
開花期:8月〜9月
関東より以南の海岸砂地に自生。写真のハマユウは昨年4月まで住んでいた枚方の知人から株分けしてもらったものが、今夏、咲きました。オモト(万年青)に似ているのでハマオモト(浜万年青)とも呼ばれる。花は白く細長い形でなんとも涼しげです。
女優の浜木綿子(はま ゆうこ)の由来は、ハマユウでしょう。(
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●2005年8月24日(水)曇り、25日(木)雨、27日(金)晴れ、
台風(執筆は、24日〜26日)
高野山に学ぶ
24日:朝6時10分に自宅を出る。8時44分、南海高野線・極楽橋に到着。ここからケーブルに乗り換えて高野山駅。そこからバスに乗って、千手院駅で降り、会場の高野山大学に向かった。それにしても「極楽橋」とは、粋な駅名である。会場の高野山大学に到着したのが、9時10分で、3時間要した。
台風が接近しているため、明日以降の講座は中止になる可能性があると、主催者がアナウンスしたところ、「東京から来ているが、あさってに前日の授業をやってほしい」とか、「台風が来ていてもいいではないか」という参加者の声に押されて、スケジュール通り実施することになった。大変な熱意である。
【講義風景 S・O撮影】
最初の授業を担当した前谷彰助教授の「紀州熊野説話考」の話はすばらしかった。彼は言語学者でサンスクリットをはじめ言語学に精通していて、大変興味深い話だった。学生の人気NO.1といわれているだけに、話し上手である。
断片的にキーワードを拾うと、日本人の源流については北方系と、南方系程度しか、分けられなくて、ものすごい数の混合種族だという。姓が羽田、波多、波田などはまず帰化人だ。あのキンさんの祖先はDNA鑑定によれば祖先はモロッコだという。泰(はた)、東(あや)のつく姓の人も帰化人がほとんど。日本に土着の民族はいただろうが、中国、朝鮮からの帰化人の力を借りないとなにもできなかった。丹生(にゅう)、土生(はぶ)の姓も、それぞれ丹は水銀、土は鉱山を意味した帰化人。
推薦する本としてクランクフォートの『哲学以前』をぜひ読んで欲しいと紹介されました。己以外をともし火としてはいけない、つまり絶対的自己責任をとる。
彼の話をうまくまとめることは大変だが、要は釈尊の教えを後の権威を求める頭のいい人間が加工したわけで、原点をしっかり押さえてそれとぶれていないことが大事だと強調した。熊野は「木の神」のいるところで、帰化人によって発展。
午後は 霊宝館副館長の井筒信隆氏は高野山の秘仏の紹介だった。これだけの話を3日間聞いて、霊宝館見学して、1000円でほかに、教科書(希望者のみ)2500円で受講できるのだから安いし、大変、勉強になった。
受講者は230にで、大半がシニア。常連も何人かいました。
25日:宿泊は「不動院」。ここは宮家流れを汲む宿坊。境内に鳥羽天皇の遺骨を納めた丸山御陵があって、同院の沿道にあって宮内庁の人が常駐する小屋がある。高野山に女人納骨の創始だという。不動院の吉仙庭を愛でながらの精進料理はすばらしいの一言。お酒も飲めます。料金は約1・5万円。
宿坊では朝6時30分から30分、お務めに参加。365日毎日、行っている。供養を受ける人は5千円です。
台風は夕方から紀伊半島の端を通過しますが、高野山直撃は免れました。朝は小雨程度の天候でした。
昨日に続いて講義を受けた。夕方、懇親会に参加。隣に座ったM氏はこの4月、定年退職となり1人で来たという。自分の車で寝ているそうです。元気がある方でした。大門から7キロ下に温泉があって、そこで湯につかり、高野山の駐車場に戻って睡眠をとる。彼がこの夏期講座に参加しているのは「空海について知りたい」と、思ったからだそうです。前川先生、知人Y氏(同行者)及び守口からきたという白髪の美人Aさん(写楽の研究家)と一緒にM氏に記念写真をとってもらいました。Aさんに写真を送ることを約束した。
26日:最終日です。4時起床。台風は完全にそれたことを知りました。午前中、前川先生の講義がありました。午後、霊宝館を見学して解散しました。
今回の講座で学んだことは、「仏教とは何か?」の問いには、説明できないほど複雑になっているということ、新興宗教は釈尊や、空海をはじめそれぞれの宗派の一部を利用して
悪辣で頭のいい人は、詐欺まがいのことをやっていることだということを知った。オーム真理教にも仏教の教理が含まれているということです。
あと、印象に残った話は、「ヤタガラス」です。これは3本足のカラスですが、サッカーチームのシンボルにも使われています。3本足のカラスは、いわば奇形であったとみられ、それは特殊な能力を持っているとして神社のシンボルにしたという。
世界遺産に選定されて少しは、観光客が増えたそうです。ただ、観光とは、その地を訪れて「光」をみる、つまり暗い気持ちを持っていても、そこに光をみて晴れ晴れすることです。ところが、観光は集客の方法ばかりを論じているのは、おかしいという。
仏教とは何か:当たり前の真事,
四諦八正道(したいはっしょうどう=苦の滅に導く八つの正しい実践項目)をあまねく相対的に推し測る。目に見えない世界から仏教の解脱(煩悩から解放されて自由な心境になる)によって、光明(菩薩の知恵)を見出す。釈尊は「縁起」(因縁、因果と同趣旨)によって悟りました。縁起とは、互いに相よりそって生じせしめる働きをいう。これは、「これがあるがゆえに、彼があり、彼があるがゆえに、これがある。これが滅するがゆえに、彼が滅する。彼が滅するゆえに、これが滅する」という関係であります。
人間は自己を追求するが、形を変えながら、また相手の形を変えさせながら存在している。競争的共存であるという。ところが、欧米の進化論を軸とするキリスト教は最高実存の神を設けているため、仏教的縁起を否定、認めない。認めると、自分たちのレーゾンデートルが消滅すると考えている。
科学、哲学も宗教の枠内にある。科学も哲学も方法論に過ぎない。お祈りは、自己内省のためです。先祖(それを突き詰めると、原子になる)のためでなく、実際は先祖を崇拝していない。先祖とはなんでありますか?自分の記憶そのものでしかない。(私の理解)
これが前川先生の教えでした。仏教とは梅をつける塩加減のようなものです。「じょうあんばい」です。
以上
●最近、知人からエイズについてのメールをいただきました。シニアになると、成人病の方に関心がいっておりましたが、年頃の子供をもつ親には、大きな問題だと改めて思いました。この内容は広く読んでもらった方がいいと思いまして、本人の了解のもとに名前を伏せて掲載します。
「エイズを考える」
★ 娘の質問にあわてる
「お父さん、エイズって、どんな病気なの?」。9歳になる小4の娘からいきなりこう尋ねられ、私はあわてました。アフリカの危機を伝えるテレビ番組で、多くの人がエイズで死んでいると解説していたのがきっかけのようでした。
私は娘の9歳の誕生日に、「性ってなに?」(高柳美知子著、新日本出版社)という本を贈りました。そこにエイズのことが詳しく書かれていますので、「あの本を読んでみたら」と私は逃げ腰の構え。娘はこの本をとっくに読んでいたようで、そのうえでの質問だったのです。「私が知りたいのは、エイズになったらどうなるかということやねん」。つまり体の内外にどんな症状が出るのかということでした。
娘とのやりとりで、不安を覚えました。「この子がもしHIVに感染し、エイズを発症したらどうなるだろうか」。日本では病人差別が平然とまかり通っています。病気になるのはつらいことですが、この国の陰湿な風土の中で生きるのはもっと大変だと考えるからです。
★ 病気より恐ろしい偏見と差別
私のささやかな体験からお話ししましょう。結婚する際、妻から「エイズ検査を受けて来てほしい」と言われ、私は居住地の保健所へ出かけました。検査は匿名でもよいとのことでしたが、私は本名で受けました。
検査結果は2週間後。やはり、ちょっと緊張しましたが、意を決して出かけたのです。案内された部屋に入ると、中にすりガラス板で囲ったコーナーがありました。姿は見えませんが、筒抜けの話し声から、説明役の女性医師と検査結果を聞きに来た女性が話しています。受診出来る病院などを紹介していましたので、この女性がHIV陽性だったことは疑いありません。これではプライバシーがないも同然で、本名で検査を受けた私はがく然としました。
女性と交代して部屋に入る時、私は顔を合わせないようにしましたが、もし面識のある人だったら、お互いにどれほど気まずかったことでしょう。私がコーナーに入るなり、「あなたは陰性です」と言われ、すぐに退室。すると、目の前を先ほどの女性が歩いています。そして、保健所の受付窓口から男の職員が身を乗り出し、ニヤニヤ笑いなら女性の方を見ていたのです。「あっ、あの男の職員は女性が陽性だったことを知っているな」と私は直感しました。
「プライバシーを守る」などと言っていますが、保健所の中でさえもこのありさまです。さらに、医療機関によってはHIV感染者の受診を拒否したり、差別的な扱いをすることがあると患者支援団体などが告発しています。「HIV感染者やエイズ患者とふつうに接していても感染などしない」と言っている医療機関がこのような状態です。
HIV感染者は居住地の自治体に申請すれば、障害者の認定が受けられますが、申請しない人がかなりの数にのぼると言われています。理由は、HIV感染者であることが知れたら住んでおれなくなるなどプライバシーの侵害を恐れているからだそうです。何だか偉そうなこと言っていますが、私だってHIV感染者やエイズ患者に握手や抱擁を求められたら、びびったり、あせったりするに違いありません。それが正直な反応です。
★ 映画に描かれたエイズ
エイズを取り上げた映画も少なくありませんが、日本映画は陰湿な風土をそのまま映し出しているように思います。10年以上前の作品ですが、「私を抱いてそしてキスして」(小島吉弘監督/1992年)は厚生省御用達の趣きで、エイズは恐ろしいとおどろどろしく描いています。座敷牢で死に絶える姿などおぞましくて目をそらしたくなります。主人公の主婦がHIVに感染しながら赤ちゃんを産む話で、エイズ問題を描いた社会派の作品と評価する向きもありましたが、陰湿な風土を色濃くにじませていて感心出来ませんでした。
外国映画では、エイズを正面から取り上げた初のメジャー映画と言われる「ロングタイム・コンパニオン」(ノーマン・ルネ監督/アメリカ/1990年)。HIVに感染し、エイズを発症した同性愛の男性を9年間見守り、男性が心安らかに死んでいく姿を描いています。「オール・アバウト・マイ・マザー」(ペドロテ・アルモドヴァル監督/スペイン/1999年)もエイズとともに生きる姿が貫かれています。これらの作品には暖かく包み込むというメッセージが読み取れました。
現実の社会となると、もっと厳しい状況ではないでしょうか。日本では、横浜や神戸でエイズに関する国際会議が開かれましたし、横浜では毎年、エイズの文化フォーラムが開催されています。ボランティア団体の活動も盛んで、劇や講演などでエイズ教育を実施している小学校も少なくありません。
でも、エイズを受け入れ、共存して行こうという雰囲気が社会にあるでしょうか。かつてのハンセン病患者への対応と同様、感染者や患者を隔離し、臭いものにフタをしようとしていると思えてなりません。「病人哀史 病人と人権」(小坂富美子著、勁草書房刊)と言う主に戦前の日本の病人差別の実態を明らかにした本を広げますと、病人の、取り分け女性患者の悲惨な状況が記されています。
著者は「戦後は病院への隔離など病人の疎外が進んでいるうえ、老人医療費の有料化や健保本人の給付切り下げなどで、新たな病人哀史が生まれる恐れがある」と指摘しています。実際、その通りではないでしょうか。
★人類の危機?核、環境破壊、エイズ
国連合同エイズ計画の推計では、2004年末のHIV感染者は全世界で3940万人。南部アフリカ、インド、東南アジア、中国をはじめ世界中に広がっています。日本のHIV感染者とエイズ患者は約1万人で、2004年の新規感染者が初めて年間1000人を超えたそうです。
この数字について、実際にはもっと多いのではないかと見る専門家も少なくありません。とくに日本の感染者数はこの何倍にものぼっていると指摘する人もいます。
エイズは当初、同性愛者や麻薬など注射の回し打ちする一部の人が感染する病気と考えられていました。その後、血液製剤による薬害や母子感染が明らかになり、いまではふつうのセックスで感染する人が目立っています。つまり、だれでも感染する病気になっているのです。しかも、世界でHIV感染者が減っている国はなく、感染拡大に歯止めをかけつつあると言われるタイでさえ、実際に効果を上げているのは売春宿でのコンドーム使用の徹底や母子感染予防だそうです。
こうした現状から、HIV感染・エイズ発症が爆発的に広がり、大流行すると専門家は警告しています。核拡散や地球温暖化、フロンやアスベストにみられる環境汚染・環境破壊とともに、エイズは人類の危機との危惧も表明されています。
その危機は、感染者や患者が急増することだけではなく、感染者や患者を差別し、排除する事態が起きる不安も重なります。先の「病人哀史」の著者は「病人の危機はすべての人間の危機である。そして、今、その危機に直面した時代にはいったとはいえないだろうか」と訴えています。
当を得た指摘です。また、雑誌「世界」05年9月号の「人生からのリストラ 自殺三万人時代と日本社会」の論文の中で、筆者の岩波明氏は「日本人が集団で行動するとき、彼らはしばしば考えられない無慈悲な行動をする。集団となった日本人は、はじき出された者をゴミのように扱う。実際に暴力を振るわないないまでも、『不祥事』を起こした者に対して精神的に陰湿なプレッシャーをかけ続け、しばしば相手が自殺するまで続ける」と指摘し、日本社会の底流に存在する「悪人情」とでも言うべき精神病理を変えていく必要があると訴えています。
これは、うつ病から失業し、自殺に追い込まれる人達についての指摘です。結核、障害者、原爆症・・・と同じような例は数え切れません。HIV感染者やエイズ患者となると、もっとひどい扱いを受けているのではないでしょうか。
★やすらかに暮らせる社会の実現こそが最大の予防策
このような状況の中で、日本の政府や自治体は何をしているのでしょうか。一言で言えば、コンドームの使用とHIV検査を受けること奨励しています。専門家も、性感染症予防と人工妊娠中絶を避ける観点からコンドーム使用を強調していますので、それはとても大事なことに違いありません。ただ、人間は機械ではありませんので、愛し合う者同士が自然にセックスをすることは避けられないのではないでしょうか。
ニュース報道を聴いていますと、インドではHIV感染者同士の結婚相談所が開設され、タイでは感染者の自助グループが新たに感染が判明した人の相談に乗ったりしているそうです。また、中国では政府系機関が感染者を差別する実態を明らかにし、感染者がふつうに生活出来る環境を模索しているようです。
感染防止を呼びかけることは重要ですが、不幸にも感染した人が安らかに暮らせる社会をつくることがもっともっと大切ではないでしょうか。HIV感染者を暖かく包み込む社会の実現こそが最大の予防策になると思うのです。医学・医療の進歩とともに、みんなが支えあうことこそが、エイズに限らずあらゆる病気を克服する道ではないでしょうか。
「神様がくれたHIV」(紀伊国屋書店刊)という本があります。保健師で、医療ボランティアとして赴任したアフリカのタンザニアで恋をしてHIVに感染。絶望のどん底で帰国後、元の職場の上司が「今まで通り働いてほしい」と受け入れてくれたとか。この話を読んで、私は「日本も捨てたものではないな」と思い、救われたような気分になりました。
この本の帯にはこう記されています。「HIVは主にセックスを通して感染します。自然に恋愛をする若い世代にこそ、広まる危険性があります。特別なだれかの病気ではないのです。だから、私は自分の『ありふれた』経験を書こうと思いました。普通の若い女性が恋愛し、HIVに感染し、それでも普通に暮らしたいと思ったとき、どのような出来事が起こるのか、ということを」。
私はいま、HIV感染者やエイズ患者が心安らかに生をまっとう出来るために何かささやかなことが出来ないものかと考えています。みなさんの中で何かご存知でしたら、ぜひお教え下さい。