12月 日記

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 2005年、最後のページを飾る花は、移植した数十年前に植えたローズです。
後ろの木の黄色の実は金柑です。
 
 来年は野鳥撮影にも挑戦します。
 年賀状の花シリーズは1月のページに掲載します。

2005年12月22日(金)晴れ、寒い

                師走に想う

 いよいよ、今年も残り少なくなりました。世界も、日本も、そして私自身もいろいろありました。文字通り光陰矢のごとし
で、大河の一滴となって流れていくのでしょう。それでも生あるうちは精一杯歩んで行くことを心がけるべきだと、肝に命
じております。

 年賀状も書き終え、しめ縄も準備、家の片付け、そして季刊誌新年号の仕上げ、春号の準備、単行本の推敲作業等、仕事がたまっております。
 その間をぬって映画『SAYUORI』(下記写真)を見ました。原作を数年前に読んでいましたので、楽しみにしておりましたが、映画の方はがっかりでした。アメリカ人が造ると、こうなるのかと思いました。戦前の花柳界の実話とはいえ、アメリカ人に映る日本人イメージであることは、間違いありません。
 ただ、著者が芸者だった本人の回顧録ですから、ストリー性を求めるのは気の毒ですが、良くあるパターンで新鮮味がありませんでした。CGを駆使したものだそうですが、全体に日本人の美意識(私の)から見て、あまり評価できませんでした。
以前に紹介しました深作監督の『おもちゃ』の方がよほどましでした。
 3連休の前の夜、最後の時間帯(6時45分〜)でしたが、劇場は7分入りで、大半が20〜30歳代の女性でした。

 今年の回顧に雑誌『商工会』(12月号)のコラムを掲載しました。ご一読いただければ幸いです。


 【『SAYURI』のパンフより引用】









著作権侵害&捏造事件を考える

 本年も早、師走。いろいろあり過ぎたが、自分の問題意識として著作権侵害と捏造事件を書き留めたい。著作権侵害は盗作行為であり、捏造は虚偽行為である。二つは異質なものだが、デジタル情報社会で共通の落とし穴を感じる。
 著作権といえば、文芸作品、映画、音楽、絵画を中心に取り上げられてきた。ところがそうした創作活動によって生み出されたものから派生する経済活動商品(コンテンツ)まで広がっている。定期的に送られてくる日本ビジュアル著作権協会の会報『JVCAnews』第4号にも知的財産保護議員連盟発足(三月十一日)を機に著作権、特許権、商標権等の問題を特集していた。

ここでは執筆関連に絞って考えてみたい。TBS部長の全国紙からの盗用、五年前の朝日新聞広島支局(現・総局)の中国新聞の盗用等を挙げるまでもなく、著作権侵害は枚挙にいとまがない。メディア関係以外ではよほど著名人でないと事件として報道されない。私が運営しているNPO法人のプロライター集団でも著作権侵害が報告されており、教材での無断引用は目に余るものがあるようだ。評論家の富山和子女史は会報『JVCAnews』で、「たった一行の言葉を生み出すのに七ヶ月もうろうろしたり、毎朝四時半に机に向かって丸十二年もかけた作品もある」と、教科書の著作権無断使用を厳しく批判している。

 私自身も現役時代、扱った書籍の著者が著作権侵害で事件として取り上げられた。コメントを新聞各社から求められ全国に伝えられた苦い経験を持つ。その著者は引用文献を巻末掲載のみでいいだろうと、自分の文か、人の文か区別がつかない状態のままパソコンで貼り付けた。出版人は自分が取り扱った同類の本には目を皿のように見ている。一行目からくだんの出版人の本からの無断引用があった。さらに調べると、引用部分を明記していない相当な部分を見つけ新聞社に通報。企業の定年直前の研究者だった著者はそれで会社を辞めたが、再就職で苦労、人生の晩節を汚した。私も当然、処分を受け著作権問題を勉強しなおした。文化を継承していくために引用権は認められているが、引用のルールがある。

 次に、捏造問題である。先の総選挙期間中、朝日新聞長野総局N記者の『虚偽メモ』事件が発覚した。私の友人で同社OB記者が社の対応を厳しく批判、『嘘のような本当の話を書け。本当のような嘘の話は死んでも書くな』と言う怖いが懐の深い先輩たちが目を光らせていてくれた健全な組織だった。」というメールを送ってきて私に感想を求めた。

私は次のように返信した。「朝日も合理化(リストラ)で疲れているのではないか。記者の役割の認識不足も指摘できるが、私には社内での東京本社・政治部と地方の構図(力関係)が問題のように映る。見えざるプレシャーと政治部への反発(時には迎合)、それに『ヘトヘト』と語るN記者の肉体的疲労が重なり合って、『虚偽メモ』につながったのではないだろうか。朝日の社内検証からは、詳細な過程の羅列で事の本質は伝わってこない。
 これがモノづくりだったら欠陥商品となり、自動車なら大事故につながる。記事は精神的商品であるため一般読者は、痛痒を感じない。しかし、朝日の信用は大きく傷つく。」この事件と著作権問題にはメールやパソコンがもつ共通の問題が潜み込んでいるように思えてならない。また問題は組織のコミュニケーションであるが、企業にとって大変、難しく決め手の解決策、方法がないのが現実である。

これが人間のつくる組織(業=ごう)であるということだろうか。






北へ

トワイライトEXP号の旅

2005年12月12日()晴れ〜15日(木)晴れ

フレッツ・スポットのテスト



【東室蘭駅から札幌へ向かうトワイライトEXP号、すっかり雪をかぶっていました。ここで別れました。】】

オリエンタル急行の日本版だと一度、乗りたいと思っていたトワイライトEXP号。大阪―札幌1502・6kmを走る寝台車です。これが、なかなか切符が取れないほどの人気が続いています。売り出しの1ヶ月前に購入をJTBに依頼して、冬のトワイライトEXP号を何とか、確保できました。 乗られた方も多いと思いますが、部屋もスイート、ロイヤル、B個室、Bコンパートに分かれています。

 また、レストランカー・ダイナープレヤデスでフランス料理か、和食のコースを取れますが、客席が決まった数しかなく結構、競争率が高いですね。

 この日、大阪駅を昼の12時に発車しました。早めに行ってフレッツ・スポットでPCのテストをしました。大阪駅にITカフェがありますので、なんとか無線LANを使ってITを自由に使いたく、そのために苦労してセットアップしたのです。

 私にはこのセットアップは難しかったですが(LAN内蔵型だったから、かえって混乱しました)、NTTはこれに力を入れていますので無料のサポート(携帯でもOK)で丁寧に教えてくれます。

 延べ数時間かかりましたが、この日、ITカフェでようやく成功しました。これでこれまで携帯で覗いていました自宅のメールをノートパソコンの大型画面で見れることが可能になりました。

 このスポットが全国に数多く出来ますと、ダイアアルアップ方式より間単に安く出張先でメール通信が可能になります。NTT東日本は来年から本格的に拡張しますので、北海道にはないかもしれませんが、東京にはいくつかスポットがありますので、テストしたいと考えています。(結局、出来ませんでした。東京駅構内には10分間、100円でITを使えるコーナー3台があります。これを使えば見ることが出来ますが、10分100円は相場かもしれませんが、高いですね。それでも結構、利用する人は多いです)


      【個室のある車内通路】                        室内

雪景色のパノラマ

 さて、トワイライトEXP号は寒気団が南下、滋賀県北部から雪景色です。そのため、アルプスとか、夕日は見れませんでしたが、雪景色のパノラマはすばらしかったです。30数年前、福井に赴任した頃のことが思い出されました。歳月の流れの速さにいまさらながら驚いています。

B個室は2畳ぐらいの広さで2段ベッドです。部屋では持参したDVD−CDで時間をつぶしました。夕食時に分かったのですがこの日は、乗客数が少ないようでした。乗務員に聞きますと、「今が一番、底です。これからお正月にかけて混んできます。夏は多いですよ。夕日は5月の連休の頃が美しいです。この列車は週4本、1日1本の運行です。平成元年からはじめましたが、人気はあります」ということでした。

帰宅の日の朝刊に「トワイライトEXP号の食堂車の従業員が長年にわたり、サロンで飲むコーヒー代を従業員が分け合っていたという不祥事がありました」と、報じられていました。今、考えますとサービス業の仕事なのに、あまり愛想もよくなく、どことなくよそよそしいのです。こうしたところは外注にした方がいいかも知れません。

トワイライトEXP号は、所詮は寝台車です。直下型地震の訓練をしているようなものです。お酒を飲んでベッドに入りましたが、震度5〜6の揺れと、列車のきしむ音でとても眠れません。二度と乗る気にはなれません。朝の2時に目を覚ましてから、起きました。外を見ますと、「青森」でした。すでに14時間の旅です。

青函トンネル

午前3時25分からサロンで青函トンネルの説明が約1時間ありました。ほぼ、席が埋まっていました。それを見ますと、30代〜70代で結構、若い人も多かったです。青函トンネルの計画案は昭和14年に持ち上がり、昭和39年に工事に掛かったそうです。完成は昭和63年3月で、連絡船の沈没事故があったことから、工事が早まったようです。全長53・85km(ゴミバコと覚えるそうです)、総工費6,890億円。

青森側から陸上のトンネルを9個通過のあと、10個目が青函トンネルで、海底トンネルとしては世界最長だそうです。

6時に朝食を食べ、7時17分に東室蘭で下車、函館まで逆走します。駅で、1時間待ちです。トワイライトは函館では止まらないのです。函館行きのスーパー北斗2号に乗り換えましたが、満員でした。こちらはさらに銀世界で、まさにクリスマス向きの世界です。



【函館駅で北斗(左)と並ぶ白鳥】

函館で市電の一日乗車券600円を買って、1800円分乗りました。昼食は観光協会で推薦を受けた店に蟹を食べに行きましたが、いまいちでした。今回の目的の一つに、蟹を食べることがありますので、残念です。他の刺身もいけませんでしたので、店の紹介はしません。

新島襄海外渡航の地碑

私は学生時代、工学部の卒論はかなり厳しい結果でしたが、大学の創立者、新島襄についての公募論文で特賞をいただき賞金2万円(当時の初任給が1万3千円の時代)を獲得しました。そういうことがありましたので、熊本バンド(熊本市)、新島襄の妻の故郷・会津若松・武家の出身(福島県)、本人の出身地の群馬県・安中、そして国禁を犯して米国へ出航した函館を訪問しようと思いたちまして、すでに熊本、会津は行きました。今回、函館に海外渡航の地碑が末広町の港の傍にあるので、どうしても行きたかったのです。

      
【国禁を犯して出航した函館の地】

この日の函館は大変な雪で、吹雪いておりました。何とか、写真に収めることはできました。その帰りに寄りました函館市北方民族資料館で、すばらしいアイヌが使った文様を見ました。

次に、市立函館博物館五稜郭分館へ参りました。五稜郭を初めて見ました。ここでも大変な吹雪で、早々に旅館に引き上げました。湯の川温泉の「わか松」ですが、80年の歴史がある、老舗だそうですが、新館は10年前にできたそうです。いい旅館ですね。

帰りのタクシーの運転手は「拓殖銀行がなくなって以来、北海道はずっと不景気が続いています」ということでした。函館から今度は、スーパー白鳥に乗って八戸まで2時間の旅です。昨日からの雪が積もっていました。天候は晴れです。


      【五稜郭公園も雪が積もっていました】    【旅館から見た函館の海、遠くの光は市街地】

ワタミ社長の新著『新たなる挑戦』(ソフトバンク)を読みました。社長の渡邊氏は一代で築いただけに、経営哲学にはすばらしいもを感じます。

白鳥は10分遅れで八戸に着きました。東北新幹線「はやて14号」の出発まで5分しかありません。白鳥の電光掲示板に出発駅〜到着予定駅の線路図と現在場所の列車を写しておりました。これだとよく分かります。八戸駅で駅弁とお茶を購入してギリギリ間に合いました。太平洋側の雪は格段に少なく、日本海側との差を思いました。これから東京までまだ、3時間の旅です。東京では旧友と一献傾けます。携帯で自宅に入るメールを確認できます。フレッツについては、大阪駅でのみです。携帯から、急ぎのメールにつきましては返信を打ちました。帰ると、仕事が待っていることが分かります。

ワタミ訪問

翌、15日は京急の大鳥居駅に隣接するというか、一体となったワタミの本社を訪ねました。受け付けで来訪の趣旨と面会を告げておりますと、傍らからハンカチで手を拭きながら通り過ごしました長身の顔は、まさしくワタミの渡邊社長でしたが、目を合わせただけで、何もできませんでした。受付嬢にお聞きすると、「社長です」と、教えてくれました。

季刊誌の特集で事前打ち合わせに行ったのですが、超多忙で有名(睡眠時間4時間)な渡邊社長にお目にかかるとは、ラッキーでした。
        【ワタミ本社、ビルの前のレストランが「和ごみ亭」、右はビルの裏側から見た本社】                      

それにしても、大鳥居の改札を出ると、すぐワタミの看板が目に入りますが、同行していただいたO女史も驚いておられました。窓口の方も社長並の忙しさで40分程度の打ち合わせで退散しました。年末の宴会の割引券を渡されるなど、営業の精神が行き届いていました。

「当社はサントリービールを日本一売っています」と、話されました。窓口のM女史は兵庫県の出身で、渡邊社長の著書『社員へ贈った手紙』を読んで、同社に就職されたそうです。俄然、関西ということで親しみを覚えました。

ワタミにつきましては、機会をみて書き綴っていきたいと思います。このあと、季刊誌発行の東京事務所(中央区京橋)に寄って、オーナーと打ち合わせをして帰宅の途につきました。34日の仕事旅行でした。


2005年12月2日(金曜日)

(日記2005年11月28日〜12月1日)

定年後の仕事旅行−足が出ますー

【28日】広島

午前9:29のぞみ、広島着11:51

12:05広島発〜山陽本線〜廿日市12:22着

新幹線は結構、人が多い、景気回復の印象だが、廿日市市の商店街は元気がない。

新幹線のモニターは、西村慎吾民主党議員の逮捕を頻繁に伝えていた。

廿日市の一つ手前の駅が五日市で、月の5日、20日に市が開かれるところから、この名前がついたようだ。

廿日市では、戦前から家具をつくっている株式会社マルニを訪問しました。

 ショウルームを見せてもらいましたが、すばらしい家具が並んでいました。全体にセンスの良さを感じました。現在の社長は4代目ということです。大阪・日本橋にもショウルームがあります。

【廿日市市にあるマルニの本社】

家具は中国など安い家具が輸入され、売上がピーク時の半分に減っているということでした。

廿日市から岡山に戻り、友人のライース氏と会った。彼とは30年近い付き合いで、私が編集している季刊誌『Btrain Trust』にも執筆願っています。特に、イスラムについて造詣が深いので、いまこそその誤解を解いてほしいとお願いしています。

彼の紹介で行った食事処「赤とんぼ」(岡山市柳町1丁目2−1、電話0862−25−8995)は、素朴な味で気持ちのいい店です。鰆のの定食(900円)とラッキョウ(400円)をいただきました。この店はおすすめです。

宿泊はビジネスホテルですが、泊り客は10人そこそこでした。

【29日】高知

午前8時50分発高知行き、南風3号(3両編成)で御免(高知)まで乗りました。岡山駅で知ったのですが、高知や松山へは観光切符(4日間有効)を使うと、自由席が6割引きです。禁煙の自由席は1両の半分だけですから平日ならなんとか坐れそうですが、土、日は厳しいようです。

この日、岡山駅構内で人身事故があったため、10分ほど列車が遅れました。

「駅に入る列車の窓から身を投げたようです。命は助かったようですが、そうなりますと賠償がすごくかかります」と、駅の警備員が話しかけました。定刻の10分遅れで、後免駅に11時40分ごろ到着しました。

土讃線で往くのは初めてでしたが、大歩危(おおぼけ)―小歩危(こぼけ)間8キロにわたり吉野川沿いあたりは秋の色に染まった渓谷と山々が実に美しい風景でした。


土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の後免駅で】

御免では大手の下請け企業、栄光工業を訪問しました。

【元飲料工場だったところを購入、田畑の中に建っています】

後免駅には食堂、レストランがありません。駅の近くにラーメン屋を見つけ、なんとか昼食にありつきました。

この日、土讃線池田駅〜佃駅間でも人身事故があり、大幅に列車が遅れていました。一日2回も同じ線で人身事故とは、何か怖いような思いです。

後免駅で土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り換えですが、宿泊地の夜須まで530円投入すると、「和食」の切符が出てきます。和食なんか頼んでいないと言うと、「わじき」と読むんです。そこまでは530円で行けるものですから当然、夜須へも行けますという駅員の説明でした。

栄光工業は社歴25年の企業でしたが、「輸送費がかかります。これが大手企業の近くにありますと、そのまま輸送費が利益になりますので田舎にいるハンディは大きいです」ということでした。

その日は、夜須の「海辺の果樹園」というリゾートホテルに投宿。ここは休日、連休、夏休み等はお客さんが多いそうです。


【小高い丘の上にホテルが見えます】

 1週間前カシオオープンがここで開かれ、中継放送するTBS関係者をはじめ、ギャラリーの多くが宿泊したそうです。ホテルは南国風でフロントマンはアロハを着て応対します。

料理はいまひとつでしたが、部屋はいいですね。夕日の美しいのが売りになっています。

【夕日が美しいところです】

【30日】宇和島

この日はホテルを8時10分に出て、夜須駅8時40分―後免駅9時01分着。夜須から御免まで快速に乗りました。

 駅は無人のワンマンカーです。ギリギリまで合理化しています。後免町の次が御免です。間違ったら大変です。

御免駅発9:07−岡山11:27着。今度は、岡山発12:22の特急で松山―宇和島着16:39までの旅です。宇和島駅の上のJR系ビジネスホテルに投宿。

宇和島の街は明るく、元気そうな印象です。まず、観光協会で情報を入手しました。夕食の店を選ばなければなりません。

郷土料理・大衆割烹「ほずみ亭」に決めました。穂積橋(有名な学者が銅像を断り、いつまでも踏まれ続けたいから銅像の代わりに橋をかけてほしいと言って、つけられた橋だそうです)から名づけたようです。

店は川沿いにあって風情を感じさせる建物で入り口も大衆と言うより、少し高級感があります。かなり味等へのこだわりの店です。
     
【ほづみ亭】                             【表にある看板、なかなかのこだわりの店です】

店のカウンター席に座り、「この店の本日のお奨め品」を聞きましたところ、「魚のすり身をちぎり揚げた、地元の有名なじゃこ天のもとです」と、教えてくれました。品名はぼてんぼうです。美味です。値段650円です。ほかに「ふくめん」も名物のこんにゃくですが、飾り付けがいいですね。

カウンターの向こうで話しかけてくれた人が、店主でした。

「3代目です。もともと旅館でしたが、旅館業から割烹へ自分の時代に切り替えました。みかん作り、鮫250匹を飼っていましたが、全滅させるなど、いろいろやってきました。この割烹の儲けを注ぎ込んだのです」と、ニコニコしながら話続けた。

「ここの自慢は魚が新鮮だということです。とくにサバは関サバより旨いですよ」と言う。

「宇和島出身で対面の大分・別府温泉の亀の井ホテル創業者・油屋熊八がおられますね」と、たずねますと、「この店の裏が実家です」と、熊八について詳しく話してくれました。

「宇和島は松山ばかりを見ていて、別府など大分との交流がほとんどありませんが、これからは広域的な交流をしないといけない」と、地元商店街の役員の顔がのぞきます。

店主は昭和23年生まれで、会計はしっかり者に見える奥様ががっちり担当していました。時々、お客にも話しかけてきます。

カウンター席の隣にあとから坐った背広姿の中年の男性が、「関西の方ですか?」と声をかけてきた。

店主との会話を聞いて、そう思ったようです。エリのバッヂを見て、「松下さんでしょう」というと、手でバッヂを押さえて笑いました。

音響映像関係(事業部は英文名で難しく忘れました)の方で、門真の本社から訪店しているそうです。宇和島へは何回か来ていて、「今日は高知から車を運転して入りました」と、話しました。聞きますと、住まいが私のいるところからトンネルを越えた生駒だということで益々、親しみを覚えました。

「ここの鯛めしは旨いのですが、いつもその前に食べ過ぎて、見逃してきましたが、今日は必ず食べようと思っています」と、宇和島は鯛が有名です。私も次回は食べるつもりです。「近くには温泉が多いですよ。やすらぎ温泉がいいですよ」と、店主が教えてくれました。

松山の道後温泉が有名過ぎで宇和島が隠れているようです。闘牛は年5回開かれるそうですが、ホテルが満杯になるほどのことはありませんとホテル・フロントで聞きました。

【12月1日】宇和島

「無茶々園」を訪問しました。

ここも不便なところでバスがほとんどありません。宇和島駅前ー明浜1時間の行程です。地方ではマイカーが当たり前の生活になっていますので、外部からの訪問者には不便極まりがありません。

無茶々園は有機栽培、無農薬蜜柑ではかなり有名です。海が迫る明浜の急傾斜地でかんきつ類を栽培して生活するには、無農薬栽培しか生きる道はないと、30年前に3人の若者の英断で始まったそうです。これがNHKで取り上げられ、今日まで大きな運動となって続いています。


【無茶々園から見た風景】


【今は温州みかんの収穫期】

●無茶々園:愛媛県西予市明浜町狩浜 TEL:0894−65−1417

     URL:http://www.muchachaen.com

 メールでも注文できます。無農薬柑橘類をはじめ宇和島名物の雑魚など海の幸、米なども注文できます。一度、HPをご覧ください。

 取材の途中、近くで火災が発生したために、消防団員でもある同園のU社長は飛び出していきました。結局、火事が消し止められてから再取材しました。

 田舎ではみんなが助け合って生きています。それにしても火災は無人の倉庫からで、ねずみが電線をかじったために漏電となったのではないかと言われています。

【無人倉庫が火元の火災発生、12月1日午前11時ごろ撮影】

 来週からは津山、再来週は北海道、東京と続きます。その後は季刊誌の編集作業等、年末まで忙しい毎日になりそうです。

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