11月日記
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●庭のバラ
庭に咲いたバラが毎朝、癒してくれます。このバラは母親が植えたもので、それを生けました。
●2005年11月27日(日)晴れ
今度は、紅葉の奈良へ往く老夫婦
昨日の土曜日、知り合いの人をお見舞いに奈良・西大寺に行くことになりました。お見舞いは午後の4時でしたから昨日、つまり25日、NHKの朝のTVで紅葉のスポットとして紹介されていました奈良の正暦寺(せいりゃくじ)に急遽、行くことにしました。
「正暦寺を見て、お見舞いに行きましょう」という提案に乗って、午前11時に家を飛び出しました。最寄の駅員に近鉄・奈良駅で正暦寺に行くバス乗り場を聞きましたが、「奈良駅に問い合わせましたが、知らないと言います」という答えが返ってきました。とにかく、奈良駅に行けば分かるだろうと、奈良駅の1Fにある観光案内所で聞くと、即座に「対面の3番乗り場です。次は11時56分で、あまり時間がありませんので、急いでください」と、教えてくれました。
ところが、昼食をとってからゆっくり行こうと、観光案内所に戻り、時刻表をもらいに行くと、「バスの本数が少ないですよ」と言われ、見ると、1時間後にしかありません。あわててバス停へ行くと、長蛇の列でまさに乗り込んでいるところだったのです。最後の列に並んでいましたから、乗れない可能性もあったのです。
前からも乗ってくださいと運転手が声をかけたらしく、女房はさっと前から乗り込んだのです。私は真ん中の入り口で詰め込んでもらってやっと乗れました。
時間にして20分と書いてあったので、すぐに着くと思いましたが、寺近くの道路はマイカーの列で、バスがのろのろ運転をしだします。
「運転手さん、暖房を切ってください」と、中年女性が声を張り上げました。ぎゅうぎゅう詰めのバス内は酸素不足で息が苦しく、みんなくたくたの様子です。
「暖房は入れていません」という運転手の返事に、一同大笑い。手分けして窓を開けようとしますが、旧型で窓がさび付いて開きません。運転手が送風を入れて、なんとかしのぎました。
やっとの思いで到着。帰りのバスの時間を確認して、寺まで約10分、坂道を登ります。おなかが空いたがレスラン、食堂らしきものは見当たりません。1軒食事処がありましたが、予約客のみという看板がかかっています。バス代片道530円です。
バス会社も寺も急なことで、誘導などがまずく、お客はイライラ続きでした。来年、もう一度、行ってみたいと思いました。周辺散策もいいようです。
テントを張った店で、紅葉団子串さし3個100円を1串買って、二人で食べました。
NHKの放映威力はすごいの一言です。この日と、翌日の日曜日は臨時バスを出して対応するそうですが、とても足りません。団子も帰りは完売ということでした。若い人は少なかったですね。
この寺は、992年(正暦3)に一条天皇の勅命を受けて創建されましたが、1180年に平重衡(しげひら)の南都焼き討ちの時、類焼を受け全山全焼したそうです。1218年に再建、真言密教・法相宗の教学禅定の道場として使われています。
山を流れる菩提仙川の清流で醸造が行われ、日本酒発祥の地ということで、テントの店でお酒を販売していました。
紅葉は写真を見ていただくと分かりますが、「錦の里」と言われるだけあって、全山紅葉で染まっています。11月中は楽しめます。行けない人は写真で楽しんでください。
【見にくいですが、大体の位置を確認してください】
【本堂前の鐘】
【周囲は錦絵の様です】
●2005年11月24日(木)晴れ
晩節男3人、晩秋の奈良を往く
久しぶりに歓談の時を楽しみました。年齢が50歳代〜63歳までの男3人が晩秋の奈良へ紅葉を求めて行きました。皆、「男だけで紅葉鑑賞、ウソでしょう」と言われたそうです。私もそうですが、「なに、花は紅葉で十分だよ」と答えたものです。私の連れは友人と2人で滋賀・坂本へ行く予定が、待ち合わせた三条で鞍馬へ変更したそうです。鞍馬へ向かう電車からの紅葉はすばらしかったようです。
奈良公園の近くで紅葉を鑑賞できるスポットとして、「衣水園」はお勧めです。東大寺の正面に向かって左側の静まった家屋が建つ一角にあります。衣水園は明治期を代表する庭として国の名勝指定を受けています。神戸の造船業で財をなした中村家が収集美術品を展示する美術館を建てた時、鑑賞するための周囲の環境にと衣水園を購入したそうです。
どうぞ、写真でお楽しみください。
この後、東大寺南大門の前を通って、2月堂、3月堂、そして猿沢の池から奈良町を巡って、和風レストラン「月吠」で3800円のコースを楽しみました。ここのマスターはワインに詳しく、絶えずおいしいワインを仕入れています。この日はボジョレヌーボーを1本3人で堪能しました。皆、「料理はリーズナブルな値段で、量もほどほど、おいしかった」という感想でした。奈良へ行かれたらお勧めのレストランです。昼(700円〜)もやっているそうです。
●2005年11月20日(日)晴れ
ここにも下手な見本の近鉄商法
【的矢湾にかかる悪徳商法?の橋、風景はしばらしい】
11月中旬、朝6時40分、家を出る。阪神高速・水走から近畿自動車道、西名阪に入る。香芝ICで朝食、カレーライスを食べる。
関で伊勢道に入り、まず仕事で訪問する赤福の工場の下見に行く。ここに新社長が常駐。そこから、約10分でおかげ横丁へ向かった。伊勢道はガラガラですばらしい秋のドライブであった。今年3回目のお伊勢参りである。
おかげ横丁の「すし久」で麦とろ定食を注文。とろろの量の多さにびっくりした。そのあと、五十鈴茶屋で本わらびもちと抹茶をいただいた。そのとき、単品の抹茶についていた「たまり餅」は美味であった。これはたまり醤油と胡桃(くるみ)の風味を調和させたお餅である。あとは、買い物をして、赤福の工場に戻った。
この10月1日に社長に就任した。父親に似て、よく話す。300年の歴史をもつ老舗を経営する苦労話を聞く。これらは季刊誌『Brain Trust』新年号に掲載します。
その日は、志摩ロイヤルホテルに泊まる。朝4時に起床。7時に朝食。バイキングはまずまずだった。昨夕の食事は目玉料理もなく、いま一つだった。やはりシニア客が多い。
朝食後、散歩に出る。ホテルと並んでリゾートマンションが建っている。ほとんど人影がない。地元の人は「ここは何もない。マンションは2000万円はするが・・・・」と、冷ややかに見ていた。スペイン村に渡る新橋から見る的矢湾、それを取り囲む島半島の風景は美しい。
9時にホテルを出て、スペイン村に寄る。だいたいけしからんのは、スペイン村へ行くのに、橋を渡るだけで、520円も取ることだ。この橋は英虞湾をドライブするために建設されたが、とっくに償却が終わっているのに、有料である。スペイン村を往復すると2倍になる。
あまりに腹が立ったので、迂回してスペイン村に向かった。20分かかる。スペイン村の駐車場が1000円だという。入場料が2800円、これに橋の通行料往復を加えると、ざっと5千円である。
スペイン村の駐車場の係りの人さえも「閑古鳥が鳴いています。ここへ来た人たちが隣のロイヤルホテルに行くのに橋の通行料520円が必要だと聞いて、怒っています。」と、言う始末である。近鉄商法は下手だと思う。駐車場を無料にすると、冷やかしの客も含めて、もっと来るはずだ。近くで食事したり、お茶を飲むにしても、ホテルか入園する以外ないわけだから、そちらで儲けたらいいわけだ。
スペイン村、志摩観光ホテルとも赤字だと聞く。いくら立て直しても、経営思想を変えない限り、うまくいかないように思う。おかげ横丁、伊勢神宮はすべて駐車場は無料である。だから平日でも多くの人が訪れている。
安物の遊園地まがいの施設で、しかも田舎の端にあるスペイン村(実際のスペイン人が見たら泣くだろう)入園料2800円では、価値価格というものが分かっていないと思う。本物のスペインもどきなら別ですが、いかがでしょうか。
もちろん、スペイン村を素通りして帰宅しました。
途中、小学校の修学旅行以来の二見が浦に寄りました。ここもダメですね。海岸沿いの駐車は無料(市役所で聞く)ですが、怪しげな男や、店(有料駐車)があるので気分が悪い。5分ほど歩くが、市営の無料駐車場を利用するのが一番です。
帰りも西名阪は3箇所で工事をしていたので、渋滞しましたが、無事、帰ることができました。
●2005年11月13日(日)晴れ
ニューヨークからの快挙の報
※11月18日メール(下記)が届きました。一部、数字等訂正しました。
●11月6日のニューヨークマラソンに参加した和田彪さんからはがきが届きました。
「念願のニューヨークシティーマラソンを完走できました。時間は5時間10分とワースト記録で非常に疲れました。世界各国から36,000人が走り、沿道には200万人以上の大声援です。アメリカのスケールの大きさに驚かされました。一人旅なのでレストランに入っても落ち着かなく、夜はほとんどデリでテイクアウトしてホテルの部屋で食べています。残り3泊、楽しみたいと思います。2005・11・6」
このような文面の絵葉書を拝受しました。彼は私(63歳)と小学校の同級生ですから62歳(早行き)です。ワースト記録と言いますが、私からしたらよくぞ、完走したと拍手を送りたい。しかも一人で自費で行くなんて、すごいの一言です。ロマンがあります。
だいたい、危険な街、ニューヨークへ知り合いがおらないのに一人で出かけたこと自体、驚きです。
毎年、新年に同窓会を開いていますが、ぜひ、祝賀会をしたいと御礼の返事を書きました。
●「無事帰ってきました。今年のニューヨークマラソンは87000人の応募があり36000人が走ったようで
す。アメリカ人以外はイギリス、イタリア、ドイツなどヨーロッパからの参加者が多く世界100カ国から日本からは450人が走ったそうです。旅行社を通せば簡単に参加出来るのですが、私は5年前に初めてインターネット応募して3回落選4回目に優先的に参加する事が出来ました。
予想に反して暖かい日が続きマラソン当日は23度になり大汗をかきました。スタットン島をスタートしてすぐに長い橋を渡りブルックリンに入ると沿道を埋め尽くした人の大声援が始まりブラスバンドやジャズバンドでの応援が切れ目なく5つの橋を渡りセントラルパークのゴールまで200万人以上の観衆でした。30Km位までは応援に手を振ったりしてまだ元気だったのですがそれ以降はがくっとスタミナが切れ歩いている人とスピードが変わらない程になってしまいました。それでも何とかゴールにたどり着く事が出来ました。
55歳からランニングを始め今回が10回目の完走です。
マラソンの後はお決まりの観光コース、自由の女神像、エンパイヤステートビル、グランドゼロ、チャイナタウンなど歩いて来ました。一人旅だったので気楽でしたが食事や一杯飲んでいても何だかわびしく夕食はデリで惣菜ワイン、ビール等を買ってきてテレビを見ながらの食事が殆どでした。」
朝の報道2005で当日、東京都の石原知事も観戦して感激されたようで、東京大マラソンを計画していると紹介していました。
●下の写真は最近見た映画「Allways 三丁目の夕日」のパンフレット表紙です。気鋭の山崎貴監督の新作です。
昭和33年の東京の下町を舞台にした映画です。CGで当時を再現していますが、工事中の東京タワーの写真がなかなか見つからなかったそうです。大変、よくできています。
私が中学生のころの風景で、涙が止まらないほどで、なつかしく楽しませてくれました。
【東宝映画】
●2005年11月10日(金)晴れ
早いもので定年後、3年3ヶ月が経ちます。その年にならないと、実感はありませんが、サラリーマンという人種は定年を境に世界が全く違ってきます。定年前から次の夢を計画していたしていた人には、待ち遠しい定年でしょうが、計画のない人には苦痛この上ないようです。猛烈サラリーマンでゴルフとマージャンしか遊びを知らない人は、お金のある人はそれなりに楽しめるでしょうが、金のかからない遊び方を知らない人は本当に不幸です。
そういう意味で、私の2005年は超多忙の1年で終わろうとしていますから、幸せだと思わなければなりません。これから12月にかけまして、高知、広島、岡山、名古屋2回へ調査取材、このほかに、宇治山田、北海道、東京、岡山と仕事と遊びを兼ねていく予定です。しんどいと言ってはばちがあたります。
ところで、現役の友人から「石原産業事件(産廃問題)について、どう思いますか?」というメールをいただきました。昔、30数年前に現役の経済記者で担当をしたことを知っていての質問だと思います。
以下のような返事を送りました。
●「石原の事件は、いまざっと、新聞を見ただけの情報で明確なことは言えません。」の前置きで、以下の感想をお読みください。
石原産業の言い訳、説明を一切、聞かずに書いております。
ただ、一般論としては最近、経営者の認識欠如を感じます。
もし、リサイクル製品を埋め立て材というなら、同社の工場に埋めればいいのではないですか、
それができない製品を無認可業者に価格の20倍の経費を払って流すこと自体、
トップは「おかしい」と、思わなければならない。
だいたい、石原産業は戦前、鉱山などを手がけた土建屋体質の企業で、戦後もそれを引きずっていました。
酸化チタンがドル箱商品です。コスト面から無理をしたのでしょうが、
バレたら、高くつくことはこれまでいくらでも事例があります。
サラリーマン経営者は分かっていても問題の先送りをしますから、
表面化したら不運だという認識です。
この前、JR東日本の開かずの踏み切りで、1時間も開かなかった
ので、80歳と70歳のおばあちゃんが辛抱しきれずに、遮断機をくぐって
事故にあいました。
これはおばあちゃんが悪いのでありません。もしそうなら、JRの社長よ、
あんたは開かずの踏み切りで待つことができますかと聞きたい。
社有車で動いているTOPに庶民の痛みが分かりませんよ。
それで、CS、ちゃんちゃらおかしいですね。
CSは開かずの踏切をなくすことです。土地が高い、買収ができないといいますが、
人間の命より安いです。
JR西日本もあれだけの犠牲者を出したのに、対応が官僚的です。
犠牲家族はどこまでも要求することを恐れていますが、
生命と比べたら安いものです。「社長、貴方や家族の人が事故で死んだらどうですか?」
と言いたい。とことん犠牲者の要望に応じるべきです。トップが率先垂範して。
地域独占企業で国鉄時代の官僚臭がします。
石原産業は松下電器などと違って、主な得意先は塗料メーカーですから
消費者や地域住民のことに鈍感な企業ということでしょう。
これからは内部告発、株主代表訴訟がありますので
企業はよほどリスクマネージメントを強化しなければ致命傷を招く時代です。
以上、簡単ですが、私の感想です。
●2005年11月5日(土)晴れ
悪夢の思い出
(※訂正:曽爾高原は奈良県、名張が三重県です。訂正してお詫びします。)
【曽爾高原、11月4日、T撮影】
昨日、女房が友人と二人でぶらりと奈良県の曽爾高原(名張からバスで約30分)にスズキを見ると言って出かけた。実は、この高原は、私には悪夢の思い出の場所です。いまも足を踏み入れられねないのです。
高校時代の山岳部で3年の思い出にと秋口、親友二人で室生寺から曽爾高原に2泊3日の計画で出かけました。初日に風をこじらせ、曽爾高原ではテントの中で休んでいました。友人がコッヘルを灯油コンロに載せて朝食を作っていました。コンロは石の上に載せていたのですが、突風に煽られ、こけてしまったのです。
気がついた友人はすぐ消えるものと思い、大きな硬い布で火をたたきながら消していました。ところが、曽爾高原はスズキやカヤが一面に生えており、みるみるうちに火が広がるのです。テントで休んでいた私も気がつき、高原の稜線伝いで知らせに行こうと、上に向かって上りました。友人は下に向かったのです。
私の判断が間違っていました。火は風に煽られ、どんどん上に向かって襲ってくるのです。ついに稜線に出たのですが、その向こうは絶壁で行けません。煙と猛火で体調を崩していた私は、まもなく意識不明で倒れました。
次に気がついた時は、曽爾村の村長さんの家の一室の布団の上でした。村の人が助けてくれたそうです。私が倒れたところが、崖の上だったので、衣服に燃え移らずに、九死に一生を得たということです。
私と友人の父親が村からの連絡で、飛んできました。
「もう、死んでいるでしょう。しかし、これは貴方の息子さんにはなんら責任はありませんんので、どうか苦悩しないでください」
私の親父が友人のお父さんにそういう意味のことを駆けつける道中のタクシーの中で言ったことに、痛く感激したことを後年、友人に会った時に、初めて明かされた。二人が山にのぼり、片方の者だけが死んだ場合、相手をうらむことになるのが世の常であっただけに、友人のお父さんはその一言で救われたと亡くなるまで、そのことを思い出しては話していたそうだ。
親父は私にはまったくそのことは言いませんでした。むしろ、事件を知って会社を出る時に、直属の部長に10万円を前借し、「あとで100万円ほど、お願いします」と言って、すっ飛んできたそうです。一山焼いたら、その弁償代はどうなるのか、一家がすべて終わりになる恐怖に襲われたことを後年、聞きました。
私も意識がもどるにつれ、そのことを心配しました。それは杞憂に終わったのです。というのは、この高原は毎年、年末に奈良の若草山のように山焼きするからです。
「ちょっと、早目の山焼きですな」と、村長は話してくれ、一同安堵しましたというのが私の記憶ですが、これを読んだ同じ山岳部の知人から「山林の一部も燃えたが、将来もある若者だから許してやれ」と、村長が村の関係者を説得してくれたということです。。
次は新聞に報道され、山岳部、学校の名誉を傷つける心配があったのです。これについては、私の父が新聞社の社会部記者であったのですが、事故報道は警察に流れどうにもなりません。ただ、ニュースバリューがなかったのか、地方版だけで留まりました。このため、学校は大阪府にあったので、一部の関係者以外は知られることもありませんでした。
不幸中の幸いで、このとき以来、火については異常なほど用心深くなり、単身赴任のときは、家を出ては、何回も火元を確認に戻ることがしばしばでした。そして、両親への感謝の念が亡くなるまで強烈に持ちえたと思っています。
高校3年の進学で大事な時期に、こんなことをしでかしたので、もちろん浪人になってしまいました。
いまも友人とは会いますが、いつも私の親父のことを話します。
※電車+バス利用の場合、バスの本数が少ないですので、前もって調べて行かれることをお勧めします。
【曽爾高原のうつくしいスズキ】
【曽爾高原の途中の杉の木立】
●2005年11月4日(金)晴れ
秋本番近し
【拙宅の塀の色づく蔦 11月2日撮影】
近くの生駒山がだんだん、色づいてきました。ただ、今年は高野山でも例年より遅れているそうですので、見ごろは中旬以降のようです。
拙宅の塀の蔦が見事に色づきました。「きれいですね」と、近所の方に喜ばれています。拙宅の前に私も卒業した小学校があり、行きかう生徒も色づく蔦を楽しんでくれてほしいと、願っています。
公道に面していますと、表側の美観は一種の社会責任と思いますが、年老いて来ますと前の草取り、蔦の刈り込み、玄関の鉢植え等、その手間が億劫になります。それでも、可能な限りやるしかありませんが・・・。
昨日、文化の日に雑誌の企画で鼎談を取材に宇治山田の「おかげ横丁」に行きました。今年、二度目です。この日は七五三と文化の日が重なって大変な混雑振りです。宇治山田駅前から乗ったバスが終点の内宮前で渋滞に巻き込まれ、約10分止まったままでした。
おかげ横丁では、とうもろこしで作った焼酎を宅急便で送ってもらう手続きをしました。この焼酎は、飲み口さわやかで飲みやすいことは請け合いです。
【焼酎:写真左20度680円、右25度1870円】
鼎談はいずれ紹介したいと思いますが、その中で「人物は都会、東京にはいない。人物は地方におります。都会には人材はおりますが・・・」という発言に、納得した次第です。鼎談をお聞きしていていい人生を送られているとしみじみ感じました。
すばらしい部屋での会食をいただきながら、あの焼酎、楽しい話は尽きませんでした。近くを流れる五十鈴川のせせらぎを聞きながら、時の経つのを忘れるほどでした。
【文化の日のおかげ横丁】
●2005年11月1日(火)晴れ
近況
一段と冷え込んでまいりました。今年もあと、2ヶ月。年齢が高くなればなるほど、時間の流れを速く感じます。
昨日、ある経営者と会食しましたが、当面の一番の課題は後継者選びだそうです。経営者としては当然ですが、これを誤って企業をダメにしたところは少なくありません。私が関心を持っている「守成の経営」の根本は、後継問題です。これからも問題意識をもって企業を見て行きたいと思います。
私が編集しております季刊誌『Brain Trust』でNPO組織を通じて、「中小企業に役立つ企画」を募集しましたら、あっという間に10本ほど集まりした。選択に困るぐらいで、うれしい悲鳴を上げています。