9月の日記

●河内木綿の花です。江戸時代は河内平野に
 この花が一面に咲いていました。いまは、ほと
 んど見れません。(S・O撮影)


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   <月刊「商工会」2005年9月号巻頭言ー岡田清治執筆>
    ●9月2日(金)曇り
月刊『商工会』に執筆しました拙文です。読みにくいですが、興味ある方はお読みください。








●2005年9月3日(土)
  
  63歳の誕生日です。6−3のカブですが、いいことがあることを祈っています。
  最近観た映画「ヒトラーー最後の12日間ー」は、改めて戦争について考えさせられました。


【CINEMA RISENO・149 ヒトラーのパンフレットから】

 知人からのメール(下記)に触発されて観ました。
 ヒトラーに気に入られた個人秘書、トラウドゥル・ユンゲが地下の首相官邸で見た最後の12日間を晩年、執筆したものを中心に映画化したものです。やはり、日本人と違うのは先の戦争を真正面から見ていることですね。
映画では狂人ヒトラーの人間性をのぞかせる場面に批判もあるようですが、戦争の残酷さ、非情さは十分に伝わってきます。お勧めの映画です。
 
☆ヒトラー〜最期の12日間〜☆ (ドイツ/オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)      ★★★★★ 
 どこまで真実に迫っているかはともかく、歴史に真正面から向き合ったドイツ映画人に拍手。必見の作品です。
ドイツでは500万人を超える大ヒットですが、同国内のメディアは「ナチ時代の商品化に終わっている」などと厳し
い評価をしているそうです。ドイツではナチやヒトラーを描いた作品は連綿と作られており、これが初めての作品で
はありません。私は、ミュンヘンで抵抗運動を行い、処刑されたショル兄妹らを描いた「白バラは死なず」
(1982年/西ドイツ/ミヒャエル・フェアヘーヘン監督)を高く評価しています。なお、「ヒトラー」については、
雑誌「世界」9月号に「映画『ヒトラー』の背景」という映画評が掲載されており、戦後ドイツの映画の流れや
今回の作品のドイツ国内での評価なども詳しく記されています。それはともかく、関西では「梅田ガーデンシネマ」と
「京都シネマ」で公開され、連日両館とも満席状態が続き、シネコンでも拡大上映されました。こんな堅い作品に
日本でもたくさん入るのはうれしいですね。


★最近、心臓病では近畿で症例数トップの医師に取材する機会がありました。一人は心臓カテーテル手術で症例数トップを誇る難波にあるA病院の心臓病部長です。彼はまだ38歳の若き医師です。心臓カテーテルに詳しい方はご存知だと思いますが、心臓手術はカテーテルで狭窄のある冠動脈に風船を押し込み膨らますことによって、血液の流れをスムーズに流れるようにする治療法です。風船だけではまた血管が縮んで再狭窄となるため、網の筒ステントを風船で広げたところに留置して再狭窄を防止するのです。さらに薬剤溶出ステントを用いる方法があります。
 部長は風船での手術に重点を置いています。それは一番、安全だからそうです。医者は患者に会った瞬間、安心感と信頼感を与えたら病気は一段と速く治ると言います。この病院は脳動脈瘤の症例数でもトップです。一番、感心するのは、手術室に大窓をつけて外から中を見れるようにしており、同時にモニターテレビでも手術の映像が映し出され、家族らが安心できるように配慮しています。しかも、外部の専門医も観て判定をくだすなど、徹底したデスクロジャーを実行しているのです。こうしたことから、患者は全国からやってきます。

 引き続き、心臓の外科手術の症例数で日本1のB病院のK医師を取材しました。カテーテル手術では対応できない重症の患者は冠動脈の狭窄部位を避けてバイパスを設ける手術です。さらに進むと、人工心肺との交換手術があります。


9月23日(土曜日)晴れ

 
しばらく、日記を書く時間がありませんでした。先日は、九州の大分、佐伯を回ってきました。とくに佐伯は魚介類が新鮮で、寿しが日本1だと自慢しておりました。確かに、うまいですね。

 今日も長文は書けませんので、最近、『TARU』に載りました、拙文を読んでいただければ幸いです。石切は全国的に知られています。自宅から徒歩20分のところで、時々出かけています。








台風14号真っ只中を

日記:9月6日〜8日

取材で大型台風14号が九州に上陸するという日に、九州に出かけることになりました。相手の人のスケジュールがタイトでこれを逃すと、次は何時になるか、判らないと言われていたからです。

意を決して、予定通り出発。とにかく、行けるところまで行くことにしました。近鉄に乗ったときは、太陽が差し込んで窓の日よけを下ろすほどのいい天候でありましたが、JR鶴橋駅で切符の変更をしたところ、広島駅止まりであると告げられました。仕方がありません。行けるところまで行くことにしました。特急はガラガラでした。

広島で駅に一番ちかいということでホテルグランビィア広島に予約を入れ、ツインのシングルユースを確保しましたが、あまりにも高いので依頼主に了解をとりました。それで到着後、申し訳ないと思って駅に隣接するホテルに行きましたが満杯でした。総合案内所にも市内のホテルは満杯という張り紙が出されていました。結局、高いホテルに入りました。

 台風というのに、新潟の女子高校生の集団が修学旅行か、研修旅行かわかりませんが、観光バス3台に分乗して暴風の中を出発していました。事故でもあれば、大変だろうなと、無事を祈りました。

台風14号は長崎に上陸、日本海に抜けました。広島のホテルで4時に起床、テレビをつけると、山陽新幹線は始発から平常運転に戻っていると報じていました。始発列車は6時発の「こだま」です。5時30分に広島駅に着きますと、続々と人が集まっていました。すべて自由席です。かろうじて座席に座れましたが、少し遅れていたら、1時間20分立たなければならないほどの混み方です。小倉で日豊本線に乗り換えましたが、この特急の待ち時間が40分もあり、乗り継ぎの悪さを感じました。途中、岩国の町が水で浸かっているのを見ました。大変な雨量だったことを実感しました。

相手の広報担当者に到着時刻を知らせますと、朝が早かったので携帯にでていただけませんでした。しばらくすると、「すみません」と、遅れたことをお詫びするとともに、駅まで迎えにきてくれることになりました。こちらの熱意が伝わったようで、ありがたかった。今日の取材はうまくいくに違いありません。

実際、2日間の取材は、初めてお目にかかった方ではありましたが、上々のできでした。これにつきましては、将来、報告したいと思います。

 ●声欄に載った相方の思い
  以前、朝日新聞の「ひととき」欄に採用されたことが忘れられず、今度は「声」欄に挑戦すると言って、400字詰め原稿用紙に書いたものを投函、忘れていた1週間も経たない頃に、採用の連絡があったとのことです。

<庭に咲いたほうせん花>















●9月23日の日記、この文の下です。